米国総領事官邸メイド殺し事件




【事件概要】

 1951年5月1日早朝、東京・港区の米国総領事官邸で、メイドが殺されているのが見つかる。官邸内や敷地内には盗み出された衣類などが散乱しており、その手口や指紋などから前科5犯のY(当時33歳)が逮捕された。


Y


【米国総領事官邸】

 1951年5月1日、東京・港区麻布富士見町にある米国総領事ジェームズ・B・ビルチャー氏(当時60歳)の官邸で事件は起こった。

 午前6時前、同邸のメイド・E子さん(当時21歳)は、同僚のK子さん(28歳)を起こしに行った。K子さんは普段から朝が弱く、年下のE子さんが起こしにいく習慣となっていた。
 だが部屋をノックしても応答がない。
 襖は少しあいており、隙間からK子さんの足が出ているのが見えた。そこへコックの女性(当時58歳)が出勤してきて、2人で襖を開けてみた。
 すると、4畳半の布団の上でK子さんが死んでいるのを発見、2人は主人のビルチャー夫妻に報告、ただちに警察に届けた。

「官庁一体となり、能力を結集して早期解決を期せ」
 田中警視総監はそう指示を出した。米国総領事館で起こった事件である。しかも警視庁が米軍当局と協議した結果、全面捜査を依頼された。このため日本警察の威信をかけて捜査する必要があった。麻布署にはただちに特別捜査本部が設置されている。


【散乱した衣類】

 官邸は赤レンガの壁をめぐらした2階建ての立派な建物である。この邸宅にはビルチャ―総領事、夫人(当時57歳)、令嬢の3人が住む。他に運転手(男性 当時28歳)、ボイラーマン兼ハウスボーイ(男性 当時22歳)、コック、そしてメイドのK子さんとE子さんの5人が雇われており、その兄弟・親類なども数名寝泊まりしていた。

 E子さんの証言によると、事件前日の午後7時頃、台所にて運転手とその兄、ボイラーマンの4人で雑談しているところにK子さんが帰ってきて仲間に加わってきた。K子さんは4月初めから当家に雇われており、青山学院の夜学に通っていたので帰るのはいつも午後8時ごろだった。美人であり、総領事のお気に入りで、留学させるという条件付きで住みこんでいた。
 このあとE子さんとK子さんは、9時までラジオの連続放送劇を聞いて、互いの寝室に戻った。この時にはまだ主人は帰っておらず、その帰宅も知らない。


 K子さんの遺体は仰向けで2つ折りのマットレスに挟まれており、上半身にはシーツがかぶせられていた。両手を頭の上に伸ばし、両手首は前掛けの紐と縛られていた。左足の上には黒革のカバンと黒いハンドバッグが置かれており、カバンの中の財布の現金は抜かれていた。死因は絞殺。首のまわりには鹿の子絞りの帯上げが巻きつけられていた。

 K子さんの部屋の隣りはトイレである。このドアは開かれたままとなっていた。しかも中のタイル張りの床の上には6点の衣類が散らばっており、西側の窓に外から取り付けてあった網戸が外されて、傍らに立て掛けられていた。窓の下にはスカートや、ネクタイがかかったままの衣紋掛けも落ちていた。裏庭の芝生には紙幣、塀のそばの草むらからは婦人用靴下、スーツ、ワンピース、セーター、ワイシャツなどがあった。塀の外側には土に汚れた男物の靴下と白いハンカチがあった。このほか200m離れた空地の藪の中から背広を包んだ風呂敷袋が見つかる。散乱した衣類は、男物の靴下以外はすべて官邸から盗み出されたものだった。

 遺留品から 犯人は塀をのぼり、トイレの高窓から侵入して、K子さんの部屋に押し入り殺害。衣類や現金などを奪って、靴下のまま逃走したものと見られた。
 犯人については官邸内部説と外部説と半々にわかれたが、現場が現場だけに内部説の線での捜査は困難だった。
 内部説で疑われたのは運転手の兄である。彼はあるバイヤーの運転手をしていたが、主人が帰国したので住むところを失った。妻子は茨城に疎開したままで、約1週間前から弟のところに内緒で居候していた。事件が起こると、「自分がいれば、弟に迷惑をかけるかもしれない」と、渋谷区の別のバイヤー邸に住みこみで働くようになった。


【指紋から】

 鑑識課指紋係は官邸内から指紋を採取して、官邸内全住人の指紋と照合。13人分の指紋のうち、2人分の指紋だけ合わなかった。
 4日午後2時、指紋から福島出身の住所不定・無職、窃盗詐欺前科5犯のY(当時33歳)という男を割り出すことに成功。Yは区内の外人宅荒らしの重要犯人として、指名手配されていたこともあわかった。Yの手口は、盗品をいったん近くの空地に隠し、後で取りに来るというもので、総領事館事件でもそれは一致していた。

 5日、Yは浅草公園六区、花月劇場前で張り込んでいた刑事に逮捕された。
 当初Yは「自分は窃盗専門であり、殺しはやらない」と犯行を否認していたが、遺体の下に自分の帽子があったことを追及されると、ようやく自供した。
 Yは事件当夜、総領事官邸の衣類を盗んでは、風呂敷包みで外に隠し、これを2回繰り返した。3度目に入った時、K子さんが目を覚まし、英語で何かを喋った。Yは金を要求してK子さんの手首を縛った。その時情欲にかられ、押し倒したが抵抗するので首を絞めたという。

 Yは翌52年5月11日、東京地裁で無期懲役が言い渡された。


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≪参考文献≫

鏡浦書房 「鑑識捜査」 遠藤徳貞
人物往来社 「捜査課長メモ」 三宅修一
清風書房 「死刑囚の記録 明治・大正・昭和・百年の犯罪史」 日本犯罪心理研究会・編


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