長崎・小6女児の同級生殺害事件




【事件概要】

 2004年6月1日昼過ぎ、長崎県佐世保市立大久保小学校で、6年生のA子(当時11歳)が、同級生の御手洗怜美さん(12歳)を殺害した。2人は仲が良かったが、前月から些細なことで険悪になっていたという。


A子


【学習ルーム】

 教師が異変に気づいたのは昼のことだった。
 2004年6月1日午後0時半過ぎ、長崎県佐世保市立大久保小学校では、給食を食べる時間だったが、6年生の女子児童2人が姿を消していた。

 午後12時40分頃、いなくなっていた少女が1人帰ってくる。少女の服には血がついていた。
「私の血じゃない」
 少女はそう叫んだ。
「怜美ちゃんはどこにいるの?」
 担任が尋ねると、少女は50mほど離れた同じフロアの「学習ルーム」の方を指差した。
 担任が学習ルームに行ってみると、入り口付近でクラスの御手洗怜美さん(12歳)が首からおびただしい量の血をだして横たわっていた。救急隊が到着した時にはすでに心配停止状態だったという。

 服に血のついていたA子(当時11歳)に事情を聞いたところ、カッターナイフで切りつけたことを認めた。


【A子 ―ミニバスケとホームページと「バトルロワイヤル」―】

 A子は両親と祖母、高校生の姉の5人暮らし。家は市の中心部からはずれた山間部で、近所は同じ名字の多い、血のつながりが濃い集落だった。両親は東京で恋愛結婚、父親が婿入りするという形で佐世保市に住んでいた。

 A子が2歳の時、生命保険会社に勤めていた父が脳梗塞で倒れ、寝たきりになる。その後、リハビリの成果もあって回復したが、母親はパートに出るようになり、祖母も農作業に出ていたこともあって、A子は1人で遊ぶことが多かった。

 4年生の時、御手洗怜美さんが大久保小に転校してきた。同小は1学年1クラスなので、同じクラスになり、2人は自然と仲が良くなっていた。

 事件の2年ほど前から、映画「バトルロワイヤル」やその小説を好んで見るようになった。「バトル〜」は小さな島に中学生が閉じ込められ、最後の1人になるまで殺し合うという内容のもので、小学生が見るには刺激が強すぎるとされていた。A子はこの作品にすっかり影響を受けたようで、R15指定である「バトル〜U」のDVDを姉の会員カードを使ってレンタルショップで借り、何度も観ていた。またホームページや事件後にランドセルの中から見つかったノートには、「バトル〜」そっくりの自作の小説が書かれていた。ちなみにこの作品には怜美さんの名字の女の子が殺されるシーンがある。
 
 5年生の2月、A子はホームページを立ち上げている。小学生とは思えない、なかなかの出来映えのものだった。怜美さんら友人にも作り方を教え、楽しんでいた。また他の友人を含む3人で04年4月からは掲示板を使っていた。

 5年生の時から、ミニバスケットボールを始めている。しかし、成績が下がり始めたため、両親に辞めるように命じられた。A子は泣きながら監督に退部を申し入れている。直後、HPには「私には親なんてもういない」と書いた。
 2月、ミニバスケットボールのメンバーが不足していたことから、試合に出て欲しいという要請が来た。A子は2日間の大会に参加し、優勝することができた。TV局のインタビューも受け、A子にとっては誇らしい出来事だったが、両親の考えは変わらず、結局クラブの活動はこれが最後となった。

 少女が変わったというのは3月頃からだった。机などを蹴っ飛ばすだけでなく、男子に対して叩いたり蹴ったりするようになった。事件の1週間前には、男児にカッターナイフを振り上げるということもあった。A子のホームページの日記にはクラスメートに対する日頃の鬱憤が吐き出されていた。
「うぜークラス 下品な愚民や 高慢でジコマンなデブスや カマトト女しったか男 寝言言ってんのか?って感じ。顔洗えよ」

 5月27日、事件につながるひとつの出来事がおこる。
 学校で、「おんぶごっこ」をしていた時に怜美さんから「重い」と言われたのである。A子はミニバスケを辞めた後、太ったことを少々気にしていた。怜美さんに謝罪を求めたが、事件の4日前に彼女のHPに「言い方がぶりっ子だ」と書かれてしまった。A子はすぐにこの書きこみを削除した。
 これ以降、2人の仲は険悪になる。実はこれ以前にも掲示板の書きこみや交換日記で怜美さんに気に障ることを書かれるなどしていたため、仲直りすることはなかったという。A子はパスワードを使って怜美さんのHPに侵入し、アバター(着せ替え)人形を抹消したりするなど、荒らしと呼ばれる行為を行なった。

 事件の2日前、A子の殺意は固まっていた。絞殺、アイスピックで刺す、カッターナイフで切るという3つの殺害方法から、カッターナイフを選んでいる。これは首を絞めたり、アイスピックで刺すのでは怜美さんが死なないのではないかと思い、消去法で選んだものだったという。

 6月1日、A子は怜美さんを教室と同じフロアにある「学習ルーム」に連れ出した。カーテンを絞め、怜美さんを椅子に座らせると、タオルで目隠ししようとしたが、嫌がられたため、後ろから手で目隠しするようにして右頚動脈をカッターナイフで切った。この殺害方法も「バトル・ロワイヤル」の模倣だった。
 怜美ちゃんが動かなくなるのを約15分間じっと見ていたA子は、足で蹴って死亡を確認した。


【事件後】

 事件から2日後、A子は付き添い人の弁護士に対して「よく考えて行動すればこんなことにはならなかった」、「会って謝りたい」と話した。

 7月9日、佐世保市は同小の児童174人を対象に、PTSDの診断基準に基づくアンケートを実施。さらに精神科医や臨床心理士、保健師による面談調査で、67人に何らかの心の障害が残っており、うち7人の障害がより重いことがわかった。7人の中には「ふいに事件を思い出す」などフラッシュバックと呼ばれるPTSD特有の症状を訴えた児童もおり、一部は既に専門医による診療を受けた。教室が「学習ルーム」に近いところにある3〜6年生が殺害直後の様子を目撃していたという。同小では、事件を思い出させないようにと学習ルームの撤去工事を行なった。

 またA子の個人情報・顔写真などがネットに出回り、想像以上の可愛さからか、ファンサイトまで作られ、こちらも問題となった。


【A子の現在】

 長崎家裁佐世保支部は6月15日から84日間かけてA子の精神鑑定を実施。

 A子は栃木県氏家町の自立支援施設「国立きぬ川学院」の特別室に収容され、対人関係の築き方や感情のコントロールなどを体得するプログラムを受けている。ここでは医師から「アスペルガー症候群」と診断された。
 
 06年9月7日、長崎家裁佐世保支部は少年審判を開き、A子の強制措置(施設内での行動の自由を制限できるもの)を、1今後2年間で通算50日を限度に許可する決定をした。


リンク

朝日新聞 特集
http://www.asahi.com/special/sasebo/index.html

長崎新聞 特集
http://www.nagasaki-np.co.jp/press/syou6/

西日本新聞 特集
http://www.nishinippon.co.jp/news/2004/sasebojoji/kiji/ren_yami/index.html

西日本新聞 「14歳未満の少年事件の手続き」
http://www.nishinippon.co.jp/news/2003/jiken/nagasaki/tetsuzuki.html

読売新聞 特集
http://www.yomiuri.co.jp/features/sasebo/

こころの散歩道 「長崎小6女児殺害事件の犯罪心理」
http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/syounen/2004/sasebo.html


≪参考文献≫

朝日新聞社 「週刊朝日 05年12月30日号」
笠倉出版社 「江戸・明治・大正・昭和・平成 日本の女殺人犯101」 日高恒太朗 
河出書房新社 「子どもを殺す子どもたち」 福島章
コアマガジン 「実録戦後タブー犯罪史 弱者を餌食にした卑劣な殺人鬼たち」
ジャパンマシニスト 「思春期をむかえる子と向き合う 佐世保事件からわたしたちが考えたこと」 保坂展人 岡崎勝・編
新人物往来社 「別冊歴史読本 殺人百科データファイル」 
新人物往来社 「別冊歴史読本 新・殺人百科データファイル」
新人物往来社 「別冊歴史読本 戦後事件史データファイル」
新潮社 「新潮45 04年7月号」
新潮社 「新潮45 04年8月号」
新潮社 「女という病」 中村うさぎ 
新聞ダイジェスト社 「新聞ダイジェスト 04年8月号」
大洋図書 「日本震撼事件 戦後殺人ファイル100」 日高恒太朗
創出版社 「創 04年9・10月号」 
批評社 「学校の中の事件と犯罪 3」 柿沼昌芳・永野恒夫 編著
文藝春秋 「週刊文春 04年6月17日号」
文藝春秋 「週刊文春 04年9月16日号」


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