佐賀・女性連続殺人事件




【事件概要】

 1989年1月27日、佐賀県内で87〜89年に行方がわからなくなっていた女性3人の遺体が同県北方町の山林で発見される。さらにその手口から1975年から1982年にかけて、県内で女性4人が殺害されるという事件との関連が浮上した。
 
 89年、被害者の1人の元交際相手で、覚せい剤法違反で鹿児島地裁に服役していたMが殺害を一時供述するが、証拠不充分で逮捕は見送りとなった。
 02年6月、Mがまもなく北方町で発見された3人を殺害した容疑で逮捕された。
 05年5月10日に佐賀地裁で無罪判決が言い渡されている。


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【2人の女性遺体発見】

 1980年6月24日、佐賀県杵島郡白石町の須古小学校北校舎の低学年用トイレの便そうの中で、衛生会社のし尿の汲み取り作業中、女性の腐乱死体が発見された。
 さらに捜査を続けていたところ、6月27日、プール西側のプール専用トイレでも石で隠された白骨死体が発見された。

 最初に発見された腐乱死体は同年4月12日に自宅から姿を消した大町町の喫茶店アルバイト・百武律子さん(20歳)であることがわかった。
 このトイレは2ヶ月に1度汲み取り作業が行なわれており、百武さんは失踪した直後に殺害され、ここに捨てられたらしい。
 百武さん宅と同小学校は約5kmほどの距離。6人家族で、百武さんは4人姉弟の二女だった。失踪当日は母親が入院しており、他の家族も外出していて、家に1人でいた。20歳の誕生日を明日に控えていたが、これまで2度自殺未遂をしており、日頃「20の誕生日に自殺する」と漏らしていたことから、家族はすぐ公開捜査に踏み切っていた。
 失踪直後の4月16日、山崎さんの父親宛てに「娘ハ帰ラナイダロウ、オ前モ苦シメ」と書かれた手紙が届いた。同じ頃には「人捜しのテレビに出るな」という脅迫電話もあったという。

 百武さんに続いて発見された白骨死体は北方町の山崎十三子さん(当時12歳)。遺体の上には丸い石が100個ほど積んであり、遺体を隠していた。
 山崎さんは75年8月27日夜に、スナック経営の母親(当時41歳)が勤めに出た後、自宅から姿を消した。いつもは母親のスナックの従業員控え室で勉強することが多かったようだが、この日に限って自宅にいたという。これは友人と家で遊んでいたためで、友人は午後7時ごろに帰宅、その直後山崎さんは姿を消した。テレビはつけっ放しになっており、普段履いている靴もそのまま残されていた。

 2人の被害者はいずれも家で1人で居る時に姿を消している。連れ去られたにしても抵抗した跡がないし、金品などの盗難もないことから、顔見知りによる犯行と見られた。

 ある時、捜査本部に女性から一本の電話が寄せられた。
「私は大町町の出身です。いまは武雄市に嫁いでいますが、たまたま用事で里帰りをした夜、実家にいたとき、男が隣家の娘さん(百武律子さん)を車に運び入れるのを見ました。ただ姑との折り合いが悪いので本名で名乗り出ると、実家に帰ったのがわかってしまい、ひどく怒られます。ですから名前を明かすことはできません」

 
 翌年3月12日、重要参考人として浮上していた武雄市内の農業Uさん(当時29歳)が、工員を殴ったとして逮捕される。別件逮捕だった。
 Uさんが疑われた理由は山崎さんとも百武さんとも知り合いだったことだった。Uさんは百武さんの働く喫茶店によく出入りしており、彼女の姉と同居していた。結婚するつもりだったが、百武さんの家族に反対されていたという。「Aは律子さんと交際しており、律子さんが失踪前悩んでいる様子だったのはこのことからだった」という噂もあった。
 また、山崎さんの母親は以前に白石町内のクラブに勤めていたが、Aはその店にも常連として訪れていたという。
 また捜査本部はAの友人を次々と逮捕し、彼らから情報を引き出そうとしたが、これといった証言を得ることはできなかった。結局、証拠がないため、2件の殺人事件について、Aへの追及は打ち切られている。


 そしてその年、3人目の犠牲者が出る。


【主婦殺し】

 1981年10月7日、佐賀県杵島郡白石町の主婦・池上千鶴子さん(27歳)が帰宅途中に消息を絶った。
 池上さんは北方町の縫製工場での勤務を終えて、午後5時半頃にスーパーで買い物をした後に行方がわからなくなった。最後に目撃されたのはスーパーの駐車場で、「乗用車に乗った30代の男性と親しげに話しているところを見た」と同僚が証言した。

 それから2週間後、40km離れた三養基郡中原町の空地で池上さんの遺体発見。死因は電気コードによる絞殺で、性的暴行された跡はなかった。
 

 不可解な女性殺しは次の年も続く。4人目は幼い少女だった。


【小学生殺し】

 1982年2月17日午後4時過ぎ、佐賀県三養基郡北茂安町、北茂安小学校5年の西山久美ちゃん(11歳)は友達2人と一緒に下校した。久美ちゃんは途中の大瀬橋付近で友達と別れ、一人で自宅に向かっていたのだが、この直後消息を絶った。いつまでたっても帰ってこない娘を心配した家族は同夜8時40分頃、警察に届けている。
 翌朝、県警、地元消防団員ら約150人による捜索が始められた。久美ちゃん宅と学校までは3kmの距離で、捜索はこの間を重点的に行なわれた。すると午前11時半頃、北茂安中学体育館北側の町道脇のミカン畑の中で、ランドセルを背負ったままの久美ちゃんの遺体が発見された。遺体はうつぶせで、下半身は裸、首にはストッキングが巻きつけられてあった。

 久美ちゃんが何者かに殺される直前、車に乗った怪しい男が何人にも目撃されていた。
 まず同町の国道34号線沿い「キュウピィマーケット前」バス停でバスを待っていた主婦に、白い車に乗ってきた男が「乗っていかんですか」としつこく声をかけていた。年齢は30から40ぐらいで、鼻筋の通った眼のきつい細面の男だった。主婦は男のあまりにしつこい誘いに「警察を呼びますよ」と断ったところ、男は睨みつけながら車に戻っていった。
 続いて午後2時半頃、同じような白い車が同県神埼郡三戸田町の三戸田小学校の校舎の傍に停まっていた。ここは主婦に声をかけたバス停から約5kmのところである。時刻は低学年の児童らの下校時間で、白い車を降りた中年男は1人の児童に「そこに座んなさい」と声をかけ、「ピンクレディーの写真を見せるからこっちへ来なさい」と言いながら児童を抱きかかえて女子便所に連れこんだ。ところが児童は大声で泣き出したため、男は何もせずに姿を消した。
 午後時10分頃、白い車は再び北茂安町のあらわれた。下校中の北茂安中学校の女子生徒2人にしつこく話しかけ、午後3時半頃には小学2年の女児児童3人に「家まで送るから乗らんね」と声をかけている。久美ちゃんが姿を消すのはその30分後である。
 麻美ちゃんが殺害されたと思われる午後4時半頃、殺害現場付近に白い乗用車が停めてあったのを主婦が目撃。この白い車に乗った中年男こそが犯人という線がかなり濃厚だった。

 いくつかの目撃情報によると、白い車の車種は「カローラ」「スプリンター」、あるいは「ダイハツクオーレ」のようなタイプと見られ、ナンバーは「福岡???6950」。男は30〜40の細い目の中年で、ジャンパーに青いズボンを履いていた。ところがこれだけ目撃され、情報が提供されたものの、男の足取りは掴めなかった。その手口や、遺体発見現場の近さなどから、池上千鶴子さん殺しの犯人と同一人物ではないかと見られた。


【3人の遺体発見】

 1989年1月27日、佐賀県北方町志久の大峠付近の山林で、花をつんでいた主婦が崖下に投げ落とされていた女性の遺体を発見する。警察が急行すると、遺体の横に別の腐乱死体、さらに近くにも白骨死体があった。
 現場の状況や、死亡時期の異なる3つの遺体に、佐賀県警は連続殺人の死体遺棄事件と断定。現場には持ち主不明の下着4枚とブラジャーなどが散乱していたが、新たな遺留品はゴミの不法投棄とまざって発見されなかった。

 最初に発見された遺体は2日前の25日に行方不明となっていた北方町の紳士服縫製工場勤務・吉野タツ代さん(37歳)のものだった。白のスカートにカーディガンという失踪当時の服装のままで発見された。
 吉野さんは失踪当日午後7時前に勤務先から帰宅。長男と実母と一緒に夕食をとっていたが、7時20分ごろ、電話がかかってきて吉野さんはあわてた様子で出かけていった。このとき実母には「友人を山内町まで送ってくる」と言っているが、長男にはなぜか「友達と食事に行ってくる」と話していた。吉野さんは赤い軽乗用車で出かけていったが、この車はのちに武雄市内のボウリング場駐車場で発見されている。
 なお、吉野さんの勤め先である縫製会社は、81年10月に殺害された池上さんの職場と同じである。

 吉野さんの隣りでうつ伏せの状態で発見された遺体は同じ北方町の主婦・中島清美さん(50歳)と判明。
 中島さんは88年12月7日午後7時20分頃、「バレーボールに行く」と自宅を出たきり行方不明となっていた。中島さん宅とバレーボールクラブの練習場所であるスポーツセンターは徒歩10分ほどの距離で、いつもは仲間と2人で出かけていたが、この日は仲間が休むため1人でセンターに向かっていた。
 午後7時30分頃に、中島さんと思われる女性が、自転車に乗った女性としばらく立ち話をしているところを目撃されている。相手の女性は30〜40歳ぐらいだったが、この女性の身元を割り出すことはできなかった。

 最後までわからなかった白骨死体は、87年7月8日に行方不明となっていた武雄市の料理店仲居・藤瀬澄子さん(48歳)と判明。
 藤瀬さんは温泉街の老舗割烹で、病弱な夫に代わって働いていた。失踪当日の夜、仕事が終ってから同僚と一緒に割烹近くのスナックへ行き、1時間ほど楽しく過ごした。そして同僚と別れて、自宅までの1kmの間で行方がわからなくなった。

 1月28日、佐賀医大で司法解剖が行なわれたところ、吉野さんと中島さんの死因は窒息死、胃の内容物などから自宅を出て短時間に殺されていたことがわかった。

 こうしたなかで同県内で以前に起きた迷宮入り女性殺害事件4件を含めて、同一人物によるものではないかという疑惑が浮上する。7人中6人は水曜日の夜に失踪していたことや、被害者の失踪が半径3km以内で起こっていること、また犯行手口としては絞殺で、金品には手をつけた様子がないことが共通点として挙げられる。
 一方で、最初の4件は11〜27歳と子供や若い女性を狙っていたのに対し、新たに発見された3人は37〜50歳と中年女性であるから、「つながりはない」という声もある。


【疑惑の人物M】

 吉野タツ代さんと交際していたM(当時26歳)という男が浮上したのは遺体発見後まもなくのことだった。だが事情聴取したところ、Mは全面否定した。交際していたは認めたが、中島さんと藤瀬さんについては面識もないという。

 89年10月、Mは覚せい剤取締法違反容疑で逮捕される。鹿児島刑務所に拘置中に再び殺人事件について任意で聴取し、一旦は自供したという「上申書」を書かせた。
 それによると、「吉野さんに軽トラック内で女友達の写真を見つけられ、口論となり殺害した」というものだった。
 この自供について、覚せい剤事件の弁護士は「深夜まで取り調べを受け、捜査員から暴行を受けるなどしたため自供したが、今では否定している」と殺人事件との関連を否定し、行き過ぎた事情聴取を主張した。

 藤瀬さん殺しの時効が直前に迫る2002年6月11日、窃盗未遂でまたも鹿児島刑務所で服役していたMが吉野さん殺しの容疑で逮捕された。(まもなく中島さん、藤瀬さんの件でも逮捕、立件。)

 公判では16年前にMが書いていた上申書の任意性、信用性の有無が争点となっていた04年9月、地裁は「任意の取り調べの限界を超えて違法。信用性に疑いがある」と証拠不採用を決定した。

 一方で死刑を求刑した検察はMが3人殺害に関わった根拠として次のような点を挙げた。
・吉野さんが行方不明となる前に会っていた(吉野さん失踪の夜、Mの車と吉野さんのものと見られる車が同じ場所で目撃された)。
・吉野さんの遺体には殺害の際の失禁の跡があり、Mの車の助手席から人の尿が検出された。
・Mの唾液が吉野さんの体に付着していた。(DNA鑑定による)
・遺体発見現場が同じである。
・アリバイを何度も変えている。

 2005年5月10日、佐賀地裁は3件の殺人事件についてMに無罪判決を言い渡す。一審での死刑求刑に対する無罪判決は、64年の「名張毒ブドウ酒事件」以来41年ぶりのことだった。Mはその日じゅうに釈放されている。検察側は控訴。

 07年3月19日、福岡高裁・正木勝彦裁判長は「決定的な客観的証拠は皆無。この程度の証拠で、重大事件について有罪とすることは、刑事裁判の鉄則に照らしてできない」と述べ、一審判決を支持した。検察は上告を断念し、Mの無罪が確定した。

 同年8月20日、佐賀地裁は刑事補償法に基づき、国がMに580万円を支払うことを決定した。金額は拘置期間464日で、法定上限額の1日あたり1万2500円。


リンク

北方町、北茂安町、武雄市などの位置
http://map.yahoo.co.jp/address/41/index.html


≪参考文献≫

葦書房 「疑惑 福岡・佐賀 未解決殺人事件より」 田岡俊男
河出書房新社 「現代日本殺人史」 福田洋・著、石川保昌・編
廣済堂出版 「未解決殺人事件ファイル」 田宮榮一・監修 桐島卓 塩見拓也・編著
社会思想社 「20世紀にっぽん殺人事典」 福田洋 
新人物往来社 「別冊歴史読本 殺人百科データファイル」
新潮社 「新潮45 08年2月号」
宝島社 「別冊宝島 戦後未解決事件史 ―犯行の全貌と『真犯人X』―」
宝島社 「別冊宝島 猟奇事件ファイル 【悪魔と呼ばれた人間たちの犯罪履歴書】」 
東京法経学院出版 「明治・大正・昭和・平成 事件犯罪大事典」 事件・犯罪研究会・編
同朋舎出版 「TRUE CRIME JAPAN 迷宮入り事件」 古瀬俊和


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