埼玉・農薬牛乳殺人



【事件概要】

 1960年8月11日、埼玉県白岡町の国鉄職員Aさん(31歳)方で、配達された牛乳を飲んだAさん、長男(4つ)、長女(2つ)の3人が死亡。近くに住む国鉄職員の妻H子(当時25歳)が「農薬を入れた」と自供した。


H子


【夏の苦いミルク】

 1960年8月11日、埼玉県南埼玉郡白岡町に住む国鉄大宮工場勤務Aさん(31歳)方で事件は起こった。
 同家ではAさんの妻(当時29歳)が前日に二男を出産したばかりで、Aさんは勤務を終えるとお産の手伝いに来ていた実母を実家へ送りに行って、自宅に戻ってきたのが午後8時ごろだった。長男(4歳)と長女(2つ)が「牛乳が飲みたい」とせがんだ。妻は別室で横になっていたため、Aさんは自宅に配達されていた牛乳を子供たちに飲ませていた。

 牛乳を飲んだ長男が「苦い」と言うので、Aさんは味を確かめるために一息にそれを飲んでしまった。確かに苦かった。Aさんはコップや牛乳ビンを台所で洗い流した。
 しばらくして、Aさんは体に違和感を感じ始め、のどをかきむしるように苦しみ始めた。2人の子供も同様に苦しんでいた。Aさんは這って隣家の裏戸まで行き、医者を呼んでほしいと頼んだ。隣家に住むのはやはり国鉄職員で、Aさんとは友人であった。隣家の人は一家3人が苦しんでいるのを見て、近くの医院に助けを求めた。Aさん一家が苦しみ始めて、14、5分後の医師が到着したが、すでに2人の子供は亡くなっていた。Aさんもその10分後に力尽きた。

 Aさんの妻は長男が牛乳を飲んで「苦い」と言っていたことを医師に告げた。牛乳ビンが現場に残されていたが、問題の牛乳とビンについた指紋はきれいに洗い流されていた。几帳面なAさんの性格によるものだが、捜査員はこれをとても悔しがった。

  3人の死体解剖の結果「毒物による中毒死」と判明。毒物の名は他殺の決め手が掴めなかったために公表されなかったが、鑑識課の報告には「農薬パラチオン」(薬品名不明)とあった。

 1934年、ドイツの製薬会社バイエルの研究所で、G・シュラーダーはタバコのニコチンにかわる有機リン剤「ヘップ」と「テップ」の合成に成功した。これはそれまで製造された殺虫剤と比べて優秀なものだった。ベンゼン環をもった有機リン剤商品名「ホリドール」は戦後の日本でも農薬として重宝された。こうした薬品は神経ガスに等しい神経毒があり、各地で中毒被害が相次ぎ、1955年に「特定毒物」と指定され、1971年には使用が禁止された。その10年前、1961年にはアメリカの生物学者レイチェル・カーソンが「沈黙の春」でこの農薬による生態系への被害を訴えている。

 他殺の決め手がないと言っても、Aさん方では前日に男の子が生まれ、Aさんはとても喜んでいたから、一家心中というのはとても考えられなかった。夫婦仲も良く、生活も安定していた。
 ただ気になる点として、盆栽がなによりの趣味だったAさんの作品に劇薬がふりかけられて枯れてしまったことがあったことや、同家の金魚が殺されていたことがある。Aさん方に何かしらの強い恨みを持つ者がいるのではないかという見方が強まった。
 このことで被害者側にあらぬ噂がとびかったりもした。例えば「Aさん夫妻が家を建てた時に、大工にたいしてやかましいことを言いつづけ、大工はノイローゼになって自殺をした。今度の事件はあの大工の怨霊によるものである」といった類のものだ。しかし一方でAさん夫婦の評判は良く、それ以上の具体的な話は出てこなかった。

 Aさん方に配達された問題の牛乳は森永牛乳で、事件当日の朝、東京・新宿から蓮田駅(白岡駅の隣駅)に輸送されていた。この牛乳を町内の牛乳店の店員が白岡町の食品店に配達した。新宿からこの白岡に牛乳が届くのは平常通りのルートであった。白岡町の食品店の少年店員(当時13歳)がAさん宅に届けたのは夕方6時頃。これもまた普段と同じ時間で、Aさんの家ばかりではなく白岡町のその一帯の地域に配達されていたが、他の家では異常はなかった。少年の話によると、配達した時もその牛乳ビンに怪しい感じはなかったという。少年がAさん方の門わきに牛乳ビンを置き、午後8時頃にAさんがそれを取りに来るまでの2時間に、何者かが農薬を混入したものと見られた。


【噂の女】

 難しい事件に思われたが、早々とAさん方と小道をはさんで向かいに住む主婦H子(当時25歳)の名は浮上している。H子の夫も国鉄職員であり、5年前にここに家を建てていた。この間、夫は当時の妻と別れて1年ほど一人で暮らしていたが、1957年暮れにH子と再婚している。

 H子は一度八百屋で買ったネギがいたんでいると言いはって八百屋に返しに行ったことがあった。それをAさんの妻が「たった2、30円ぐらいのことで・・・」と陰で話したとか話さないとかで、Aさん方に怒鳴りこんできた。この一件以降、H子は何かにつけAさんの妻に対抗するようになった。それはAさん方が毎月1000円を貯金しているというのを聞くと、「自分は2000円している」と近所じゅうで言ってまわったり、Aさん方にテレビが運ばれているのを目にすると、同じ電器店にそれより高い物をすぐ届けさせたり、Aさんの家からすき焼きの匂いがしてくると、それまで作っていた食事を捨てて自分もすき焼きの準備を始めるといった子供じみたものであった。(幼稚な、というよりは異常な執着心なのかもしれない)

 H子犯人説、捜査員のなかでこれはかなり固まってきたが決め手はなかった。しかし近所の人の話から、Aさん方の金魚殺しや盆栽枯らしはH子の仕業に間違いないという。Aさんに追い詰められて大工が自殺したという噂話も出所はこのH子の口からだった。そして事件当日、H子がAさん方の門前に佇み、家の中の様子をうかがっていたという目撃者もあらわれた。

 9月4日早朝、H子は鼻歌まじりで朝食の準備をしていたところ、捜査員に同行を求められ、「あら、まだ私に聞きたいことがあるのかしら」と余裕を持って連行されて行った。

 翌日、H子は牛乳ビンに農薬を入れたことを自供した。なぜ毒物を混入したのかはよくわかっていない。「虚栄女によるねたみの犯行」で、「いやがらせがついに殺人にまでエスカレートした」という報道が当時されている。

 浦和刑務所の独房に拘置されていたH子にはまだ2つの女の子がいたが、この娘は実父に引き取られた。またH子は事件当時も妊娠していた。
 10月3日朝、陣痛を訴えたH子は、この日の午後2時過ぎにタオルを首に巻いて自殺を図った。その後も陣痛を訴え、刑務所でも処置がとられていたが、9日になってまた2度も自殺を図った。そして10日に近くの産院の来診を受けたが死産した。最初の陣痛の時に死亡していたものと推定され、浦和地検は7日間の拘置停止を決定、H子は産院に移された。
 17日夜には弁護人に手記を書き、ヘアピン14本を飲んだ。18日には再び刑務所へ移されたが、精神錯乱状態は続いていた。今度は針を飲み込んだ。このことから拘置執行停止がされ、H子は埼玉中央病院で治療を受けたが、その後浦和休護院に移された。

 はっきりしない結末に終わった事件だった。H子がAさん方の裕福な生活をねたんで、というのが農薬混入の理由とされているが、どうだったろうか。亡くなったAさんとH子の夫は同じ国鉄職員で、しかも同じ小学校の同級生だった。そうしたことが関係して、単なる対抗心、ライバル心の行き過ぎの果て、という事件だったのかもしれない

 もうひとつ。これ以後、ぶどう酒、コーラ、自販機のジュース、カレーなど様々な毒物混入事件が起きているが、犯罪史の中で牛乳ビンに農薬を混入するという事件は他にもある。
 2002年9月のことで、奇しくも事件の舞台は同じ埼玉県の白岡町だった。
 この町の主婦(当時44歳)が、夫の弟がたびたび義母の家に出入りして金を無心しているのを見かね、戒めてやろうと農薬を入れた牛乳ビンを置いておいたというもので、これを飲んだのは夫の弟ではなく義母の妹(当時67歳)だった。農薬の差か、幸いにもこの女性は命を落とすことはなかったが、12月に入って主婦は夫に付き添われて出頭した。
 この主婦は1960年当時は2歳。毒入り牛乳を飲んで亡くなった女の子や、H子の娘と同世代だった。さすがに幼少期の事件の記憶はないにしろ、白岡町に暮らしていたからには、事件のことを耳にしたことがあったのだろう。伝承が二件目を引き起こす、ということもあるのかもしれない。
 

リンク


≪参考文献≫

講談社 「毒物雑学事典」 大木幸介
データハウス 「毒物犯罪カタログ」 国民自衛研究会
日本文芸社 「現代読本 昭和の女性犯罪」
二見書房 「恐怖の毒薬犯罪 99の事件簿」 楠木誠一郎


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