東大助教授毒殺事件




【事件概要】

 1950年1月8日、東京行きの夜行列車に乗っていた東大医学部歯科口腔外科教室の渡辺巌助教授(39歳)が、持っていたウィスキーを飲んだところ、突然苦しみ出し死亡した。ウィスキーには青酸カリが混入されており、まもなく容疑者として渡辺助教授の指導下にあるH(当時27歳)が浮上、犯行を自供した。アプレゲール事件のひとつとされる。

※アプレゲール・・・・「戦後」を意味するこの言葉は、第1次大変直後のフランスで生まれた。戦後、価値観が崩壊し、それに変わる価値観も確立されず混乱を続けたが、知識人たちはこれを逆手にとって新しい芸術の方向を模索した。ここから「ダダイズム」や「シュールレアリスム」という芸術も生まれている。日本では第2次大戦後、野間宏、中村真一郎、三島由紀夫らがこの言葉を小説などの名称に使い、自分たちの文学を示した。1950年、刹那的な充足感を求める青年たちの犯罪が相次ぐ。多くが中流階級の子弟の、世の中をまだ知らない若者の短絡的な動機による犯行だった。こうした犯罪は「アプレ犯罪」と呼ばれた。他に「鉱工品貿易公団横領事件」「バーメッカ殺人事件」「金閣寺放火事件」「日大ギャング事件」「『光クラブ』事件」など。


H


【夜行列車】

 1950年1月8日、北陸線武生発上野行き602上り夜行列車の2等席に、2人の若い紳士が向かい合って座っていた。列車は正月を郷里で過ごした人が帰京するので満員の状態で、福井駅でやっと席が空いて座ることができた。

 年長の方は東京大学医学部歯科口腔外科教室の渡辺巌助教授(39歳)、若い方は愛弟子の西輝夫助手。2人は郷里・福井から東京に戻る予定だった。渡辺助教授は将来の付属病院長、または東大総長と嘱目されていた人物であり、西助手はその秘蔵っ子という関係にあった。

 2人は眠れぬまま、よもやま話をしていたが、西助手が命じられて渡辺助教授のボストンバッグから何かを取り出した。
 夫人に持たされたイナリ寿司と、歳暮のサントリーウィスキーの小瓶。渡辺教授はそのウィスキーを少し飲んだところ、突然苦しみ出した。
「カンフル剤を出せ!・・・・早く出せ!」
 渡辺助教授は助手にそう命じ、西助手はあわてながらもカンフル剤を取り出した。アンプルをヤスリで切る暇もなく、指で打っては打つ、西助手の人差し指は血でにじんだ。何本か打って人工呼吸をしたが、表情はみるみる青白くなっていった。小松駅入構直前の出来事だった。
 列車が駅に到着すると、他の乗客に手伝ってもらって助教授を車外に出し、荷物などは投げ捨ててもらった。運ばれた駅長室に医者が呼ばれて治療が行われたが、助教授は午後8時45分に息をひきとった。

「これの鑑定を願います。これがおかしいのです」
 西助手はホームに置きっぱなしとなっていた渡辺助教授のウィスキー小瓶を持って来て、小松市署員に鑑定を要請した。


【助手の執念】

 問題のウィスキーは小松市の保健所に持ちこまれたが、ここは毒物を鑑定する設備はなかった。
「毒物は発見できませんでした」
 この回答を、毒物は混入されていないと受け取った小松署は、死因は毒物によるものではなく心臓マヒとして、遺体は福井県丹生郡の実家に移された。

 それでも西助手は師の死に不審を持ち続け、ウィスキーの再鑑定を求めた。
 ウィスキーは今度、国警石川県本部に持ちこまれ、11日に青酸カリが検出された。

 また西助手の急報で、東大病院から院長をはじめ3人の博士が福井に駆けつけ、葬儀前日の10日に福井日赤病院で解剖を行った。そのうえ内臓器は東大病院での毒物検査のために東京に持ち帰られ、13日の鑑定によってはっきりと青酸カリ中毒死であることがわかった。
 
 ウィスキーは前年12月25日、医局の渡辺助教授の机の上に置かれていた。水引から贈り主は都内の化学会社と分かった。だが会社側は「小型ポケット瓶を贈ったことはない」と否定した。


【怨みのウィスキー】

 まもなく渡辺助教授の指導下にある副手で医学部小石川分院歯科医員であるH(当時25歳)が容疑者として浮上。本富士署に出頭させられたが、供述があいまいで、15日までに犯行を自供した。

 Hは大宮市の元オリンピック選手で歯科医の長男。
 浦和中学から日本歯科医専に入学。学生時代から女性にだらしがなかった。戦時中は海軍歯科見習尉官。復員後の45年10月、東大付属病院口腔外科専科生となった。
 47年9月から東大付属病院に勤務し始めたが、同病院の看護婦A子(当時19歳)との仲が噂になって休職処分となった。その後、渡辺助教授の計らいで小石川分院に勤めるようになったが、A子は助教授付きの看護婦となり、不満を持った。だが学位論文を助教授に審査してもらう立場にあったHはその感情を口にすることも、表情に出すこともできなかった。

 1949年、Hは院長の世話で見合い結婚。だがA子にとの関係が続いたため、渡辺助教授が間に立って、慰謝料21万円をA子に出すことで話がついた。

 だが関係は終らなかった。Hは5万円を支払っただけで、ずるずると続いたのである。それどころか、Hは分院に勤める別の看護婦と中野のアパートで同棲し始めた。このようなHに対し、渡辺助教授は医学部の忘年会の席上で「君は色魔だ。将来の見こみがないから、もう面倒は見ないぞ。お父さんにもはっきりと申し上げる」などと叱りつけた。

 これを恨みに思ったHは復員の時に持ち帰った自決用の青酸ソーダを、銀座の酒屋で買ったウィスキーに混入、同じアパートの書道家に「御歳暮」の上書きを頼んで助教授に送った。

 Hは一審で無期懲役判決を受けたが、二審で懲役15年判決。そのまま確定した。
 さらに7年半ほどで服役を終え出所、名を変えて医師免許の再交付が認められ、開業医となったとのこと。


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≪参考文献≫

鏡浦書房 「鑑識捜査」 遠藤徳貞
光文社 「殺人全書」 岩川隆
潮出版社 「殺意は看護婦を抱きながら 昭和猟奇情痴事件簿」 草野唯雄 
社会思想社 「20世紀にっぽん殺人事典」 福田洋 
綜合図書 「異常犯罪白書 恐怖の戦慄・凶悪20大事件」 島田清
立花書房 「捜査課長夜話」 小山田正義
東京法経学院出版 「明治・大正・昭和・平成 事件犯罪大事典」 事件・犯罪研究会・編
批評社 「戦後ニッポン犯罪史」 礎川全次
二見書房 「日本中を震えあがらせた恐怖の毒薬犯罪99の事件簿」 楠木誠一郎
毎日新聞社 「事件記者の110番講座」 三木賢治


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