大阪摂津市・小2児童誘拐事件




【事件概要】

 1999年12月20日、JA北大阪山田支店課長代理・寺西功さん(当時36)の長女で、市立味生小学校2年の寺西沙弥夏ちゃんが何者かに連れ去られた。
 まもなく犯人からの電話があり、功さんの妻・尚美さんは指示通りに身代金を持ち、約束の場所に届けた。しかし、犯人はあらわれず、「子供が返す」と電話で話す。22日朝、沙弥夏ちゃんを無事保護。

 翌00年4月6日、元・市職員で警備員の川端久男(当時51)が逮捕された。
 この事件は誘拐・関西弁・身代金受け取りの場所の指示などグリコ・森永事件とよく似たところのあるものだったが、関連はなかった。


川端久男


【事件の流れ】

 1999年12月20日午後3時30分、沙弥夏ちゃん、自宅から400m離れている市立味生小学校校門前で同級生と別れたのち行方不明となる。この日、友達と九九の練習をしていて放課後残っていた。

 午後5時50分、不審な電話が寺西さん宅にかかってきた。沙弥夏ちゃんを母親と一緒に探していた担任の女教諭(当時45)がこの電話にとるが、雑音ですぐ切れた。
 5分後、また電話が鳴り、今度もよく雑音がひどかったが、「上新庄の郵便局の赤い・・・裏・・・・」という部分が聞き取れた。両親が警察署に捜索願を出す。

 午後8時20分、捜査1課の捜査員が東淀川区内の郵便局のポストの裏にA4サイズの用紙三枚が8つ折りになっている文書が貼られているのを発見。紙には「子供を預かっている。警察に連絡すれば意地でもこの子は殺す」と書かれており、身代金として4200万を要求していた。文書はワープロ打ちで、カタカナ部分だけ手書きで書かれていた。兵庫県警を「兵ご犬警」と記しており、この時点でグリコ・森永事件との関連が噂された。

 その後も犯人からの電話は続いた。
「死んだらとりかえしつかへんで」
「子供の命とお金、どっちが重たい?」
「子供が死んだら親と警察の責任や」

 21日午後2時過ぎ、母・尚美さんが伝言サービスに「金は用意した。必ず持っていく」と入れ、タクシーで出発。

 午後4時すぎ、文書の指定していた北区の喫茶店に到着。しかし4時30分を過ぎても、犯人はあらわれなかった。

 午後5時38分、自宅に犯人から「阪急上新庄駅の南出口の公衆電話に鍵がある」と連絡が入った。
 尚美さんが上新庄駅の公衆電話コーナーに着いて待っていると、尚美さんの携帯電話が鳴り、「コインロッカー横の公衆電話に鍵がある」と言ってきた。尚美さんが置いてあった鍵でコインロッカーを開けると、中に携帯電話と「用意したカバンに金を入れ、摂津市役所まで来い」と書かれたメモが入っていた。以後、この犯人が用意した携帯電話に連絡が入るようになる。この携帯電話はプリベイト式携帯で、証明書提出なしで使用できるこの携帯を使うことによって、警察の傍受にかく乱を狙ったとされる。

 その後、郵便局、ホテル、市役所前バス停、パーキングエリア、ファミリーレストランなど次々と犯人が指定した場所に移動させられた。

 午後8時25分、犯人から7回目の電話がかかってくる。尚美さんが「子供の声を聞かせて」というと、子供らしい声に替わった。「お母さんよ、わかる?」と尚美さんが聞いたら、子供は「わかる」と答えた。犯人はそれまで裏声で話していたが、この電話から普通の声で話している。

 その7分後、またしても電話がかかってくる。犯人は前の電話に出た尚美さんの対応を、婦警が扮していたと疑ったのか、「警察に通報したやろ。生年月日を言え」と言ってくる。尚美さんは冷静に生年月日を答えた。

 午後9時03分、尚美さんが「沙弥夏、沙弥夏ももう返してくれるの」と尋ねると、犯人は「15分くらいで返すから」と答えた。直後、尚美さんは夫・功さんと合流し、車で移動しながら犯人との接触を図った。

 22日午前1時、名神高速道路の千里山トンネル付近の路側帯から一般道に身代金が入ったカバンを落とす。(このカバンは5時間後、功さんが回収している)

朝になって、11回目の電話がかかってくる。
「金はいらん。子供は返す」と犯人が言ってきた。

 午前9時半30分頃、鳥飼上三丁目にある公園のベンチで沙弥夏ちゃんが座っているのを近所に住む女性(当時28)が発見。「おじちゃんに連れていかれた」と話し、しきりに「テラニシサヤカ」と繰り返した。女性は連れて、近くのローソンにある公衆電話から通報。警察によって無事保護された。外傷などはなかった。

 沙弥夏ちゃんの話によると、
「下校途中に車から、おもちゃが落ちてきて拾おうとしたら、おじちゃんに車に押し込められた」
「おじちゃんがから『騒ぐと殺す』と脅されて、車の中でじっとしていた」
 目隠しや口をテープでふさがれたりはなかったという。


【川端について】

 1972年、追手門大学卒業後、茨木市役所に入る。同僚によるとおとなしくて内気な感じで出世が遅いタイプだったという。

 1998年春、資産税課主査だったが複数の同僚に借金を申し込んだことから、人事課が退職を勧告。 翌99年11月、事件の1ヶ月前に退職している。また、同年2月には茨木市にマンションなどを差し押さえられ、自宅の敷地を宅地として切り売り、同8月にはマンションも手放していた。

 川端は競馬などのギャンブルや、財テクにはまり、すでに身代金とほぼ同額の4000万円の借金があり、自己破産手続きも進めていた。寺西さん宅を狙ったのは豪邸を見て資産家だと思って狙いを絞り、事前に下見をしてマイカーのナンバーを控えたという。

 事件当時は無職だったが、逮捕前の3月から警備員として働いていた。家には犯罪のマニュアル本なども数冊見つかったという。


リンク

摂津市 東淀川区などの位置      
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=34.46.25.8&el=135.33.53.6&la=1&fi=1&sc=4


≪参考文献≫

朝日新聞 12月22日付夕刊 他


事件録】 【Top