3府県連続リンチ殺人事件




【事件概要】

 1994年9月から10月にかけて、男女の少年グループ計10人が、大阪、愛知、岐阜の3府県で4人をリンチにより死亡させた事件。二審で主犯格3人に死刑が言い渡されている。


M
K
T


【主犯格の3人】

◆M(犯行時19歳)
 愛知県一宮市生まれ。生後すぐ母親と死別し、親類の家に養子に行く。童顔であるが凶悪。中学時代から万引き、カツアゲを繰り返し、赤ん坊の顔にパチンコ玉を放ったこともある。中学時代の終盤は教護院で過ごす。

◆K (犯行時19歳)
 大阪府松原市生まれ。定時制の工業高校に進むが、1年で中退。ホストクラブで働いたのち、暴力団の準構成員となる。

◆T(犯行時18歳)
 大阪市西成区生まれ。7人兄弟。貧しく、放任の家庭。

 これ以外にも、グループは計10人にのぼり、中には少女もいた。リンチに加担したものの、仲間の名前すら知らない者も数名いた。


【連続リンチ事件】

◆大阪事件

 94年9月28日、少年達は大阪市中央区の路上で、帰宅途中の柏原市の寿司職人・Aさん(26歳)に因縁をつけ、区内のたまり場であるビルに連れこんだ。少年達はAさんを裸にして、両手両足を縛ったうえで激しい集団暴行を加えた。そして命乞いするAさんの首をベルトで絞めて殺害した。その後、現場のビルの1階にある中華料理店で食事をしてから、遺体を高知県の山中に遺棄した。遺体が発見された時、Aさんの顔は家族が判別できないほど、ボコボコに腫れあがっていた。


◆木曽川事件

 10月6日、愛知県稲沢市の仲間の家で酒を飲んでいるとき、ふとしたことで仲間の1人である型枠大工・Bさん(22歳)へのリンチが始まる。ビール瓶などで殴打したあと、頭部の傷口をフォークで突き刺し、シンナーや醤油をかけて反応を見るという凄惨なリンチ。ぐったりしたBさんは尾西市の木曽川堤防に連れて行かれ、鉄パイプで全身で殴られ、シンナーの袋などを使って体の一部を焼かれた。リンチは7時間にも及び、遺体は河川敷の雑木林に遺棄された。


◆長良川事件

 10月7日、愛知県稲沢市内のボウリング場で、アルバイト・Cさん(19歳)と会社員・Dさんさん(20歳)ともう1人に「目が合った」と因縁をつけ、財布をまきあげたうえで拉致。長良川の堤防に連れだし、鉄パイプでメッタ打ちにした。2人がぐったりすると、煙草の火を押しつけ、死んだか確認し、さらに暴行を続けた。少年たちは現場をあとにしてからも「ツルハシでとどめをさしておけばよかった」と戻ってきて確認した。

 Cさん、Dさんの遺体が発見されたことにより事件は発覚。2人と一緒に因縁をつけられた男性の証言などから少年達は逮捕された。


【裁判】

 公判での少年達の様子は、傍聴席の仲間に向かって笑いかけるなど、遺族に対して何の配慮もないものだったが、死刑を求刑されてからは、態度を変えて「生きて償いたい」というようなことを言い出し始めた。

 01年7月9日、名古屋地裁は「通り魔的犯行で社会に大きな不安を与えた。わずか11日間に無抵抗の若者4人の生命を奪った責任は重く、極刑はやむをえない」として主犯Mに死刑、他2人に無期懲役を言い渡した。無期の2人に関しては、殺人ではなく傷害致死と判断されていた。

 05年10月14日、名古屋高裁・川原誠裁判長、3人全員に死刑判決。「3人の役割に差異はない」とされたのである。少年事件では、初めて複数に死刑が言い渡された。かつて非道を繰り返した少年達は30歳になっていた。

 無期から死刑になった1人は「死刑になってもやむを得ない」と語っており、拘置所では義務づけられていない封筒貼りの作業をやって年に3、4万円になる報酬の全額を遺族に送っていた。
 一審で無期判決を受けたもう1人も、「(誰が主犯かどうか)責任のなすりつけ合いで、聞くに忍びないから」と公判にも出ず、「死刑という判決があっても、それは覚悟している」と語った。


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≪参考文献≫

講談社 「月刊現代 2008年12月号」
社会思想社 「20世紀にっぽん殺人事典」 福田洋 
ジャパンミックス 「猟奇殺人のカタログ50」 CIDOプロ・編
新潮社 「週刊新潮05年10月27日号」
東京法経学院出版 「明治・大正・昭和・平成 事件犯罪大事典」 事件・犯罪研究会・編
PHP研究所 「歪曲報道 巨大メディアの『騙しの手口』」 高山正之 


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