大河内清輝君の遺書全文



 94年12月1日、葬儀の日に発見された遺書はB5判の用紙4枚に鉛筆でびっしり書かれており、同じくB5判のノート13枚にわたって書かれた「少年時代の思い出-旅日記」とともに引出しの中に目立たない状態で置かれていた。母親宛ての約110万円の借用書も残されていた。


 いつも4人(名前が出せなくてスミマせん)の人にお金をとられていました。そして今日、もっていくお金がどうしてもみつからなかったし、これから生きていても・・・・・。だから・・・・・。またみんなといっしょに幸せに、くらしたいです。しくしく。

 小学校6年生ぐらいからすこしだけいじめられ始めて、中1になったらハードになってお金を取られるようになった。中2になったら、もっとはげしくなって、休みの前にはいつも多いときで6万少ないときでも3万〜4万、このごろでも4万。そして17日にも4万ようきゅうされました。だから・・・・・。でも、僕がことわっていればこんなことには、ならなかったんだよね。スミマせん。もっと生きたかったけど・・・・。家にいる時がいちばんたのしかった。いろんな所に、旅行につれていってもらえたし、何一つ不満はなかった。けど・・・・・。
 あ、そうそう!お金をとられた原因は、友達が僕の家に遊びにきたことが原因。いろんなところをいじって、お金の場所をみつけると、とって、遊べなくなったので、とってこいってこうなった。

 オーストラリア旅行。とても楽しかったね。あ、そーいえば、何で奴らのいいなりになったか?それは川でのできごとがきっかけ。川につれていかれて、何をするかと思ったら、いきなり、顔をドボン。とても苦しいので、手をギュッとひねった。助けをあげたら、また、ドボン。こんなことが4回ぐらいあった。特にひどかったのが矢作川。深い所は水深5〜6mはありそう。図1(※略)みたいになっている。ここでAにつれていかれて、おぼれさせられて矢印の方向へ泳いで逃げたら、足をつかまれてまた、ドボン。しかも足がつかないから、とても恐怖をかんじた。それ以来、残念でしたが、いいなりになりました。あとちょっとひどいこととしては、授業中、てをあげるなとか テストきかん中もあそんだ とかそこらへんです。


 家族のみんなへ
 
 14年間、ほんとうにありがとうございました。僕は、旅立ちます。でもいつか必ずあえる日がきます。その時には、また、楽しくくらしましょう。お金の件は、本当にすみませんでした。働いて必ずかえそうと思いましたが、その夢もここで終わってしまいました。そして、僕からお金をとっていた人たちを責めないでください。僕が素直に差し出してしまったからいけないのです。しかも、お母さんのお金の2万円を僕は、使ってしまいました(でも、1万円は××さんからもらったお年玉で、バックの底に入れておきました)

 まだ、やりたいことがたくさんあったけど、・・・・・。本当にすみません。いつも、心配をかけさせ、ワガママだし、育てるのにも苦労がかかったと思います。おばあちゃん、長生きして下さい。お父さん、オーストラリア旅行をありがとう。お母さん、おいしいご飯をありがとう。お兄ちゃん、昔から迷惑かけてスミマせん。○○(弟)、ワガママばかりいっちゃダメだよ。またあえるといいですね。最後に、お父さんの財布がなくなったといっていたけど、2回目は、本当に知りません。

 see you again

 いつもいつも使いばしりにされていた。
 それに自分にははずかしくてできないことをやらされたときもあった。そして強せい的に、髪をそめられたことも。でも、お父さんは自分でやったと思っていたので、ちょっとつらかった、そして20日もお金をようきゅうされて、つらかった。
 あと、もっとつらかったのは僕が部屋にいるときに彼らがお母さんのネックレスなどを盗んでいることを知ったときは、とてもショックでした。あと、お金をとっていることも・・・・・・。

 自殺理由は今日も、4万とられたからです。そして、お金がなくて、「とってこませんでした」っていっても、いじめられて、もう一回とってこいっていわれるだけだからです。そして、もっていかなかったら、ある一人にけられました。そして、そいつに「明日、『12万円』もってこい」なんていわれました。そんな大金はらえるわけ、ありません。それに、おばあちゃんからもらった、千円も、トコヤ代も、全て、かれかにとられたのです。そして、トコヤは自分でやりました。とてもつらかたったでした。(23日)

 また今日も1万円とられました(24日)
 
 そして今日は、2万円とられ、明日も4万円ようきゅうされました(25日)あと、いつも、朝はやくでるのも、いつもお茶をもっていくのも、彼らのため、本当に何もかもがいやでした。

 なぜ、もっと早く死ななかったかというと、家族の人が優しく接してくれたからです。学校のことなど、すぐ、忘れることができました。けれど、このごろになって、どんどんいじめがハードになり、しかも、お金がぜんぜんないのに、たくさんだせといわれます。もうたまりません。最後も、御迷惑をかけて、すみません。忠告どおり、死なせてもらいます。でも、自分のせにされて、自分が使ったのでもないのに、たたかれたり、けられたりって、つらいですね。

 僕は、もう、この世からいません。お金もへる心配もありません。一人分食費がへりました。お母さんは、朝、ゆっくりねれるようになります。○○(弟)も勉強にしゅうちゅうできます。いつもじゃまばかりしてすみませんでした。しんでおわびします。

 あ、まだ、いいたいことがありました。どれだけ使い走りにさせられていたかわかりますか。なんと、自転車で、しかも風の強い日に、上羽角(地名)から、エルエルまで、1時間でいってこいっていわれたときもありました。あの日はたしかじゅくがあったと思いました。あと、ちょくちょく夜でていったり、帰りがいつもより、おそいとき、そういう日はある2人のために、じゅくについていっているのです。そして、今では「パシリ1号」とか呼ばれています。あと、遠くへ遊びにいくとかいって、と中で僕が返ってきたってケースありませんでしたか、それはお金をもっととってこいっていわれたからです。あと、僕は、他にいじめられている人よりも不幸だと思います。それは、なぜかというと、まず、人数が4人でした。
 だから、1万円も4万円になってしまうのです。しかもその中の3人は、すぐ、なぐったりしてきます。あと、とられるお金のたんいが1ケタ多いと思います。これが僕にとって、とてもつらいものでした。これがなければ、いつまでも幸せで生きていけたのにと思います。テレビで自殺した人のやつを見ると、なんで、あんなちょっとしかとられてないんだろうっていつも思います。最後に、おばあちゃん、本当にもうしわけありませんでした。

 



    遺書

 (America用の手紙だけど・・・・・)
 (ぜひ、旅日記もよんで下さい)

 お金をとられはじめたのは、1年生の2学期ぐらいから。

 お母さんは、昔、教会につれていくっていってたこともあったよね。あのときは、とてもいきたかった。(つけたし)日曜日も、また、2万円と1万円をようきゅうされました。そういえば、なぜ、ぼくが今度お金をとったら「しせつにいく」といったか。それは、そっちの方が幸せだと思ったから。彼らから、遊ぼっていうんだ。そして、いかないと・・・・・次の日にたくさんのお金をとられちゃうんだ。だからテスト週間でもあそばないといけなかったんだ。1年生のころは、彼らも、先輩につかまっていたから、べんきょうもできた。

※エアメールの封筒の表紙に書かれていたこと

 



 借用書

 平成6年8月 114万200円  働いて必ず返します。 




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