山地悠紀夫事件
(山口・母親殺害事件 大阪・姉妹殺人事件)




【事件概要】

 2002年7月末、山口市で16歳のアルバイトの少年が、母親(50歳)の頭を金属バットで殴って殺害するという事件が起こった。この少年は少年院を出所してわずか2年後に次なる殺人を犯した。


山地悠紀夫


【心に茨を持つ少年】

 2000年7月31日午前1時頃、山口市の新聞配達アルバイト・Y(当時16歳)から、「母親を殺した」という110番通報があった。署員らが急行すると、玄関で母親(50歳)が頭から血を流して死んでいて、他にも顔や胸を鈍器で殴られたような跡があった。山口署員はYを殺人容疑で緊急逮捕した。
 Yによると、前夜午後9時ごろ、母親の借金をめぐって口論となり、金属バットで殴り殺したのだという。
 

 Yの父親は建設作業員など様々な職に就いていたが、酒癖が悪く、妻やYに暴力をふるうことがあった。母親は自宅近くのスーパーに勤めていたが、事件の起こった年の2月、別のスーパーに移っている。
 1995年1月に父親が肝硬変で死亡した後は母親と2人暮らし。母親は実家とも疎遠で、親類が訪ねて来ることもなかったという。それまでは隣接するアパートで1人暮らしをしていた祖母も市内の老人福祉施設に入った。

 Yは学校では目立たず、交遊関係も限られていた。中学では卓球部に所属。中学2年の頃から不登校がちとなり、3年時には3分の2近くを欠席、修学旅行などの行事にも参加しなかった。卒業後に進路について「高校に行きたくない」と話していたYは、中国地方の紡績会社の面接を受けたが不合格。就職先が見つからないまま、知人の紹介で新聞販売店で働き始めた。2月にはいったん辞めたが、4月から再び働きはじめ、ここでの仕事ぶりは真面目だったらしく、給料約9万円の半分を家におさめていた。

 だが事件直前の7月27日と28日に初めて無断欠勤、同僚が迎えに来て28日途中から出勤。その日の夕方、同僚に「母親が借金している。何に使っているのか聞いても答えてくれない」と話しており、悩んでいるようだった。
 2000年初め、取り立てに来た男がアパートの自宅ドアを蹴って「何をタヌキ寝入りしとるんじゃ」と大声で騒ぐという出来事があった。母親は近所の人からも数万円ずつ借金をしており、家賃や水道料金を滞納したことがあった。生活保護を申しこんだこともあったが、認められなかった。事件直前、Yは職場の母親と同じ年代の女性従業員に「もうどうしようもないところまで来ている」と借金のことを相談していた。Yが母の借金を知ったのは6月のことで、その額については「びっくりするくらい」と話していた。

 また母親には再婚話があり、同僚に「僕は邪魔者だから家を出る」と話し、その準備もしていた。勤務先に「アパートを借りたいので、時給を上げてもらえないだろうか」と頼み、配達件数を増やすための中古のバイクも31日に届く予定となっていた。


 そんななかでYは母親を殺害した。父の死、祖母の施設入所、不登校などで孤立化した自身の、唯一の身近な肉親を殺害したのである。近所の人の話によると、「母子関係は良かった」としている。母の給料日には決まってカツ丼を食べていた。
 殺意は、交際したいと考えていた女性の携帯電話に、母親が無言電話をかけたことがきっかけとされる。Yは母親にそのことを問いただしたが、認めなかったのでカッとなって殺害したという。

 Yは当初、弁護士との接見を断り、弁護士選任を拒否していた。8月2日に県弁護士会から派遣された弁護士と接見して、何か必要なものはないかと尋ねられたが、「(弁護士は)必要ない。自分はどうなってもいい」という捨て鉢な態度で、さっさと立ち上がって接見室から出て行った。

 審判でのYは、「裏切られるのが怖くて友達ができない。性格を変えたい」「母親との会話が少なく、自分の相手をしてくれれば違ったことになったかもしれない」と語っている。

 9月14日、山口家裁は「年齢的に見ても矯正は充分可能」として、Yを中等少年院送致とする保護処分の決定を下した。


【現れた素顔】

 2005年11月17日午前3時40分頃、大阪市浪速区塩草のマンション4階のラウンジ従業員・A子さん(27歳)方で、室内の一部を焼く火災が発生し、A子さん、同居していた妹・C子さん(19歳)が血を流して倒れているのが発見された。
 2人は搬送先の病院でまもなく死亡、胸や顔などに多数の刺し傷があった。また500円玉貯金もなくなっており、当初、強盗殺人、またはストーカー殺人と見られた。

 2人の若い女性を殺害するというこの残酷な強盗殺人事件の容疑者として逮捕されたのは、住所不定・無職の山地悠紀夫(当時22歳)という男だった。鼻筋の通った、わりと整った顔だちだが、引かれ者の小唄なのか、再逮捕時の護送中にうすら笑いを浮かべる口元、そしてどこか暗さのある目つき。不気味さを感じさせる。山地こそ、5年前に母親を殺害したY少年である。

 山地は16日夜に現場のマンションと隣接する食品会社の壁にへばりついていたところをマンション住民に目撃されており、12月5日に建造物侵入容疑で逮捕、「寒さをしのごうとした」などと話していたが、同月中に犯行を自供した。 凶器のナイフ(刃渡り12cm)は供述どおり、マンションから約400m離れた神社の敷地内の、神輿や台車が収納されている2階建て倉庫で発見された。

 A子さんは会社経営に苦心する両親をサポートするため弟・妹の面倒をよく見て、また推薦で外語大に行けたのだが家庭の経済面を考慮して、それを断念する家族思いの女性であった。お金をためて、ブライダル関係の店を開きたいと考えていた。
 C子さんも友人が多く、働きながら介護へルパーを目指していた。年が明ければ成人式を迎える予定だった。事件前日には「お金がかかるから、成人式用の着物は要らないよ」と母親に話していたのだが、これが家族最後の会話となってしまった。2人の娘を失った遺族のショックは大きい。

 事件当日午前1時ごろ、店での勤務を終えたA子さんは、同40分頃に近くの別の店に勤める妹と待ち合わせて、自転車2台で一緒に店を出た。疲れて自宅に戻ったところを、山地に襲われた。

 山地は殺害した姉妹とは面識はなく、その動機について、「母親を殺したときの感覚が忘れられず、人の血を見たくなった」「誰でもいいから殺そうと思った」などと供述。世間を驚愕させた。


【少年のそれから】

 山地は2003年10月に岡山少年院を仮退院したあと、パチンコ店に住みこみで働いたが、友人を介して不正でパチスロの大当たりを出す「ゴト師」の元締めと知り合ってグループに加わり、そうした裏家業で生活をしていくようになった。
 ちなみに少年院の仮退院に関して、精神科の医師が更生に疑問を呈する意見を出したが、岡山県公安委員会はなぜか許可を出していた。

 2005年3月、そうした不正行為が発覚し、窃盗未遂容疑で逮捕され、起訴猶予となった。その後もゴト師を続けようとしたが、仲間から「仕事ができない」と見捨てられつつあり、「自分には向いていない」というようなことを言いはじめた。
 事件直前の11月11日から現場のマンション6階の知人宅に身を寄せていたが、14日にそこを出ていった。その後は凶器の発見された倉庫の1階で寝泊りしていた。

 事件前日の未明、姉妹の部屋だけが停電した。配電盤のそばにいる眼鏡をかけた男(山地)をA子さんが発見している。山地は姉妹の部屋を狙って電気を消していた。 
 ちなみに山地は事件前の3日間、マンションに現れ、「眼鏡をかけ、リュックを背負った若い男がうろついていた」と複数の住民に目撃されている。

 事件当日、山地はナイフ、ハンマーなどを持ち、現場のマンションに向かった。
 午前2時半ごろ、帰宅したA子さんの後を追い、部屋に押し込んで、部屋の奥まで引きずっていって、胸をナイフで刺し、強姦。10分後に帰ってきたC子さんの胸も刺し、陵辱した。
 山地はベランダに出て、タバコを吸った後、金品を奪い、証拠隠滅のためライターで火をつけ逃走した。事件の後、奪った小物入れを持ち歩き、ライターは黒いリュックに入れていた。


【裁判】

 2006年5月1日、大阪地裁で初公判。山地は起訴事実を認めた。少年院時代に精神科医に対して「法律を守ろうとはそんなに思っていない」と話していたことが明らかにされた。

 公判での山地は、検察官、弁護人の質問に「わからない」「黙秘する」「答えたくない」と繰り返した。法廷でもうすら笑いを浮かべることが多かったが、それが虚勢なのか、本来の性格なのか、その心を知る術はない。

 5月12日、公判で犯行の理由について「人を殺したいという欲求があった」と述べる。また母親殺害とのつながりについて「自分では判断できない」と答えた。

 6月9日から10月4日まで、約4ヶ月間にわたり山地の精神鑑定が実施された。

 10月23日、地裁・並木正男裁判長は「被告は犯行当時、善悪を区別する能力や行動制御の能力は十分保たれていた」と完全責任能力を認める精神鑑定書(鑑定人は岡江晃・京都府立洛南病院長)を証拠採用した。この鑑定は「人格障害であり、アスペルガー障害を含む広汎性発達障害には罹患していなかった」とするものである。
 弁護側は少年院時代の医師の診断などを根拠に「対人関係の構築が困難な発達障害の疑いがある」と主張していたが、裁判長は障害の罹患を否定し、「犯行当時も現在も知能は正常で、社会生活能力も保たれている」とした。

 10月27日、第10回公判。法廷に2万2796人分の、山地の死刑を求める嘆願書が提出された。これは殺された姉妹の友人たちが集めた異例のものだが、これを見せられ「どう思う」と検察官に問われても、山地は「何も」としか答えなかった。

 10月31日、殺害された姉妹の遺族が遺族が意見陳述で、「被告に2人と同じ苦しみを与えたい」と述べ、極刑を求めた。

 11月10日、検察側は「犯罪史上、極めて凶悪で冷酷な犯行。極刑以外の選択はありえない」と死刑を求刑。

 12月13日、並木正男裁判長は求刑通り死刑を言い渡す。
 判決後、裁判長は「遺族の悲しみはどれほどかをもう一度考え、幼いころの人間性や家族との温かい交流を思い起こし、遺族の苦しみの万分の一でも理解してほしい」と説諭した。

 2007年5月31日、山地は控訴を取り下げ、死刑が確定した。

 母殺しから9年、そして死刑確定から2年が経過した2009年7月28日、山地の死刑が執行された。享年25。同日には同じ大阪拘置所において、やはり快楽のために凶行を重ねた自殺サイト連続殺人事件の前上博の執行も行われた。


リンク


≪参考文献≫

コアマガジン 「実録戦後タブー犯罪史 弱者を餌食にした卑劣な殺人鬼たち」
講談社 「月刊現代 07年2月号」
日本放送出版協会 「17歳のこころ その闇と病理」 片田珠美 
扶桑社 「大阪美人姉妹殺害事件 神さんに嫁入りした娘たち」 粟野仁雄
ミリオン出版 「死刑囚のすべて」


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