大阪府高石市・中1少年いじめ自殺事件




【事件概要】

 1980年9月16日午前9時20分頃、大阪府高石市の「阪南金属工業所」内で、この家の長男で高石中学1年の中尾隆彦君(12歳)がクレーン車を入れる車庫内で首吊り自殺しているのを母親(当時42歳)が発見した。
 両親の生徒への聞きこみで、学校内でリンチや金の要求があったことがわかった。


同級生のグループ


【始まる二学期】

 大阪府高石市に住む高石中学1年の中尾隆彦君(12歳)は両親と、高2の姉、2人の妹の6人暮らし。父親は自宅敷地内で建設会社を経営している。父親は当然長男の隆彦君に将来自分の事業を継いでもらうことを望み、期待していた。隆彦君自身も小学校の卒業文集に「大学に進んで、建築を勉強し、父親のあとを継ぎたい」と書いていた。

 1980年9月1日、二学期が始まるこの日、隆彦君はなぜか学校に行きたがらなかった。両親はいじめられているのではないかと推測したが、本人はそれを認めなかった。

 翌9月2日、隆彦君は顔を腫らして帰宅。すり傷もあり、殴られたことが容易に推測できるが、隆彦君は「自転車で転んだだけや」とだけ答えた。

 その後、3、4、5日と「頭が痛い」「学校へ行きたくない」と休んだ。このため両親が不審に思って事情を尋ねると、隆彦君は重い口調でいじめの事実を告白した。顔の痣も同級生4人による「プロレスごっこ」と称した暴力からのものだった。6月から小学校時代からの同級生5人に何度も殴られていたという。
 父親は学校に「何とかして欲しい」と頼みに行くと、担任教師(当時25歳)は「本人たちに聞いてみましょう」と答えた。

 9日、この日は隆彦君が元気に帰宅。母親はいじめが解決したのかと喜んだが、学校から連絡があり登校していないことが判明。隆彦君は会社の倉庫で時間をつぶしていたという。
 その後も学校側と話し合いがなされたが事態は変わらないようで、隆彦くんは登校をぐずったり、倉庫に隠れていたりした。
 父親は息子が登校拒否になったと思った。「いっそ転校させようか」という思いと、「イヤなことも耐えることのできる強い人間になって欲しい」という思いが交錯していた。

 14日(日曜日)。父親は気晴らしを兼ねて、隆彦君を大阪市南港で行なわれていた「見本市」に連れて行った。「見本市」は建築関係者のための素材展示会で、父子は2人で楽しんだ。昼食時には、入場チケットの購入場所がわからずうろうろしていた老人に隆彦君が親切に場所を教えてあげていた。

 15日(敬老の日)、隆彦君は叔父に連れられてデパートに行った。プラモデルを買ってもらい、帰宅後はそれを組みたてていた。


【「学校に行きたい・・・・こともないんや」】

 9月16日。この朝も隆彦君は朝食もあまり食べず、学校になかなか行きたがらなかった。母親が「はよう行きなさい」と促すと、「学校に行きたい・・・・こともないんや」とつぶやいて、ようやく家を出ていった。
 だが、担任からやはり「学校に来ていない」と電話が入る。母親は会社の倉庫の方を見に行くと、車庫に変わり果てた息子の姿を発見した。検死の結果、首を吊ったのは発見のわずか10数分前で、遺体はまだ温かかったが、人工呼吸を施しても隆彦君の生命が戻ってくることはなかった。
 駆けつけてきた担任の男性教諭M(当時25歳)は隆彦君の生が戻らないと悟ると、中尾家から飛び出していった。「教え子の死にショックを受けて、後追いするのではないか」と警察が教諭をさがしまわったりしたが、教諭は泉大津市の自宅に戻ってスーツに着替えていただけだった。生死をさまよう教え子に励ましの言葉をかけるより、「もうダメだろう」と踏んで自分に服装に気を使う彼の行動は遺族らの怒りを買うだけだった。教師生活4年目のM教諭は「若かった」「教師としてはまだ未熟だった」と言えるのだろうが、教え子と保護者への気遣いは忘れるべきではなかった。

 17日に行なわれた葬儀にはいじめていたとされる同級生4人の姿はなかった。小学校からの同級生であるのに来ない、それは後ろめたさの証明だった。

 隆彦君の葬儀の翌日、両親はは中学校に出向き、お世話になったことへの感謝を伝えたが、応対した教頭は「隆彦君の死は、どうも個人的な性格からだったようで、学校側としてはどうにも手に打ちようがなかった」「学校としても出来る限りのことはやった」というような意味のことを口にした。結局、この教頭からでは隆彦君の死の真相を掴めるわけもなく、両親は落胆して帰っていった。

「どうしても学校で何があったから知りたい」
 そこで、両親は20日から1人ずつ加害生徒を家に呼び事情を聞いた。彼らの証言は責任のなすりつけ合いもあったが、隆彦君を死に追いやったいじめの光景がおぼろげながら浮かんできた。


【いじめ】

 隆彦君には小学校時代からのE、K、M、T、Su、Siという6人の同級生と一緒にいることが多かった。彼らは世間で言うところの「不良」であり、母親にとっては自分の息子とは交際させたいタイプではなかった。
 5月、母親は家庭訪問でM教諭に「隆彦が非行のほうに引っ張られると困るので、E君らとの交友から引き離して欲しい」と訴えた。

 夏休み、隆彦君は柔道部に所属していたが、ある生徒の名前で中尾家に電話があり、「柔道の練習があるのに、中尾が来ていない。呼べと先生が言うてはる」と伝えてきた。電話に出たのは母親だったが、母親はEの声を知っていたため、Eが隆彦君を呼び出すために、他の生徒の名を騙ってかけてきているものと判断、受話器を置いた。電話はその直後再びかかってきて「クソババア」と言って切れた。
 母親は部活の顧問の先生に「今日、本当に練習はあるのか」と問い直すと、そのような事実はまったくなかった。

 9月5日に隆彦君が「学校でいじめられている」と告白したことは先に書いたが、翌6日父親は隆彦君を連れて学校に行き、「学校でちゃんと調べてください」と要望した。
 M教諭は「わかりました。じっくりと両方の意見を聞き、そのうえで適切な処置をとります」と誠実に答えて、父親はそれなりに納得して学校を出た。しかし、父親とM教諭が話しているその間、教室前の廊下で「明日までに2万円持って来い」と言われ、4人からリンチを受けていた。
 そして、若い教諭がいじめの実態を調査し、知るよりも早くに、1人の生徒の命は失われることになる。

 いじめグループは2年生を含む7人で、いじめは先に挙げたような「プロレスごっこ」のほか、次のようなものがあった。

・夏休み中の写生会で、絵筆とパレットを洗ったバケツの水を「飲め」と言われて泣きながら飲まされる。
・隆彦君の弁当の中にツバを吐きかける。

 さらに金品の要求もあった。生徒たちは脅し取った金をゲームセンターや飲食費に使っており、その総額は26〜27万にものぼったとされる。理由について「ただお金が欲しかったんや」と語った。

 こうしたいじめの存在が明らかとなってきて、両親は高石署に相談。そして9月27日、新聞が初めて隆彦君の死が学校でのリンチや恐喝によるものだったと報道した。
 この日の夜、教頭と数人の教師が中尾方を訪れた。父親は「学校でどんなことがあり、それについてどういう指導をしていたのかを報告書にまとめてくれ」と頼んだが、良い返事をせずに帰ってしまった。

 10月16日、加害生徒であるK、M、Tと、その保護者が中尾さん宅を訪れ、焼香した。少年たちは父母から促されて「おじさん、ごめんなさい」「もう2度とこんなことはしません」と謝罪。
 また同じ日、父親とその弟と、担任M教諭の3人が話し合い。M教諭は涙ながらに自分がこれといった指導をしていなかったことを認めた。25歳の青年教師に、校内暴力という難しい問題を解決できる力がなくてもおかしくないが、問題はベテランの先輩教師に相談できる機会が少なかったことだった。
 一方で、M教諭は事件後、自分を擁護してくれるはずの教職員組合がビラやパンフレットで批判してきたため、組合を脱退している。

 11月2日、学校が4人の生徒に書かせた作文を届けてきた。作文には謝罪の気持ちも記されていたが、「ぼくががんばったら、きっと中尾君は帰ってきます」と意味不明な文章も多かった。自分たちのしたことと、隆彦君の死が結び付けられた形で書かれていなかった。


リンク

高石市の位置
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≪参考文献≫

朝日ソノラマ 「隆彦なんで死んだんや 校内暴力が息子を殺した」 保阪正康
一光社 「いじめられる奴は死んでしまえ」 金賛汀
一光社 「遺書のない自殺 『いじめられっ子』の死・高石中学校事件」 金賛汀
河出書房新社 「教育読本 子供たちの反乱」
太郎次郎社 「教師たちの犯罪 若いいのちが壊されていく」 大島幸夫
東京法経学院出版 「少年少女犯罪」 安田雅企
日本文芸社 「『命』の値段 自殺から殺人、事故死、過労死まで―――死の経済学」 内藤満・監修
平凡社 「『犯罪』の同時代史」 松本健一・高崎通浩


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