日本郵船社員の上司バット撲殺事件




【事件概要】

 1973年9月3日午後7時過ぎ、世界最大とも言われる海運会社・日本郵船本社ビルで、株式課の社員A(当時28歳)が、上司であるM課長(49歳)の頭を、準備していたバットで殴り死亡させた。


A


【襲われる上司】

 Aは墨田区の曳船に3人兄弟の長男として生まれた。父親は教育者で、事件当時公立中学の校長をしていた。名門・両国高校から一橋大学法学部に入学。しかし在学中に脊髄を病んでいる。卒業は遅れたが、日本郵船に入社。名古屋支店に勤務した。当時3年目で、前年4月からM課長の部下になっていた。勤務態度は真面目で、酒を飲まず、冗談なども言わなかった。バレーボール部にも所属していたという。

 M課長は実業学校を出て旧三菱海運に入社。中央大夜間専門部を出て、64年の合併後日本郵船の社員になった。結核で長期休養するということがあり、71年12月にカムバック、課長のポストを与えられた。真面目で温和な性格だった。

 M課長の株式課はもともと他に女性職員が3人いただけだったが、72年4月にAが移ってきた。名古屋支店勤務時代にノイローゼを患い、数ヶ月間療養していたので、復帰してすぐ営業部に行かせるよりは、落ち着いた株式課で仕事を慣れさせようという狙いがあった。M課長も病気で休養した経験があるので、快くAを迎えた。

 事件の前の73年4月7日、AがM課長の顔面を殴り、前歯を数本折るという事件があった。
 これはM課長が「今夜はちょっと残業しよう」と言ったところ、「残業の予定などは2、3日前からわかるはずだ。それを当日になって急に思いつくとは計画性がない。それとも、予定していたのに、僕には言わなかったんですか」と言い、殴りかかった。他の社員の目の前での出来事で、Aは上司や同僚に制止され、「殴ったのは悪かった。今まで通り株式課に置いてください」と言った。
 結局、処分などはなく、以後もそのままの状態で勤務。AがM課長に暴力をふるうことはその後もあった。
 4月末の日曜には、Aから自宅に「課長、明日殺すから出てきてくれ」という電話がかかってきた。尋常でないこの言葉に、M課長はさすがに「電話で脅迫された」と上司に報告した。
 こうした話を聞いていたM課長の妻は、「いつかこういうことが起こると思っていたという。


 9月3日午後7時過ぎ、他の3人の女性職員が皆退社し、課にはAとM課長だけが残っていた。同じフロアで残業していた総務部のI調査役(当時54歳)も帰り支度をして立ち上がり、「お先に失礼します」と2人に声をかけて帰っていった。
 その数分後、Aは突然立ち上がり、M課長の左後方にあるロッカーからバットを取りだした。これは機会を見て脅かしてやろうと考え自宅からバットを持ち出してきたものだった。
 Aはバットを持って後ろから近づいてきたが、煙草を吸いながら前かがみに書類を見ていたM課長はそれには気づかない。そしてAはM課長の後頭部をバットで殴りつけた。数発殴ると、M課長ははグッタリとした。
 Aは「殺してしまった」と慌て、本社ビルを出て、前を通りかかったタクシーに乗った。「丸の内警察署に行ってくれ」と言ったが、同署は改装工事中であったので、麹町署に向かい、「課長を殺してきた」と出頭した。

 署でのAは、M課長との意見の食い違いを延々と話し続けた。途中、泣きじゃくったりもした。


【供述】

「憎くてたまらなかった。その行為をやめさせたかった。M課長がいるということが耐えられなかった。郵船のためにもM課長はいないほうがいいと思った。殺してしまったら家族に迷惑がかかるだろうということはわかるが、そのときは、そのようなことは考えない。とにかく、憎くて、なんとかしなくては自分がもたない、と思った」

「織田信長を殺さなければならなかった明智光秀の気持ちがよくわかる」

「自分と課長の関係は、浅野内匠頭と吉良上野介のそれによく似ている」

「たとえばですね。I調査役とM課長は顔を合わせて、”これからは、社内で株式関係の部門が重視されるようになるよ”なんて言ってるんですよ。腹が立ちますね。2人とも自分たちの立身出世のことばかり考えている。なにかを企んでいる。きたない性格ですよ。きたない人間ですよ。ぼくらはね、会社のことを考えて、郵船のことを思って働いているのに、自分のことしか考えていない」

「こんなこともありますよ。M課長は”(三菱)地所はいいなあ”なんて言うんです。いけませんよ。自分が働いている郵船のことを棚に上げて、他の会社を褒めるのですからね。許せない。郵船をけなしている。郵船の歴史も知らなければ、社風もよくは知らないんだ。郵船の将来性も見通していないんです。これは、けしからんことですよ」

「酒の席でもね。M課長は自分でお客に料理をすすめたり酒をついでまわったりするのですよ。僕という部下がありながら、ですね。そんなことをするのは、僕に対する、ですね。あてつけですよ。嫌がらせですよ」

「(Aが以前勤務していた名古屋支店の支店長が訪ねてきたことを持ち出して)このときも、ね。支店長が”元気か”と言ってきたときから課長の顔はおかしかったんですよ、2人で一緒に食事に行くというので、いい顔していませんでしたね。ねたんでいるんですね。僕が支店長と親しいものだから」

 以上のことからわかることは、Aが課長の一挙手一投足、何気ない言葉や表情のすべてに、自分に対する敵意が向けられていると思い込んでいたことである。
 その後、Aは精神鑑定の結果精神分裂とされ、不起訴扱いとなった。


リンク

日本郵船
http://www.nykline.co.jp/index_flash.htm


≪参考文献≫

光文社 「殺人全書」 岩川隆
社会思想社 「20世紀にっぽん殺人事典」 福田洋 
東京法経学院出版 「明治・大正・昭和・平成 事件犯罪大事典」 事件・犯罪研究会・編
「私と日本郵船(課長飛降り自殺、課長バット殺人事件の教えるもの)T」 八田守江


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