栃木・リンチ殺人




【事件概要】

 1999年12月4日、日産栃木工場に勤めていた須藤正和さん(当時19歳が)リンチされ殺害されていたことが、殺害現場にいた東京の高校生D(当時16歳)の出頭で発覚する。すぐにA、B、C(いずれも19歳)の3人の少年が逮捕された。3人は須藤さんを連れまわし、総額700万円以上の大金を消費者金融や友人達に借りさせ、遊びまわった。事件が発覚しそうになると、須藤さんを首を絞めて殺害、栃木県市貝町の山中に埋めた。


A
B
C
D


【A、B、Cについて】

A

 父親は警察官。かつては県警捜査1課の外国人犯罪対策室に籍を置いていたが、事件が起きた当時は氏家警察署の交通課に勤務していた。Aが問題を起こすと、相手に謝罪してまわるのは決まって父親だった。母親の方は近所じゅうにAのトラブルが知れ渡っても、1度としてそれを信用しようとしなかった。Aは幼稚園に通っていた時に、他の園児に無理やり草を食べさせたり、池に突き落とすというトラブルを起こしていた。小学生時代には近所の飼い犬に医師を投げつけたり、蹴飛ばしている姿が目撃されている。

 中学卒業後、専門学校に入るが中退し、鳶の会社に勤めたり、土木会社でアルバイトをした。ここでの勤務態度はお世辞にも良いものとは言えなかった。鳶の会社では、入社初日に「祖父が危篤だ」と嘘を言って早退し、その後も何かと理由をつけて早引けがあった。早退と無断欠勤を繰り返すAに社長は解雇しようとしたが、そのたびに母親が訪れて、「今度こそ真面目にやりますから」と頭を下げていったという。

 1997年、Aは同じ宇都宮市内に住む同い年の少年から100万円もの大金を脅し取り、傷害と窃盗で検挙される。この件では父親が被害者宅へ赴き、100万円を弁済し、示談で済ませるように取り計らった。被害者が示談を呑んだこともあって、Aの処分は保護観察のみで済んだ。
 1999年6月、Aは当時無職だったCに自分のいる鳶の会社を紹介している。その次の土木会社でもAとCは一緒にアルバイトをした。やがてCを通して、Bとも共に行動するようになる。


B

 実家は宇都宮市今泉町。兄弟は妹が二人。事件の1年前に両親が離婚し、母親との4人暮らしだった。父親の暴力に母親はずいぶん苦労してきたらしい。父親は給料のほとんどをギャンブルに使い、離婚時には養育費も母親に払っていない。B一家が家屋の1階部分を薬局として貸し出すのも、生計をたてるためだった。朝は交通指導員、昼は花店、夜は工員、働き詰めのこの母親はAとBの両親に比べると、須藤さん失踪中須藤さんの両親と警察に向かうなど、まだ人間らしい行動をとっている。

 Bは中学2年まで上級生にいじめられ、よく泣いていたという。それでも当時の同級生から見た彼の印象は、明るくてにこにこしている、気が強く喧嘩っ早いというものだった。

 進学した宇都宮学園でも先輩にいじめられたり、カツアゲされて現金を脅し取られていた。そんな彼の目に暴走族が魅力的にうつったのも不思議ではないのかもしれない。
 暴走族の仲間入りをした彼は、昼夜と働きに出ている母親が不在なのをいいことに、メンバーに自宅を溜まり場として提供していた。この頃、同じ暴走族のメンバーとなったCと再び親しくなった。

 1999年4月、高校を卒業したBは自分の父親も勤めていた日産栃木工場に就職する。須藤さんとここで出会った。
 6月、仕事帰りに交通事故を起こし、長期休暇をとる。会社に認められた休暇中に遊び歩ようになり、AとCとつるむようになる。


C

 実家は宇都宮市岩曽町。大手製菓会社勤務の父親とピアノ教室を開いている母親がいる。兄弟は弟一人で、同じ敷地内に母親方の祖母が住んでいた。家での実権は婿養子である父親ではなく、母親の方にあった。

 甲子園を沸かせた江川卓の高校として有名な作新学院に進学したCだったが、暴走族に所属していたことが判明し退学処分を受けてしまう。この時母親は「息子を立ち直らせたい」と車の運転免許を取らせた。教習費用はもちろん、新車で購入したら200万はくだらないホンダ・インテグラもC専用の車として買い与えている。これはのちに須藤さんを連れまわした車である。

 免許を取得したCは警備会社に一旦就職したが、入社早々家族での海外旅行を理由に休暇届を出した。結果、Cは1ヶ月も続かず、勤務態度を理由に馘首されている。
 失業したCはAに紹介され、鳶の会社に入る。そしてそこを辞めたあと、土木会社のアルバイトにもAに同行した。そこではAのそばを付き従うように離れなかったという。


【Aの暴走】

 1999年9月下旬、Aは自分に暴力団関係者の知り合いがいることをダシに、Bに金を要求する。「お金がない」と答えたBに、消費者金融での融資の受け方を教え、20万借り入れさせる。しかし、暴力団関係者に渡すはずのその20万円でその夜3人で飲みに出かけている。同じようにAはCにも金を要求する。CとBはその暴力団の陰を恐れ、断れなかったという。

「もう勘弁してください」
 2回にわたって50万円を借りたBと、自宅から数十万円持ち出していたCはAに泣きつく。
「だったら知り合いから金の借りられそうな奴を探し出して来い」
 Aはそう答えた。

 Bが目をつけたのは同期入社の須藤正和さんだった。Bはこのおとなしい同僚なら断らずに金を貸してくれるだろうと考えた。
 1999年9月29日、Bは須藤さんを工場近くのコンビニに呼び出し、Aを紹介した。
 「ヤクザの車と事故を起こし、修理代金を請求されている」とAは金を貸してくれと須藤さんに要求した。BとCは自分達が金を要求されないために、身代わりの須藤さんを差し出したのだ。


【両親の2ヶ月】

 9月29日、Aに金を要求された時、須藤さんは怯えた素振りを見せたと言う。Aはその態度に乗じて、強引に消費者金融の無人審査機で金を借りさせようとする。ところが、須藤さんは融資審査に通らなかった。これに激昂したAは須藤さんに銀行口座から7万円を引き出させる。その金で3人はパチンコや飲みに出かけた。須藤さんも付き合わされ、一緒にホテルに泊めさせられた。この日から、須藤さんは帰寮を許されず、頭髪を剃り上げられるなど暴行が始まった。

 10月4日、須藤さんの両親のもとに会社から6日間も無断欠勤が続いていることの連絡が入る。この時に須藤さんの携帯電話に連絡をとり、注意をした。この日の夜勤には須藤さんは出勤している。

 12日から、須藤さんの無断欠勤は再び続くようになる。この時点で、須藤さんが消費者金融や友人たちに借りさせられた金額は300万円近いものであった。

 14日、須藤さんは両親に「今、東京・上野にいて帰りの電車賃を貸してくれ」と電話を入れた。両親は不審に思いながらも、5万円を銀行口座に振り込んだ。

 10月17日、今度は仙台にいるという電話が入る。この時の携帯電話の番号が須藤さんと違うので、かけなおしたところ”斎藤”という男が出る。言うまでもなく、”斎藤”とは少年のうちの一人である。両親はこの頃、また須藤さんが無断欠勤しているとは知らない。

 翌18日、1週間続いた無断欠勤をおかしいと思い始めた上司が、須藤さんの両親に連絡した。そして上司と須藤さんの母親は栃木工場を管轄する石橋警察署に赴き、捜索願を出した。
 ことの重大さに気づいたの須藤さんの上司だった。「須藤さんに金を貸した」という社員が現れたためである。しかも消費者金融4社から計100万円もの大金を須藤さんに貸していた。この社員の証言により、須藤さんは1人ではなく見知らぬ男性2人(AとC)と金を借り歩いていることがわかった

 19日、このことで須藤さんの父親は石橋警察署に相談に行く。しかし、生活安前課の巡査部長はこう言った。
「息子さんの場合は自分が悪い。金を借り歩いているというが、どうせ他の人間にも分け与えて、おもしろおかしくあそんどるんだろう。警察は事件にならんと動けない」

 22日、両親は須藤さんが同僚から借りた100万円を返済した。郵便局の簡易保険を解約して工面した金だった。この間、須藤さんから電話が入る。
 「お父さん、迷惑かけてごめんね。お金はあとで必ず返すからね」

 この時に須藤さんが前の100万とは別に150万円もの大金を同僚・友人に借り歩いていることが発覚する。それらは須藤さんが無断欠勤を始めた時期と一致しており、両親は事件性が絡んでいることを確信する。

 父親が相談に行くと、石橋警察署の巡査部長は3度目の訪問にうんざりした顔で「またか。今日はなにしにきたんだ」と言った。須藤さんの父親が息子の背後の男2人の存在と莫大な借金から、監禁されているのかもと相談するが、「憶測でものを言うな!あんたの息子は麻薬でもやってるのとちがうか」と自身が憶測で言い放ったという。

 26日、両親は日産自動車の人事部から連絡が入る。これで4度目の呼び出しだった。この時の内容は、それまで須藤さんを有給扱いにしていたが、翌27日の午前でそれも切れるので、人事部としても出勤督促状を送付せざるをえないというものだった。

 27日、須藤さんの父親は須藤さんの友人関係に電話をかける。
「借金していないですか?もし借金を願い出てきても絶対に貸さないように。息子が現れたら連絡ください」
 電話をかけていくうちに、すでに知っていた250万の借金とは別にあらたな借金が発覚する。須藤さんが同級生から31万円を借りていたのだ。
 この日はこの同級生から2回にわけて借りた31万を須藤さんが返しにくる日だった。返済にやってくる須藤さんを一目見ようと、須藤さんの父親は離れたところで待機していた。これはこの同級生が「親には絶対言わないでくれ」と正和さんに言われており、「約束をやぶったら逆恨みが怖い」という同級生に迷惑をかけるわけにはいかないためであった。
 午後9時頃、須藤さんと3人が車でやってくるが、父親は須藤さんを発見することができなかった。この時の数十メートル隔てた距離が、親子最後の接近だった。この時は全額返済ではなく3万円のみの返済だったが、この同級生が須藤さんの右手に包帯がまかれていたことを父親に伝える。後述しているが、この日は須藤さんがリンチで火傷を負い、病院で治療を受けた日だった。

 28日、須藤さんの両親は居場所を知らないかとBの自宅に電話を入れる。Bの母親は「5日以降、息子とBとは会っていない」とこれを否定した。須藤さんの父親は日産の人事課にも同じ内容の電話を入れる。夕方、人事担当者から折り返し電話がきて、Bの発言がでたらめだったことが判明する。

 29日、人事課はBと母親を呼び出して聞き取り調査を行った。しかしBは知らぬ存ぜぬで、会社はそれ以上聞けなかったとそのままBを帰してしまう。

 この頃、また新たな借金が判明する。26日に会社の同僚から200万もの大金を借りており、さらに28日帝京大学生二人から20万を借りていた。この帝京大学生は須藤さんとは面識がなく、Cがガソリンスタンドでアルバイトをしていたころのバイト仲間とそのクラスメイトだった。「もう借金を頼むあてがない。」という須藤さんに、自身の知り合いを紹介したのである。この9月から10月の1ヶ月間で須藤さんの借金は総額500万円にまで膨れ上がっていた。須藤さんが借金を申し込むときの理由は大抵、「ヤクザの車と事故って弁償しなければならない」というものだった。この時に「貸せない」と言うと、須藤さんの脇にいたA,B,Cが脅していた。

 11月にはいると、須藤さんの両親は須藤さんの捜索だけではなく、須藤さんの友人達に借金を返済し謝罪する毎日をすごしていた。

 11月2日、両親のもとにまた新たな借金の申し出があったという知らせが入った。先月27日、31万貸して3万の返済があった同級生の父親からである。今回この同級生は父親に金を貸していたことがバレて通帳と印鑑を取り上げられていたので、須藤さんに金を貸すことはなかった。例の3人が乗っていた車のナンバーを控えておいた同級生の父親は須藤さんの父親にそのメモを渡す。このナンバーは27日に須藤さんの父親が目撃したものと同じであった。同級生は須藤さんの頬に傷があったことも父親に話した。

 同級生の父親に促され、その日のうちに須藤さんの父親は石橋警察署に問い合わせる。須藤さんの両親は、たびたび仕事を休んで60km離れた石橋町まで訪れるわけにも行かず、電話での問い合わせだった。応対したのは例によって生活安全課の巡査部長だった。車の割り出しはすんなり行われ、車の名義がCであることがわかった。連れまわしてるのはB、車の所有者はC、両親は3人のうちの2人までその存在を知ることができた。しかし警察は動かず、巡査部長は「逃げない須藤さんが悪い」と言い放った。両親に残ったのは警察への不信感だけだった。

 須藤さんの両親は、C宅を訪れた。しかし家族は不在で、車庫にも目撃していたインテグラもなかった。「親と同居だと、ここは監禁場所ではない」と判断し、その足で日産栃木工場に向かった。
 ここで会社から須藤さん捜索の法的措置のため、弁護士を紹介してもらう。弁護士の助言を得て、県警本部総合相談窓口を訪れるが解決のための具体案は見つからなかった。

 9日、あらためて石橋警察署に捜査を依頼するが、この時いつもの巡査部長は不在だった。しかし、他の警察官に「事件にならないと動けない」と言われる。

 11日夜、この前とは違う須藤さんの同級生が6日に須藤さんに消費者金融化から65万円、自分の預金通帳から35万を貸したが、返してもらってないと須藤さん宅に訪れた。

 12日、母親が須藤さんの携帯に電話をかけると、いつもは留守電機能に切り替わるがこの日はつながった。この時の電話で「何?何の用」と苛立ったような口ぶりだった。この時、母親がそれまで見たことのないような反抗的な態度で、なんの質問にも答えなかった。
「昨夜訪れた同級生から借りた分は自分達が返しといてやるから、迷惑かけたことは先方のお父さんに謝るように」と母親は話したが、返事はなく電話は切れた。しかし直後に、その同級生から母親に電話が入る。電話で須藤さんと変わった男に暴力団の名前をちらつかされ脅された、と言うのだ。
「あんたはBか、それともCか。ふざけるのもいいかげんにしろよ」
 電話をかわった同級生の父親がそう激しい口調で言うと、少年達から先程までの凄みが消え、おとなしく電話を切った。

 21日夜を境に、須藤さんは友人や同僚に金を借りるのをやめ、両親に金を無心するようになる。この時は「今仙台にいて前にお金を借りた人に返済したいから30万振りこんでくれ」と須藤さんは電話をかけてきた。両親は須藤さんに「金は振り込むから、姿を見せろ」と言うが、須藤さんは「それはできない」と聞かなかった。両親は30万を須藤さんの銀行口座に振りこむ。この時、どこで引き落とされるかを調べてもらうように依頼したところ、仙台ではなく東京の丸の内支店だった。

 23日夜、再び両親に金の無心の電話が入る。この時は”高島良男”と名乗る男が変わり金を要求したが、両親は「Bくんだな?」と言ったところ、電話は切れた。ところが、その後も何度も電話はかかってきた。電話を出れば、払う言われのない金を催促されるとわかっているので両親は無視を決め込んだ。須藤さんからの電話は深夜になっても切れなかった。須藤さんの両親は電話のモジュラージャックを抜いて就寝した。

 24日朝、電話のモジュラージャックを挿すと同時に電話が鳴った。母親が電話に出ると、須藤さんからだった。
「お願い。これが最後だから。だから30万振りこんで」
 母親は金は用意できない答えた。
「だったら20万でいい。20万でいいから」
「それならね、お金はなんとか用意するから、その前に会社に退職届を出しなさい。郵送で構わないから。そうすればお金を振り込んであげる」
 母親はそう言って電話を切った。
 日産自動車は有給休暇を過ぎても出勤してこない須藤さんに退職勧告を出していた。
 その後、郵便局員を装った少年に騙され、母親は20万円を振り込んだ。

 25日午前、須藤さんから電話がくる。
「昨日、30万と言ったでしょ。20万しか入ってないじゃない。借金を綺麗に返して帰りたいから、あと10万、それから家に帰るための5万、計15万円を振り込んでよ」
 須藤さんが仙台ではなく都内にいることは知っていたが、”家に帰りたい”という言葉を信じて振りこんだ。
 21日から25日までの4日間で両親が振り込んだ金額65万円にもなっていた。
この日の夕方、振りこんだ銀行の支店長から電話があり、今回も丸の内支店で引き出しており、防犯カメラによると須藤さん本人が来ていたことがわかった。須藤さんは顔をかくすようにフードを深くかぶっていたが、一見してわかる火傷のような跡があったことも知らされた。
「かなりひどい火傷のようです。どうなさいますか、差し出がましいかもしれませんが、ここは警察にお願いしては・・・。防犯カメラの画像は鮮明ではないが、証拠にはなる。警察が事件として動いたら、いつでも資料として提供する」
 支店長はそう言った。さらに両親はあらたな事実を知る。主犯格Aの存在だった。これまで須藤さんは同僚だったBと、車の所有者Cの2人で行動してると思っていたが、カメラに第3の男が映っていたのである。

 26日、両親は以前会った会社の弁護士に会いに行くが不在で、知り合いの町議に紹介された新江弁護士に相談するが「須藤さんが出てこないことには話は前に進まない」と諭された。さらに須藤さんの同僚から電話があり、新たな借金が発覚する。その金額は数回にわけて貸した211万円という大金だった。両親はそれを聞いて打ちのめされた。両親はそれまでの借金を返していく中で、手元にほとんどお金が残っていなかったのだ。
 この日、須藤さんから「また15万円振り込んで欲しい」と電話が入る。ここで父親の堪忍袋が切れて、電話のモジュラージャックをひき抜いた。思案に尽きた両親は石橋警察署に電話をした。生活安全課では埒があかないと、刑事課につないでもらった。
「事件にならないと動けないが、Cの親が捜索願を出せば、事件として扱えるかもしれない」
 ようやく返ってきたのはこんな台詞だった。この日のうちに両親はBとCの親に連絡をとった。

 30日、須藤さんの両親はB・Cの保護者に直談判するため、Bの母親、Cの両親とファミリーレストランに集まった。須藤さんの父親は判っている詳細を話し、頭を下げて協力を求めた。この時の父親の心境は怒りや恨みではなく、須藤さんを連れ戻したい一心であった。話を聞いていたCの父親がもう一人はAではないかと話した。この時にAの素性が明らかになった。Cの父親によると、自分達でも宇都宮署に捜索願を出していたが、受理されなかったと言う。Cは家を出っぱなしになっていても2週間や10日に1回は帰ってきていたので、家出人に当てはまらなかった。Bの母親も同じような理由で受理されなかったと話した。
 須藤さんの父親はBとCの親にもう一度捜索願を出してもらうようにお願いした。BとCの親は同意し、その足で宇都宮東署へ向かったが、生活安全課は受け付けようとしなかった。須藤さんの捜索願が石橋署で出されているのなら、石橋署が担当だと言う理由からだった。

 やむなく三家族は石橋警察署に向かう。しかしまたしても生活安全課の巡査部長は動こうとせず、迷惑そうに話を聞くだけだった。ようやく巡査部長が折れ、Cの車の手配をすることを了承した。
 この時、須藤さんから電話がはいる。咄嗟の判断で、須藤さんの父親の友人を装って、この巡査部長に電話を変ってもらうように母親が提案した。友人を演じることで、須藤さんが今どんな状況なのか探ってもらおうと考えたのだ。
 電話を替わってしばらくは巡査部長も友人役をうまく務めていた。少年のうちの1人が須藤さんと電話を替わり、「あんた誰だ」と尋ねてきた。ここで巡査部長の決定的な失態が起こる。
「誰だと?石橋の警察だ!」
 巡査部長がそう答えた瞬間、電話は切れ、巡査部長は「あっ切れちゃった」と携帯電話を両親に返した。

 この巡査部長が警察官と名乗ったことで、3人の少年が激しく動揺する、。そして「事件が発覚しそうだから、須藤を殺して埋めてしまおう」と少年達は考える。この一言が須藤さん殺害のきっかけとなるのである。


【少年達の2ヶ月】

 須藤さんを連れまわすようになってからはほとんどホテルで寝泊りするようになった。巻き上げた金でパチンコ、風俗店、居酒屋、クラブイベントなどで遊んでいた。

 ある日、殺虫剤のスプレーを噴出しながら、ライターの火をかざして、火炎放射器のように須藤さんに浴びせた。炎を向けられる恐怖と熱さに須藤さんは泣き叫ぶこともあった。しかし、そんな苦悶の表情を浮かべる須藤さんを見て、3人は面白がっていた。また、高温にしたシャワーのお湯を須藤さんにかけることもあった。最初は酒を飲ませて泥酔にさせた須藤さんを起こすためにシャワーをかけたのだが、そのうち温度を上げていき楽しむようになった。この熱湯シャワーを浴びた須藤さんはよっぽど痛く怖かったのか、逃走を試みている。あとにも先にも須藤さんが逃げ出そうとしたのはこの時だけである。すぐに捕まった須藤さんは罰として再び熱湯をかけられる。そのうちシャワーのお湯だけでは飽き足らなくなった3人は、湯沸し器のお湯をかけるようになる。湯沸し器のお湯の熱さはシャワーの比ではなかった。この暴行をそれぞれ「キンチョール」と「熱湯コマーシャル」と名づけ、日常的にこうした行為を続けていた。煙草の火を須藤さんに押付ける「根性焼き」というものも頻繁に行われていた。

 10月27日、須藤さんは繰り返される「キンチョール」と「熱湯コマーシャル」による火傷の治療を受けた。このときの診察記録によると熱傷で皮膚が裂け、内部から膿が出ている状態だった。皮膚は移植手術を施さないと元に戻らないほどに悪化していた。

 Aは須藤さんに酒を飲ませ、口からウィスキーをこぼしたりすると躾と称して、BとCに制裁を加えさせた。しかし、BとCがAの命令だけで暴力を加えていたわけではない。2人は自主的に須藤さんをリンチしていた。Cは火傷による水腫れになった須藤さんの耳たぶを爪楊枝で突き刺したりした。BはAの不在時、木製の靴べらが折れるまでを殴り、須藤さんの鼓膜を破っていた。
「こんな奴、どうなったって構いやしねえんだ」
 Bは口癖のようにこう叫んでいた。

 須藤さんから巻き上げた金を使っての遊興は終わらず、この間に北海道へは4回も旅行している。行き先は登別温泉だった。飛行機ではAがスーパーシートに座り、他はエコノミーに座った。出発直前の飛行機内で「ハイジャックするぞ。この飛行機をハイジャックするからな」と須藤さんが言わされ、騒ぎが起こり、離陸が遅れたこともあった。離陸してから、少年達は須藤さんに延々と消費者金融のCMソングを歌わせている。

 ある時、Aの携帯電話にBの母親から電話がかかってきたことがある。この時、Aはこう話した。
「須藤ってどうしようもないやつなんですよ。B君やC君から金を借りてるんです。俺も・・・、ちょっとだけ貸しています。あいつは、俺達が金を巻き上げているって行ってるみたいだけど、全部宇嘘っぱちだから信じないでください。こっちの方が被害者なんですよ」

 11月18日、Cが駐車違反の手続きで宇都宮東署を訪れている。当時、すでにリンチ事件が発覚していると思っていたCは「逮捕される覚悟で出頭した」と後で話している。この時、応対した女性警察官に「なぜ逮捕しないんですか」と尋ねたところ、警察官は「なぜ逮捕するの」と聞き返したという。少年の行方を捜していた父親から相談を受けて同署は少年の写真を預かっていたが、署員は気付かなかった。

 11月半ば、Aは「須藤殺しちまおう」と口癖のように言うようになる。BとCはこの時は同意せず、Aをなだめるような態度をとっていた。

 11月末、都内の高校生D(当時16歳)が同行するようになる。


【須藤さんについて】

 両親は那須郡黒羽町で理容店を営んでいる。

 正和さんは性格的には両親も心配になるほどのおとなしく優しい性格だったと言う。虫も殺せない性格で、同級生の話によると、部屋の中に虫が入って来たりすると、叩き殺したりせずに窓を開けて逃がしてあげるほどだった。おとなしいからと言って決して目立たないような存在ではなく、学生時代はよく冗談を言っては笑わせると言う人気者だった。須藤さんの同級生があれだけの大金を貸したのも、Aにすごまれたからだけではなく、須藤さんの人柄を信頼しきっていたから、というのも同僚や友人達の証言で明らかになっている。

 1999年春、高校を卒業した須藤さんは日産自動車栃木工場に就職する。ここで同じ新入社員Bと出会う。2人は同じ第二鋳造部に配属され、同じ更衣室でロッカーが隣同士になった。このBとの出会いによって須藤さんの人生は台無しになる。須藤さんは車が好きで、自分の車を買うために月々2万円の積み立てをしていた。

 須藤さんはここまでいいように利用されて、連れまわされて、めちゃくちゃに暴行されて、なぜ彼らのもとから逃げようとしなかったのか。
 まず第一に須藤さんがトイレに行く時も、3人のうち誰かが見張りにつくほど彼らは用心深かった。
次に時期は定かではないが、4人を乗せた車がたまたま須藤さんの実家近くを通りかかった時、須藤さんはCに次のように脅されている。
「逃げようと思うなよ。逃げたらお前の親父も、お袋も、妹も婆さんも皆殺しだからな」
 須藤さんは家族のことを思うと、とても逃げられなかったのではないか。


【殺意】

 1999年11月30日、須藤さんの両親に金を要求させたところに警察官が電話に出た。警察が動いているということを知った少年達は動揺する。Aは保護観察処分が解けて半年も経っていない時期だったので、なんとしても今捕まるわけにはいかないと考えた。
「人相を変えよう」
 その日のうちに3人は髪を金髪に染めた。

 12月1日午後6時、Cの運転していた車がオートバイに乗っていた男性と接触事故を起こし、そのまま逃走した。あわてて逃げたCは相手の被害状況も把握しておらず、オートバイの男性が被害届を出していればCの車が手配されるのは必至だった。追い詰められた3人は鬼怒川の河川敷に集まり、Aが須藤さん殺害を提案する。この時は3人の他に都内でであった現役高校生Dもいたが、Dはこの会話には参加していない。AはBとCに「明日までに決めておけ」と言った後、宇都宮市内のガールフレンドのところに遊びに行った。

 2日午前8時、Aが再び現れBとCに昨晩の答えを求めると、BとCはなかなか即答しなかった。その時、Aのもとに宇都宮東警察署の生活安全課の刑事から電話が入る。これは昨晩の交通事故の件で逃げたCの所在を知りたいというものだった。
「おい、悠長に構えている暇はないぞ。警察が動き出しているんだ。Cの居場所を捜しているんだよ。わかっただろ、もう殺るしかないんだ」
 Aがそう言うと、BとCの二人も同意した。


【須藤さん殺害】

 1999年12月2日、午後2時過ぎ、A・B・Cの3人は市貝町の山中で穴を掘り始めた。この前に作業着、スコップ、長靴、桶、砂利、ベニヤ板。プラスティックのタンクなどを宇都宮市内で購入している。これら殺害に使われた道具も須藤さんの口座に振りこまれていた退職金を引き出して購入した。

 Dはこの穴掘り作業を車の中から見ており、後部座席にいた正和さんにこう言った。
「あれ、須藤さんを埋める穴じゃないッスよね」
 須藤さんは「生きたまま埋めるのかな・・・、残酷だな」、3人の作業を見てつぶやいた。
 やがてDも穴掘りを手伝わされた。

 運転席のAが後部座席に座る須藤さんに、何か歌えと命じた。須藤さんが歌わされたのは北海道行きの飛行機の中でも歌わされた消費者金融のCMソングだった。
「Aさん、あの・・・」
 歌い終えた須藤さんはそう言いかけてやめた。これが須藤さんの最後の言葉だった。

 セメントの準備ができたことを確認すると、BはDからネクタイを受け取る。このネクタイはBが身につけていたもので、「あとで焼却すれば証拠は残らない」とAが凶器に選んだ。須藤さんは服を全部脱ぐように言われ、丸裸になり地面に正座で座らされた。BとCが須藤さんの両脇に立ち、左右から須藤さんの首をネクタイで絞めつけた。この時、Aはカーオーディオの音量を上げ、須藤さんのうめき声をかき消している。やがて、須藤さんは失禁し、血を吐き、うつ伏せに倒れこんだ。Cは怖くなり、持っていたネクタイを放してしまう。すると、BはCの持っていた部分をとり、背後から首を絞めつけ殺害した。

 殺害後、須藤さんの遺体をコンクリ詰めにして、穴に埋めた。使用したネクタイは焼却しようと火をつけたが、途中までしか燃えなかった。そして車内に須藤さんの指紋などが残っているのを案じたAがCに車の処分を命じる。親に買ってもらった高級車だが、Cはあっさりこれを了承するDを含めた4人は須藤さんの衣類や、犯行に使ったポリタンクを捨てながら鬼怒川のダム湖に向かった。ここで車のナンバープレートをはずし、窓ガラスを割り、ダム湖に沈めようとしたが、車の前部を湖面につけただけでうごかなくなり、この日はこれで放置した。

 この夜、4人は宇都宮市内のホテルに宿泊した。ビールで乾杯しながら、「15年間なんとか逃げ切ろう」と話したという。この時、殺害した瞬間を見ていなかったAは「どんな風にやったんだ」とBに須藤さんを殺した時の再現をさせた。人を殺した気持ちの高ぶりを抑えられなかったBは残る3人の前でマスターベーションすら始めた。4人はその後、追悼花火と称してホテルの駐車場で花火を楽しんでいる。

 翌3日、同じホテルに泊まっていた4人は須藤さんが生きているように見せかけるため、須藤さんの携帯電話から両親に電話をかけている。無言のいたずら電話だった。折り返し、須藤さんの父親は電話をかけてくるが、Bが鼻をつまみ、須藤さんの声色を真似て短いやりとりを交わした。

 4日、4人はCの車を放置しておいたダム湖にむかった。沈めそこなった車を徹底的に破壊し、塗料を塗って車種がわからないように細工した。昼過ぎに作業を終えた四人は、翌5日に高田馬場にあるウィークリーマンションで落ち合うことを約束して、分散した。彼らは当分のあいだ、宇都宮を離れ、東京で暮らすことを考えていた。Aは自宅に戻り、残る3人は東京に向かった。自宅にガールフレンドを呼び寄せたAは両親と4人で夕食をとっていた。現職の警察官で、須藤さんの失踪に関わっていることをすでに知っていたAの父親はこ晩餐で息子になにも問わなかった。

 この日の前日、須藤さんの両親とBの母親がA宅を訪れている。それぞれ自分の息子の所在を尋ねるためである。Cの両親は須藤さん捜索を疎ましく思っていたのに対して、Bの母親は協力的な態度をとっていた。
 この時に応対したAの父親は「たしかにうちの子は悪い。殺してやろうかとも思った」と言い、警察に提出するための書類を見せられると「なるほど。事件になったら、さぞかし役に立つでしょうな」と他人事のように語っていた。

 同じく4日、港区の自宅に戻ったDがいたたまれなくなり母親に事件のことを打ち明け、三田署に出頭したことにより発覚した。事件が須藤さん死亡という最悪の形で終結するまでに、A・B・Cの3人は728万円もの金を巻き上げていた。
 須藤さんの遺体を司法解剖した法医学者は、「重度の火傷と数々の暴行で、そのまま放置しておいても死亡していたに違いないほど衰弱していた」と語った。

 12月6日朝刊に事件のことが報じられる
「十九殺害 コンクリ詰め 暴走族仲間 『リンチばれる』 栃木の山林に遺体 少年4人逮捕」
 当初、あたかも須藤さんが暴走族のメンバーだったかのような報道がされた。


【逮捕後の少年たち、親は】

 須藤さんの葬儀が行われた。この時Aの両親が列席していた。Aの両親に対し須藤さんの母親は「見てください」と棺を開けた。顔が激しく腫れ上がり、火傷の跡がどす黒く爛れた痛ましい遺体だった。Aの両親は黙って遺体を見つめていたが、まもなくAの父親はこう切り出した。
「家内の調子が悪くなったようなので、今日のところはこれで失礼させてもらっていいだろうか」
 この時、須藤さんの父親は激昂して叫んだ。
「ふざけるな。うちの息子は殺されたんだぞ。帰るならせめて火葬が済んでからにしたらどうだ」
 須藤さんの父親が大声を張り上げたのはこのときだけだった。

 須藤さんは会社の労組が窓口となった25年満期の生命保険に入っていた。須藤さんの死後、死亡保険金がおりたのだが、その受取人の名義欄には須藤さんの直筆で「未来の妻子」と書かれていた。それを見て須藤さんの両親は号泣したと言う。

 事件後、須藤さんの父親は「これは倅の会社の車だから」と日産ローレルを売り飛ばし、トヨタ車に乗り換えた。


【裁判】

 2000年6月1日、宇都宮地裁、Aに判決。無期懲役。

 同年6月9日、Aが控訴。

 同年7月6日、宇都宮地裁BとCに判決。Bは求刑通り無期懲役。Cは5年から10年の不定期刑。

 2001年1月29日、東京高裁、Aに一審と同じく無期懲役。

 同年2月13日、Aの刑確定。


 2006年4月12日、遺族が県などに約1億5000万円の損害賠償を求めた訴訟で、宇都宮地裁・柴田秀裁判長は「被害者の生命、身体に対する危険が切迫していることは認識できた」と捜査の怠慢を認め、県と元少年2人に計1億1270万円(県の賠償限度額は9633万円)の支払いを命じた。警察の対応と殺害との因果関係を認めたのは、神戸・大学院生リンチ殺人事件に次いで2例目だった。

 ただこの後、須藤さん方に「血税を1億も取ったんだから出て行け」、「いつまで被害者を装って英雄気取りしてるんだ」という悪質な手紙が届いた。
 さらに07年3月28日の控訴審で、東京高裁・富越和厚裁判長は県に約9600万円の支払いを命じた一審判決を変更し、大幅に減額した1100万円の賠償を命じた。宮越裁判長は、県警の捜査ミスは認めたものの「殺害を阻止できたとまでは認められず、救命の可能性は3割程度」と指摘した。


リンク

黒羽町・宇都宮市・市貝町などの位置           
http://map.yahoo.co.jp/address/09/

現場警察への応援歌  「なぜ警察は動かなかったか」
http://www.akuroki.jp/w-asahi/article1.html

ご両親のホームページ 「わが子、正和よ」        
http://park17.wakwak.com/~tochigi-rinchi/

須藤さんが勤務していた日産自動車・栃木工場     
http://www.nissan.co.jp/INFO/FACTORY/TOCHIGI/

ホンダ・インテグラ                       
http://www.honda.co.jp/auto-lineup/integra/
            


≪参考文献≫

角川書店 「十九歳の無念」 三枝玄太郎
社会思想社 「20世紀にっぽん殺人事典」 福田洋 
草思社 「警察はなぜ堕落したのか」 黒木昭雄
草思社 「栃木リンチ殺人事件 警察はなぜ動かなかったのか」 黒木昭雄
草思社 「わが子、正和よ」 須藤光男・洋子
宝島社 「別冊宝島 猟奇事件ファイル 【悪魔と呼ばれた人間たちの犯罪履歴書】」 
東京法経学院出版 「明治・大正・昭和・平成 事件犯罪大辞典」 事件・犯罪研究会・編
ミリオン出版 「別冊ナックルズ 昭和三大事件」 


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