菅生事件




【事件概要】

 1952年6月2日午前0時頃、大分県直入郡菅生村(すごうむら 現・竹田市菅生)の駐在所が爆破され一部損壊した。すぐに張りこんでいた警察官によって2人の男が現行犯逮捕、さらに共謀者として3人の男が逮捕された。この5人はいずれも日本共産党員で、「農地改革に伴う土地の分配」や「米軍実弾演習場の接収反対」を主張していた。
 5人の青年たちは一審で有罪判決を受けたものの、控訴中に戸高公徳という巡査部長が出廷してきたことで事件の方向は急展開する。戸高は事件後、行方をくらませていたが共同通信社の記者たちによって探し出されていた。この巡査部長は”おとり捜査”として共産党に入党しており、事件当日、同じ党員である5人を唆して菅生駐在所に向かわせていたことが裁判で明らかになってくる。


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【深夜の菅生村】

 大分県菅生村に「その男」が小さな風呂敷袋を提げてやってきたのは1952年の3月頃のことだった。男の名は市木春秋といい、村のボスが経営する製材所に住み込みで働き始めたが、1ヶ月ほどして村の農民運動に興味を示し、日本共産党に入党した。そこで市木はG(当時24歳)、S(当時23歳)という党員と親密になっていた。

 6月2日、GとSは「ポスター用紙やポスターカラーをカンパするので中学校の便所まで来てくれ」と市木に呼び出された。
 2人は菅生中学の校庭で物を受け取り、校門で市木と別れ、県道へと出た。歩いていると、突然後方で爆発音がした。爆発があったのは駐在所で、どこからか飛び出してきた警官らに2人は取り押さえられた。さらに共謀者としてM、A、Fの3人の党員を逮捕した。市木はその夜、村から姿を消した。


【異様だった事件前夜】

 事件の前日、毎日新聞・和田武浩記者は日曜だというのに殺気だった竹田地区署の異様な空気を嗅ぎとり、大分支局に応援を頼んでいた。夕方頃、記者、カメラマンら3人が到着し、4人はハイヤーで菅生村に向かった。村の入り口にはなぜか2、3台の営林署のマークをつけたトラックが停められており、私服の警官が張りこんでいた。警官は記者らに「君たちはここで降りて歩いて行き給え」と話し、和田記者はこれから起こるであろう事態を確信した。
 現場付近には約100人の警官が張りこんでいたが、後に「牛窃盗事件に行きました」「菅生村には最近盗難事件が多いので夜警に行きました」と後に話している。

▽竹田署小林刑事の証言
「事件の1週間ほど前から命令で菅生村に盗難予防の夜警に行っていた。その夜も駐在所付近まで来た時、雨が激しくなったので、農協倉庫入り口の石段にしゃがんでいた。たまたま岡本警部補が来て一緒に雨宿りしていると12時半頃、熊本県境の方向から2人の人影が現れた。駐在所に用事でもあるのだろうと見過ごすと、2人は駐在所の前で立ち止まり、1人が玄関の前の電燈を消した。1人がマッチをすり、シュッと音をたてて点火したものを中に投げ込んだ。大音響とともに2人は来た道の方に走り出した。その後を追って先に逃げた1人が道路から菜畑に逃げ込んだのを逮捕した。それがGであった」

▽岡本警部補の証言
「その夜、Gに対する牛窃盗容疑の逮捕状を持って菅生村に行き雨宿りをしていると小林刑事が来合わせた」


【消えた巡査部長】


 1955年7月、大分地裁は全員に有罪判決(G懲役10年、S同8年、M同3年、A同3年、F同3ヶ月)。
 公判中、被告側から「市木」が重要な関係を持っていることがくり返し主張されたが、「市木は本件に関係なし」とする検察側の主張を受け入れた。

 二審が進行中の56年9月頃、ある噂が流れ始める。それは「現職の警官が日共にスパイとして入りこみ、事件現場にGらを連れ出したのではないか」というものだった。
 Sは隣りの郡の僧侶だったが、その檀家のなかに事件の頃から行方不明になっている大分県警の巡査部長がいた。その男の名は戸高公徳といった。10月頃、戸高の子ども時代の写真と結婚写真を手に入れ、村の人々にその写真を見せてまわった。するとその失踪した警官こそが、「市木春秋」であったことが判明。弁護団は公判で「市木は現職の警官の疑いが濃厚である」と発表した。
 
 警官が被告を現場に連れ出して、デッチあげで現行犯逮捕ということは大問題となり、この田舎町の事件は一気に知られるようになる。新聞社、通信社の記者達は行方をくらませていた戸高を探した。
 戸高は事件後、東京・中野区になる警察大学に匿われていたが、弁護団の発表からまた姿を消していた。 

 1957年3月13日夜、斎藤茂男(※)ら共同通信社の記者グループが、新宿区のアパートにいた戸高を発見。当初は否定していたが、記者らの執拗な追及についに「自分が市木だ」と話し始めた。戸高は5年間も表へ出ていくことはできない身だったが、この春から小学校に入学する娘のことを思うと表に出ていくしかない状況だったのだろう。

※斎藤茂男・・・・1928年東京生まれ。52年慶応大学経済学部卒業後、共同通信入社。下山事件、徳島ラジオ商殺し事件などを深く追求する。58年、菅生事件報道で日本ジャーナリスト会議賞受賞。社会部次長、編集委員を務め、88年に退社してからもジャーリストとして活躍。99年5月死去。享年71歳。主な著書に「斎藤茂男取材ノート」(全6巻)、「父よ母よ」、「飽食窮民」など。


 4月22日、福岡高裁で行なわれた第二審公判に戸高は証人として出廷する。そこで菅生村共産党細胞探索のため、スパイとしてGらに接近、交番破壊のためのダイナマイト運搬などの事実を初めて話した。
 そうしたなかで6月、福岡高裁は全員に無罪判決。

 1959年9月、二審は戸高に有罪判決も罪は免除。この年の12月に戸高は現職に復帰している

 1960年12月、最高裁は上告を棄却して、5人の青年たちの無罪は確定した。


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≪参考文献≫

岩波書店 「誤った裁判 ―八つの刑事事件―」 上田誠吉 後藤昌次郎
岩波書店 「誤報 ―新聞報道の死角―」 後藤文康 
鏡浦書房 「霧雨の夜の男 ―菅生事件―」 牛島春子 
季節風書店 「事件の顔 特集・12人の事件記者による謎の大事件の真相」
現代社 「消えた警察官」 清原敏孝
現代書林 「戦後ってなんなんだ!? 風俗+事件+人物でさぐる」 いいだもも 武谷ゆうぞう 
講談社 「月刊現代 07年6月号」
講談社 「日本の公安警察」 青木理
講談社 「消えた警官 ドキュメント菅生事件」 坂上遼 
光陽出版社 「スパイ告発 裁かれた五つの権力犯罪」 諌山博
作品社 「犯罪の昭和史 2」 作品社・編
三一書房 「無実 冤罪事件に関する12章」 後藤昌次郎・編 
三一書房 「日本迷宮入事件」 森川哲郎
社会批評社 「公安警察の犯罪 新左翼『壊滅作戦』の検証」 小西誠 野枝栄
昭和出版 「消えた巡査部長」 諌山博
新日本出版社 「駐在所爆破犯人は現職警官だった」 諌山博
第一法規出版 「戦後政治裁判史録2」 田中二郎 佐藤功、野村二郎・編
宝島社 「別冊宝島Real 謀略の昭和裏面史 特務機関&右翼人脈と戦後の未解決事件!」 
筑摩書房 「現代教養全集5 マス・コミの世界」 臼井吉見・編 →「菅生事件を追って」
築地書館 「斎藤茂男取材ノート1 夢追い人よ」 斎藤茂男
電気書院 「全弁協業書 誤判を語る」 日本弁護士連合会人権擁護委員会編
東京法経学院出版 「明治・大正・昭和・平成 事件犯罪大事典」 事件・犯罪研究会・編
日本評論社 「法学セミナー増刊 日本の冤罪 シリーズ[新・権利のための闘争〕」 
批評社 「戦後ニッポン犯罪史」 礎川全次
毎日新聞社 「真実は神様にしかわからない、か」 後藤昌次郎


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