ニセ夜間金庫事件





【事件概要】

 1973年(昭和48年)2月25日夜、大阪・梅田の「三和銀行阪急梅田北支店」の夜間金庫に売上金を預けに来た男性が、故障のために別の場所に設置された簡易仮金庫に現金の入った袋を入れたところ、不用心な代物だったので、警備センターを通じて銀行側に連絡した。まもなくこれは何者かが売上金を奪おうと設置したニセ金庫だとわかった。未解決。


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【おかしな仮金庫】

 1973年(昭和48年)2月25日夜、大阪・梅田の「三和銀行阪急梅田北支店」の閉まったシャッター左側にある夜間金庫に、衣料品店の若い店長(当時24歳)が売上30数万円を預けに来た。ところが、いつもの夜間金庫には次のような断り書きがあった。


御利用のお客様へ

鍵の接損事故に困り投入口開閉不能となりましたので、誠に御足労ですが、当銀行専用通用口の仮金庫迄御廻り下さい。

                             三和銀行

 店長は看板に書かれた略図に従って専用口の方にまわると、そこには「夜間金庫」と書かれた仮設金庫があった。金属製のりっぱなもので、店長はそれ自体には何の不審さも持たなかった。
 ところが、売上金の入った袋を投入口に入れてみたところ、落下音がせず、入り口でつっかえているように感じた。手をつっこんで押しこもうとしたが、金庫の中がいっぱいなのか、ミシミシと音がして表面がふくらんできた。横からは金庫の中が見え、現金袋を取り出すことも可能だった。
 慌てた店長は、近くにいた警備員に見張りを頼み、すぐ警備センターに連絡した。この時はまだ、夜間金庫を怪しんだのではなく、銀行側の設計ミスだと思っていた。
 
 警備員や、銀行の幹部職員が駆けつけてきたものの、幹部らは夜間金庫が故障したことも、仮金庫を設置したことも知らなかった。まもなく、この仮金庫が何者かによって設置され、売上金を奪おうとしたものとわかった。この時すでに68店の商店主から計2500万円以上の売上金が投入されていた。


【見事なアイディアと、意外な失敗】

 手作りだったニセ金庫だが、その作りに預けに来た人は誰も疑うことはなかった。実際、何日かかけて丁寧に作られたものと見られ、各所にアイディアが散りばめられていた。

 ニセ金庫自体はベニヤ板製である。しかし、そのままでは重厚に見えず、怪しまれるだけだと考えたのか、犯人はその上からステンレス板を張り、アルミサッシで枠をつけて金属感を出した。下側にスポンジを張り、底にはウレタンフォームを敷くなど音響効果も配慮。おまけに裏側には水銀電池をセットし、暗闇の中でうっすら明るくする工夫もしていた。
 そして持ち運びのためか、2つ折りにできるようにもなっていた。
 
 さらに入金するとレシートが出てくる仕組みにもなっていた。これは現金をいれて、レバーを引き下げると輪ゴムと針金の仕掛けで、「SANWA 302-4802」と印字されたプラスチック札が出てくるようになっていた。これを怪しまれないようにするためにも、下のような注意書きをぶら下げて、フォローしていた。


鍵は不要です。その儘御入れ下さい。投入後、右のレバーを下方に一杯迄押して下さい。レシートが出ます。
猶仮金庫ですのでレシートは成可く御持ち帰り願います。

                          三和銀行

 
  ニセ金庫は職員専用口ドアと同じ高さで、ドアの奥まった部分にすっぽり入っていたため、あらかじめ犯人は寸法を測りに来ていたとされている。 
 この手のこんだニセ金庫は原価4万円ほどと見られるが、「アイディア料は10万円以上」という声もあったほどだった。

 犯人は決行に選んだ日にち、これも慎重に選んだと見られる。 
 2月25日は給料日直後で、店の売上が伸びる日曜日で、さらに銀行は閉まっており誰もいないという絶好の日だった。夜間金庫は月曜の朝まで点検されることはなかった。

 しかし、この計画には思わぬ落とし穴があった。さすが大阪の繁華街、売上に来る人が後を立たなかったのである。犯人は適当な頃合も見計らって、「本金庫復旧につき、仮設金庫閉鎖致します」という第3の看板も作っていたが、これを取りつけに行くチャンスもなかった。すぐに金庫の中はいっぱいになり、冒頭の店長が警備員を呼んできてしまったのである。こうなると、犯人はすぐに逃走したと見られる。


【犯人】

 ユーモアとセンスを感じさせる事件ではあるが、犯罪は犯罪、すぐに捜査が進められた。

 犯人は設置を4分ほどで行なっていたと見られる。これは直前まで利用されていた本物の夜間金庫のレシートや、警備員の記録から調べられた。午後8時40分当時、すでに25人の人が本金庫を利用していたため、迅速に本金庫の鍵穴に鉄片を詰め、看板を提げて、一方でニセ金庫を設置しなければならなかった。設置直後、さっそくニセ金庫に売上を投入した人が現れたので、絶妙なタイミングだった。
  
 犯人は取り付けた後、現場を離れ、適当な時間を見計らって回収に来ようと考えていたと見られる。犯人も自分の作ったニセ金庫が怪しまれずに現金が投入されているか気になったのか、ニセ金庫の置かれた通路の突き当たりにある1階避難口に通じる非常階段にタバコの吸殻などがあり、ここで様子をうかがったらしいことが確認されている。

 また慌てて逃げたためか、犯人のものと見られる遺留品が他にもいくつか出てきた。
 場所はタバコの吸殻があった所と同じで、第3の看板、折りたたんだニセ金庫を入れていたと見られる布袋、大阪の喫茶店「K」のマッチ箱、「鉛管服」と呼ばれる白い「ツナギ」である。作業着は身長165〜170cm用のサイズだった。

 捜査員がニセ金庫の材料の入手先をあたってみたところ、次のことがわかっている。
  「夜間金庫」と書かれたプラスチックのプレートは1月30日、神戸市生田区内のスーパーのキーコーナーで発注され、これは2月6日に引き取っていた。
 金庫の本体となったベニヤ板は同じ頃、伊丹市内の建材店で購入されたものとわかった。購入したのは2人組の男だった。

 金庫の設置や、回収のことを考えると、犯人が1人だったとは考えづらい。3人グループが有力と見られている。
 そして年齢だが、看板に使用された漢字は「猶」「儘」「成可く」など、旧漢字や旧仮名遣いを使用されていたため、中年以上と見られる。
 ニセ金庫には犯人のものと見られる指紋が検出されたが、府警が照合してみても該当者がいなかったため、前科のある人間ではない。

 事件から3ヶ月が過ぎた頃、捜査本部にある情報が舞いこむ。「知り合い兄弟が犯人ではないか」というのである。
 その兄弟は近隣の市に住み、年齢は30〜40歳、貨物関係の会社を経営していたが、うまくいっていないようだった。兄は以前現場近くの商店街で働いていたことがあり、弟は板金塗装の職歴があり、事件直前に金銭トラブルを起こしていたという。
 捜査本部はこの兄弟を追ったが、関連性は見つからず、この説は立ち消えとなった。
 
 また「大丸脅迫未遂事件」と同じ犯人グループではないかという説もあり、警察は疑惑の人物を指名手配した。しかし逮捕にはいたっていない。

 7年後の1980年に時効が成立した。


【模倣犯】

埼玉銀行事件

 大阪の事件の時効から3年後の83年9月24日、埼玉県春日部市の埼玉銀行春日部西口支店でも同様の事件が起こっている。
 金融会社支店長Aさん(当時37歳)が預け入れにきたところ、いつもの夜間金庫の位置に仮設金庫があった。


従来御利用頂いておりました夜間金庫のため9月24日―25日まで旧投込金庫を仮設致しましたので従来同様ご利用下さい。
尚。この金庫の御利用に際しましてカギは不要ですが、レシートの発行は出来ませんので御了承下さいませ。
           
                        埼玉銀行春日部西口支店


 Aさんは指示の通り、現金袋を入れようとしたが、前の人が投入した銀行袋がつかえて入れられなかったので近くの派出所に届け出て、これがニセ金庫とわかった。

 この金庫の作りは、大阪の事件のものに比べて数段見劣りする粗末なものであったため模倣犯の可能性が高いが、この事件も迷宮入りとなった。


麻布支店事件

 86年9月12日、東京・港区麻布十番の三和銀行麻布支店にもニセ金庫は登場している。しかし、焼肉店の店主(当時39歳)は、「故障中」という貼り紙を無視して、いつもの夜間金庫に現金袋を入れた。念の為、警察に届け出て事件は発覚している。


みずほ銀行事件
 
 06年7月17日、静岡県焼津市の無職男(当時54歳)が、みずほ銀行銀座支店(東京都中央区)に手製のニセ夜間金庫を置いた。客5人が現金400万円を投入したが、途中で警備員に気づかれ奪取未遂。19日に逮捕されている。


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≪参考文献≫

王国社 「迷宮入り事件と戦後犯罪」 鎌田忠良
雄鶏社 「迷宮入り事件の謎」 井出守
新潮社 「事件のカンヅメ」 村野薫 
東京法経学院出版 「明治・大正・昭和・平成 事件犯罪大事典」 事件・犯罪研究会・編
徳間書店 「事件百景 陰の隣人としての犯罪者たち」 佐木隆三




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