愛知・大河内清輝くんいじめ自殺事件





【事件概要】

 1994年11月27日深夜、愛知県西尾市の市立東部中学校2年の大河内清輝君(13歳)が自宅裏庭のカキの木にロープをかけ首吊り自殺。姿の見えなくなった息子を探していた母親(当時44歳)が発見した。死後、遺書が見つかり、その悲惨ないじめの事実が社会に衝撃を与えた。遺書全文はこちら


遺書で名指しされた4人(+7人)


【清輝君】

 1980年生まれ。大河内さん一家は祖母と両親、長男、清輝君、三男の6人家族だった。まじめでおとなしい優等生だったという。


【いじめ】

 清輝君と主犯格・AとBは小学校の5、6年生の頃からの遊び仲間だった。小中ともに剣道部で一緒で、釣りやゲームなどで遊ぶ8人ほどのグループだった。小学校6年生の時、同級生の3人が決闘して、一番弱かったのが清輝君だったことから、いじめが始まったという。

 中学校に入って1年の2学期ごろ、清輝君は学校でカバンを隠されたりした。顔に痣をつけて帰宅したり、自転車の泥除けを壊されたり、前かごの針金を切られたりもしていた。数回自転車を修理した自転車店店主は同校の教師2人に指摘。教師が清輝君に尋ねたところ、清輝君は「田んぼで転んだ」「自分でぶつけた」などと話している。
 この時から現金(数百円から数千円)をせびられるようになった。

 2年生になると、それまで優等生(学年で10番以内)だった清輝君の成績は落ち始め、表情も暗く、落ちつきがなくなり始めた。また、グル-プから授業中に手をあげて発表することも禁止されていたため、教師からの評価も下がった。
 クラスの担任は20代の女性教師で担当教科は「理科」、前年は小学校1年生を受け持っていた。東部中学では慣れない指導で、生徒から「幼稚っぽい」と反発が生まれ、4月末頃には早くも授業の中での担任いじめが始まった。この女性担任の机に「死ね」と書かれていたこともあった。

 清輝君のいじめはさらにエスカレートする。毎日のように殴られたり、パシリに使われたりされはじめ、さらに女子トイレに入らされたり、女子生徒がいる前でズボンを下ろしてコンドームをつけ自慰行為を強制されたこともあった。遺書に「自分にははずかしくて、できないこと」と書かれていたのはおそらくこういういじめだったのだろう。
 さらに、それまで要求されていた金額から1ケタも2ケタも増えて、1度につき万単位で要求され始めた。持ってこられないと、たばこの火を押しつけるなどの暴力があった。ある生徒は「お金をとっているうちに感覚がまひしてためらいが消えた」と後で話している。Aは「強盗してでも金を持ってこい」と脅し、清輝君らに別の同級生の家に盗みに入らせたこともあった。こうした金はグループのカラオケやゲームセンター遊びや、コンビニで食糧や酒を買うのに使われた。
 現金の要求は10回以上にわたって行なわれ、清輝君は好きなゲームソフトを売ったり、遺書にもあるように散髪代をうかして工面していた。だが中学生に度重なる数万円の要求に応えられるわけもなく、次第に工面に苦労するようになる。

 そしてもっとも清輝君に恐怖を与えたいじめが遺書に図入りで書かれた矢作川(※)で顔面を無理やり水の中につけられるものだった。川の中で足をかけられて、息ができず、力づくで押さえつけらる。やられていた清輝君はいったいどれほど怖かっただろうか。

※矢作川・・・・百科事典 日本の川 「矢作川」
http://www.mlit.go.jp/river/jiten/nihon_kawa/data/tyuubu/yahagigawa/yahagigawa.html


【自殺に至るまで】

◆1994年

 3月、清輝君の家でプロレスごっこ。

 4月8日、清輝君と他1名が同級生を殴る。グループに指示されたことを打ち明けた。

 4月13日、指示したと考えられるグループの生徒らに話を聞くも、否定した。

 4月21日、担任教師は清輝君の様子を心配し、小学校時の様子を当時の教師から聞いた。
 
 5月16日、「ジャンケンゲーム」というジャンケンに負けた方が勝った方の命令で同級生の悪口を言うという遊びをきっかけに殴り合いになるという事件があった。この日は家庭訪問があり、女性担任は「問題の多い子たちと一緒にいるので、強い意思で断れるとよい」と話すが、清輝君から「仲間といると楽しい。離れたくない」と言われた。 

 5月26日、中間テスト前日というのに清輝君と同級生らが岡島の水門付近でふらふらしているのを同校の教諭が見かけ、注意した。

 6月22日、音楽の時間の歌のテストで清輝君は歌わず、席にもどるときにグループの生徒らに手を振った。

 6月30日、 清輝君が給食時に2年C組の教室で女子に対して悪口を言って、担任がその理由を聞いた。「もし命令されたなら言ってほしい」と尋ねたが、清輝君は何も言わなかった。次の時間にも授業中にふざけた態度をとったため、担任が強く注意した。清輝君は机を叩いて「ちくしょう」と言った。放課後、グループが下永神社に集まっていたところ、3年生が通りかかり、タバコの吸殻を見つけ、「やめろ」とグループの何人かを殴った。

 7月、清輝君、夜にふらりと出かけるようになる。一方、大河内家ではお金の計算が合わないことがたびたびあった。父親が問い詰めたが、清輝君は「知らない」と泣き続けるだけだった。1度だけ「自分で使った」と認めた。
 
 7月11日、グループが下永神社に集まっていた。そこに3年生がやってきて、喧嘩になった。その時に3年生は清輝君に「あの子たちといて、いいのか」と尋ね、清輝君は「楽しいからいい」と答えた。

 7月中旬、矢作川でのいじめ。

 7月14日、三者懇談会で、学習成績が下がったことや生活を見なおして欲しいことを話したら、清輝君は涙を流した。

 7月15日、6月30日と7月11日の神社での3年生とグループのトラブルが発覚。3年生が2年生を殴ったことを指導し、担任、保護者を伴って被害生徒の各家庭に謝罪に訪れる。同じ頃、グループが小園の神社で喫煙、花火、神社へのいたずらをしていた。

 7月19日、教師が関係生徒に事実を確認したところ、15日の喫煙と花火が判明した。

 7月25日、清輝君の「息子が剣道の初段の検定料だといって、7000円を祖母から持って行ったが本当か」と学校に電話。嘘であったので担任と他の教諭が清輝君に事情を聞くと「昨日『エレキランド』で、ファミコンソフトを買ってしまった」と言った。その後、「エレキランド」に行って確認し、買ったソフトを示した。
 
 7月26日、清輝君が前日「エレキランド」で示したファミコンソフトを教師に見せ、教師は保護者にその旨を連絡した。
 
 7月〜9月、金を要求されたことから漫画数十冊とゲームソフト十数本を中古ファミコンショップや古書店で売却。しかし、全部合わせても1万円に満たなかった。祖母に買ってもらったゲームソフト2本だけは、旅日記に「これだけは売らない」と書いていて実際売らなかった。

 夏休み、グループは約10km離れた岡崎市のゲームセンターを約20回訪れている。当時、ゲームセンターにはプレイヤーの顔面の画像を記憶して対戦相手として登場させて、殴るとモニターに映った顔がねじ曲がっていくボクシングゲームがあったのだが、グループの生徒らは清輝君の顔を記憶させて、その変形していく顔を見て楽しんでいた。店員によると、清輝君はほとんどゲームはせず、他の4人が獲得した景品の荷物持ちをしていた。

 8月16日-17日、清輝君、家族や親戚と京都・奈良へ旅行。清輝君は欲しかった財布と、グループから「人数分だけ買って来い」と命じられていた木刀を買った。
「木刀も、映画村は2000円だったのでかえるかとても心配だった」(8月16日分の旅日記)
「財布がやすかったもんで、かんげき。でも、木刀がかえるか心配していた」「木刀が千円だったでかんげきと思ったけど、お母さんにおこられると思ってたくさんかわなかったので、(グループに)何か言われると思って不安になった」(8月17日分の旅日記)

 8月18日 奈良で買ったおみやげの木刀で殴られる。グループは跡が残らないようにと腹を狙い、木刀が折れるまで殴り続けた。

 9月15日、グループの生徒が喫煙していたところを発見され、その場に清輝君もいたことから学校から反省文を書かされる。

 9月16日、担任は清輝君が喫煙する生徒と一緒にいることをについて事情を聞き、指導した。
 
 9月16日、学年回で清輝君の様子について話し合った時、養護教諭は「視線が定まらなかったり、体のゆれがとまらなかったことがあった」と報告。心理テストの実施を勧めた。

 9月17日、心理テスト実施。清輝君は「友達はいい人、クラスのみんなは優しい。将来はいい高校、いい大学に入り、いい会社に入りたい。勉強は大切、成績は上げたい」と書き、ますます心配になり、学年の先生に相談してカウンセリングを受けることを勧めた。

 9月20日、午後9時半、担任は清輝君の父親と電話で学校の様子を話す。この時、「息子が夜ジュースを買いに行くと言って、出歩く癖がついている。清輝の話がわからない」と父親は言った。

 9月21日、清輝君は体育館で下半身下着姿にさせられていた。たまたま居合わせた女性の養護教諭は驚いて下着姿で走っている清輝君に「何してるの」と声をかけたが、清輝君は笑いながらズボンをあげ、何も言わずに立ち去った。

 9月22日、グループの数名が刈谷署(刈谷市)に保護される。彼等は17日から家出していたのである。このうち1人が乗っていた自転車が盗難自転車で、「清輝君が8月下旬に盗んだもの」と話す。

 9月24日、清輝君と父親が刈谷署に出頭。その後、学校に行き「自転車は同級生にとらされた」と報告した。これはずっといじめをに耐え忍んでいた清輝君の初めてのSOSのサインだった。父親はその席で「8月に岡崎で自分で転んで自分の自転車を壊したといっているが、自転車の壊れはいじめでないか調べてほしい」と話す。教師が清輝君に自転車のことを尋ねたが、最後まで「自分で転んだ」と言う。

 10月4日、清輝君が保健室に小さな怪我の手当てに来た。養護教諭は、その怪我よりも左ほほ上のあざが気になり、「その痣はどうしたの」と彼に聞くと、清輝君は「走って防火扉にぶつかった」と話す。

 10月7日、担任は自転車泥棒の件や最近の落ちつきのない言動などから、「スターボール」駐車場にて、清輝君の叔母にカウンセリングを受けるように家族に話してもらうようにお願いした。

 10月12日、清輝君の叔母が来校し、担任に「清輝はカウンセリングを受けさせず、家庭で話し合う」と返事をした。

 10月半ば、「この頃、清輝君が明るくなってきた」と教師ら。

 10月22日、担任が清輝君らがプロレスごっこをしているのを目撃。過激だったのでやめさせた。

 11月2日〜6日、家族でオーストラリア旅行。清輝君はとても楽しそうだったが、グループへのおみやげを買うのに必死だった。父・祥晴さんはこの旅行を問題続きだった清輝君に心を開いてもらうために計画したという。現地での思い出を清輝君はのちに旅日記に記している。
「イルカ島のイルカの目を見たらとても悲しそうだった。イルカは人間のいいなりになっているけど、人間が人間のいいなりになるなんて、って自分がアホらしくなってきた」

 11月26日、祖母の財布から1万2千円が消え、父親が問い詰めると、「ゲームをやって自分で使った」と言った。父親は正座して泣きじゃくる清輝君の頬を平手打ちし、けった。「外のお金を取るようになったら立派な犯罪だよ。施設にも行かんといかんよ」と叱った。清輝君は「施設に行ってもいい」と答えた。

 11月27日、清輝君が命令で盗んだ自転車の持ち主に、父子で謝罪に行った。午後1時半頃、清輝君は「勉強しに行く」と言って自転車で外出。途中、市内の商店にいたグループの4人と偶然遭遇し「金を取って来い」と命じられる。清輝君は「もう金がない」と言いながら自宅に戻り数千円を持って来て渡した。しかし、「これじゃ少ない。もっと取って来い」と言われる。清輝君は再び自宅に戻っていった。午後3時頃、同級生が自宅に向かっている清輝君を見て声をかけたが、清輝君は自転車に乗ったまま振り向かず手を振ってこたえ、去っていった。
 もうすでに110万以上の金をグループに渡しており、なおも要求された清輝君はこの時自殺を覚悟したのではないだろうか。
 夜、「友達の家に行く」と言ったまま戻らなかった清輝君を家族が探していたところ、母親(当時45歳)が自宅裏庭のカキの木にロープで首を吊っている清輝君を発見した。

 いじめグループのメンバーは、自殺直後に「黙っていれば分からない」と申し合わせた。真相の書かれた遺書があることを知らずに。

 12月1日、清輝君の自室の引出しから遺書を兄が発見。ほかのノート類の下に「旅日記」とともにしまってあった。また、家から持ち出した現金の借用書、写真・絵日記も残されていた。写真・絵日記には小学校の修学旅行やマラソン大会の完走証など清輝君の良い思い出をまとめたもので、中学校のコンピューターの授業で作った星座表の下には「お父さん、お母さん、僕を生んでくれてありがとう」とのメモ書きが貼られていた。止むことのないいじめの厳しい毎日に、「僕の人生には楽しい思い出もたくさんあったんだよ」と確認し、それを懐かしみながら死んでいこうとしたのではないだろうか。
 後日、1年生の時の問題集を破ってつくった8羽の折り鶴も見つかっている。折り鶴にはそれぞれ「神様」「ほとけ様」と家族の呼び名が書かれており、生前に家族と別れる辛さを折り鶴に託したものと見られている。


【事件後】

 テレビのワイドショーなどでは、前週までの「つくば母子殺害事件」報道から、いじめ特集一色となった。

 自殺の翌日、学校は教育委員会に「突然死」と報告。校長は全校集会で生徒に「軽はずみに人に話さないように」と話した。報道陣にも「(いじめの)事実は出てこない」と話していた。
 学校側は生徒全員にこの事件を受けての作文を書かせた。「清輝君はやさしすぎた・・・・」「苦しんでいたなんて、知りませんでした」「命をそまつにしたのはいけない」「彼はふつうに見えた」などと書かれた作文があった。

 西尾市教育委員会の調べでは、清輝君いじめに関わったのは主犯4人を含む11人。2年生の5クラスにまたがって存在していた。

 12月14日、担任の女性教師が手記を発表。
「なぜ、清輝君の心の叫びをわかってあげられなかったのか。自分が情けない。自分が悔しい(中略)清輝君、いつまでも、みんなを見守っていて下さい」
 
 また8年前に起こった「中野富士見中学いじめ自殺事件」の鹿川君の父親が大河内さん宅を訪問。
「親は当然、自分が一番悪いと思っているが、東部中に事件を隠したがるような態度が見える。やった方も責任を薄く考えている。追及の手をゆるめてはいけない」
 15日、大河内祥晴さんさんはいじめを苦にしている子ども達に対して、「死んではいけない」という手記を発表。

 事件から数ヶ月後、地元の父母、大河内祥晴さんの同級生を中心に「いじめと不登校に学ぶ会」が結成された。また、西尾市職員、保母、父母などが「西尾の教育を考える会」を結成。96年にはこの2つの団体と「あいち民研いじめ問題プロジェクト」の共催により「いじめ・自殺を考える公開シンポジウム」が西尾市で開催された。


【主犯格「社長」について】

 いじめグループのリーダー格のAは「社長」と呼ばれ、腕力がずば抜けていた。その下には「極悪軍団」と呼ばれる生徒が数人おり、さらに下に「パシリ」「召使い」として清輝君ら2人前後がいた。序列は「社長」をのぞいてたびたび変わった。清輝君から脅しとっていた金は一旦「社長」のもとに集められ、それを分配していた。
 グループのトップだった「社長」も上級生に「生意気だ」と言われ、使い走りにされたり、お年玉を巻き上げられたりして泣いて帰ったりしたことがある。7月に近所の神社で清輝君をいじめていたグループに対し、当時3年生のグループが制裁を加えたこともあった。つまり上級生から下級生へ、その下級生もさらに下級生やグループ内の下っ端をいじめるという連鎖が続いていた。

 夏ごろ、剣道部で3年生が引退して、キャプテンに選ばれたのは、小学校以来実力トップとされてきた「社長」ではなく、別の生徒だった。直後、Aは新キャプテンに練習態度のことで注意され、取っ組み合いのケンカをした。

 12月1日夜、主犯の4人は保護者、生活指導の教師らとともに大河内さん宅を訪ね、謝罪した。
 
 いじめグループの4人が遺族に謝罪文を手渡す。



「1年生の終わり頃から、近くの神社で同級生4人ぐらいと一緒に殴ったりけったりした。初めのうちは、同級生が部活動の帰りに清輝君を呼んで、殴ったりしていたけど、夏休み前ぐらいから日曜日も遊ぶようになり、毎日っていうほど、殴っていた」

「一番ひどかったのは、川でのいじめ。清輝君が「助けて」と言ったけど、皆無視していじめていた」

「夏休みに入ってから、先生に見つかり、ちょっとの間いじめなくなり、ちょっとたってからまたいじめるようになった」

「初めてお金をもらったのは2年生の初めぐらいだと思う。何回お金をとったか分からないけど1回に一人万円ぐらいもらっていた」

「先輩にいじめられていたけど、今度はいじめる方になった」



【遺族】

 同級生の親たちからは「騒いだことで地域に泥を塗った」「受験で不利になった」「東部中の推薦枠が心配」などといった遺族を非難するという声があがった。また匿名の男性から「いつまで学校に文句を言っているんだ」という電話が大河内さん宅にかかってきたりした。

 清輝君の父・祥晴さんはいじめの再発防止や学校教育のあり方を問う為の会を作る。


【処分】

 東部中の5教師を処分、校長は新年度に異動した。

 95年2月10日、愛知県警と西尾署は男子生徒11人のうち4人を恐喝容疑で書類送検した。

 4月4日、3人を初等少年院(内2人は長期、1人は短期)、1人を教護院に送致。少年院送致となった1人は抗告したが、棄却された。


リンク

西尾市の位置
http://map.yahoo.co.jp/address/23/index.html

日本の子どもたち → 「事例 子どもたちは二度殺される」
http://www.jca.apc.org/praca/takeda/number/941127.html

いじめ撲滅ネットワーク
http://members.jcom.home.ne.jp/i-network/


≪参考文献≫

朝日新聞社 「少年に奪われた人生 犯罪被害者遺族の闘い」 藤井誠二 
朝日新聞社 「ルポ いじめ社会 あえぐ子どもたち」 村上義雄
WAVE出版 「あなたは子どもの心と命を守れますか いじめ白書」 武田さち子
大月書店 「いじめの世界が見えてきた」 村山士郎
海越出版社 「清輝君がのこしてくれたもの 愛知・中2いじめ自殺事件を考える」 中日新聞本社・社会部編
学陽書房 「いじめ その発見と新しい克服法」 尾木直樹
幻冬社 「自殺者 現代日本の118人」 若一光司
国土社 「いじめ自殺」 教育科学研究会 村山士郎 久富善之・編
作品社 「10代の遺書 昭和〜平成・自殺流行史」 下川耿史
社会思想社 「20世紀にっぽん殺人事典」 福田洋 
春秋社 「<いじめ>考」 別役実 芹沢俊介 山崎哲
春秋社 「『少年』事件ブック」 山崎哲
草思社 「せめてあのとき一言でも いじめ自殺した子どもの親は訴える」 鎌田慧 
草土文化 「いじめ・自殺・遺書 『ぼくたちは生きたかった』」 子どものしあわせ編集部・編
大海社 「清輝君が見た闇 いじめの深層は」 豊田充
東京法経学院出版 「明治・大正・昭和・平成 事件犯罪大事典」 事件・犯罪研究会・編
批評社 「戦後ニッポン犯罪史」 礎川全次 
文藝春秋 「マルコ・ポーロ 95年2月号」 
毎日新聞社 「いじめ緊急レポート 死んではいけない」 TBSテレビ『みのもんたの朝ズバッ!』編 
毎日新聞社 「シリーズ20世紀の記憶 新たな戦争 民族浄化 宗教 電網 1990-1999」
毎日新聞社 「総力取材 『いじめ』事件」 毎日新聞社会部編



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