大分・一家6人殺傷事件




【事件概要】

 2000年8月14日未明、大分県大野郡野津町都原の男性Iさん(当時65歳)宅に、近所に住む高校生A(当時15歳)が侵入。Aは一家6人をサバイバルナイフ(刃渡り11cm)で次々と切りつけた。Iさんの妻S子さん(66歳)、娘のT子さん(41歳)、T子さんの長男J君(13歳)が死亡。さらに高校生の長女(当時16歳)、次男(当時11歳)を重傷を負わせ、Iさんも意識不明の重体となる。Aは翌朝逮捕された。


少年A


【のぞき見る目】

 少年A。家族は両親と兄と祖母。
 事件当時、父は廃棄物処理会社、母は津久見市内のタクシー会社、兄は建設会社でそれぞれ働いていた。祖母はこの頃、福祉施設に入所していた。

 A一家の住んでいたのは、24戸しかない都原集落で、人々は家族のような連帯感を持っていた。特にA宅とI家の距離は200mほどで、Aの父とIさん(当時65歳)は釣り仲間だったこともあり、両家は特別親密な仲だった。A自身も事件で切りつけた長女(当時16歳)と小学生時代一緒に登校するなど仲が良かったし、殺害された長男J君(13歳)とは中学時代バスケットボール部の先輩後輩の間柄で、次男(当時11歳)とも事件の1週間前まで一緒に遊んでいた。

 Aが3、4歳の時、母親はタクシー会社で働き始める前の職場で親しい男性ができて家を出る。この間、務めてまもない廃棄物処理会社に父が連れていって、面倒をみていた。この時、会社で飼われていた猫をずいぶん手荒に扱うのを目撃されている。会社でダンプの運転手をしていた父も、家に不在がちであり、Aは幼少期に両親不在がちの生活を送っていた。Aは集落に1件しかない万屋で、夕暮れ時インスタントラーメンを買って帰ることもあった。

 しばらくして母親が戻ってきて、何事もなかったかのように一家の生活が再会される。この母親不在の時期は近所の人の話によると、数週間から1年と定かではない。こう書くと母親が常識知らずに思えるが、夫婦のどちらが常識的で会ったかと言うと母親の方だと近所の人は語る。

 父親は水害で車が流されそうな時でもパチンコ台を立たない。稲の刈り入れ時期、作業しやすいように畦の手入れを始めるのだが、あまりにも入念に手を入れすぎて、毎年刈り入れの時期を大幅に遅らせてしまう。なにごとにも極端に入れ込み過ぎ、本来の目的を見失ってしまうというのが父の性格であったようだ。また父親は非常に感情の起伏の激しい人物で、母親の家出はそういうことに起因しているのではないかと噂されたりもしている。Aを身体が浮くほど蹴飛ばして、大声で怒鳴りつけ叱りつけることも少なからずあったようだ。

 Aは小学校5年の時から、アルバイトで新聞配達を始める。配達区域は都原地区24軒であった。

 中学に入ると、Aはバスケットボール部に入った。勉強はさほど得意ではなかったが、仲間と遊ぶ時は活発な一面も見せていた。この時期、隣家で飼われている子犬を見に、連日訪れていた。Aは子犬をよくかわいがり遊んだが、たまにボールを投げつけるなど、「かわいがっているのかいじめているのかわからない」と隣家の人を困惑させた。

 中学時代、Aは授業で習ったコンピューターグラフィックスに興味を持ち、専門学科の豊富な大分市内の県立高校に進学したいと考えるが、成績が及ばず、心ならずも地元の野津高校普通科に進学した。入学後は野球部に入部したが、4月中に退部している。

 この頃、Aは10人ほどの不良グループと行動を共にし始め、前髪を染めたり、ピアスをするようになった。5月末、じゃんけんで負けたほうが肩を拳で叩かれる「肩パン」という遊びが度を過ぎて、同級生に一方的に殴られ、双方の親が話し合って仲直りさせるというトラブルが起こっている。じゃんけんで買ってもAは強く殴れず、逆に負けると思いきり殴られる。それはAがグループ内では”パシリ”的な扱いだったからだという。

 Aは中学生、高校生となっても、近所の小学生相手によくキャッチボールやサッカーをしている。面倒見がいい性格とも言えるが、I家への出入りも無遠慮のままだった。成長するにつれ、しだいに姿を見せなくなっていく他の遊び仲間とそこが違っていた。

 6月、Aは親を通じて担任に「学校を辞めたい」と伝えた。その後、6月25日から1週間つづけてAは学校を休みだし、この間に担任が4度も自宅を訪れている。最後の訪問となった7月20日にはAは「もう少しがんばってみる」と担任に話し、そのまま夏休みを迎えた。1学期の欠席日数は16日に及んだ。

 Aが欠席がちになってゆくのと期を同じくして、都原集落では女性の下着が盗まれる事件が相次いだ。被害に遭う家は決まって2件。Iさんの家と、Aと顔見知りだった女子中学生のいる家だった。

 7月末、女子中学生の家に侵入し、彼女の部屋で下着を10枚ほど切り裂いて放置している。下着の盗難には目をつぶっていた女子中学生の両親も被害届を出す。後にわかることだが、Aはこの部屋に出入りするための合鍵を盗んで所持していた。

 一方のIさん家でも繰り返し下着が消える。すぐ前の道路周辺に盗難物やポルノ雑誌が撒かれていることもあった。このことにより、Iさん方では夜間厳重に戸締りをするようになった。

 8月初め、Iさん方の侵入口にしていた風呂場の戸締りを防ぐために、Aは深夜窓に障害物をしかけ、締まりきらないようにしようと企むが、この時Iさんに顔を見られて、使っていた脚立を置いて、一目散に逃げた。

 8月上旬、再び女子中学生宅に侵入。たんすの中にあった女子生徒や母親の下着を取り出し、刃物で切り裂いた。下着は室内に放置したまま、逃走した。もうこの頃には、都原集落においてAの下着盗難とポルノ雑誌の放置が公然の噂となっていた。それでも昔ながらの家族的な雰囲気を残すこの集落ではこれまでと変わりなく、この孤独な少年と接した。

 ある日、20代の男性が、仕事途中に集落内の道路下で座りこんでいるAを見かけている。片手に子猫を持って、用水路の水につけているので男性が声をかけると、Aはつまらなそうに猫を放した。弱りきってぶるぶる震える猫が逃げ出そうとするのを、さらに追いかけようとするので「もうやめろ」と咎められると、Aは子猫を思いきり蹴飛ばした。

 8月6日ごろ、Iさんは家の風呂場にのぞきに来るAを厳重注意しにやってくる。Iさんはのぞきの証拠として、Iさん方の裏口に置き去りになった脚立の持ち主をただしている。Aの母はその場で知らぬふりで通し、一方でAを叱り飛ばした。この一件からAが挨拶しても、I家の人々はそれを返さないようになった。

 Aは新聞配達のアルバイトをまだ休まずに続けていた。配達時に近所の人に会うと、「ご苦労さん」と声をかけてくれるのだが、I家からのあいさつはIさんの警告以来、ぷっつりと途切れた。犯行数日前には、Iさんの妻・S子さん(66歳)とI家の玄関口で立ち話をしていた近所の人が、新聞をこれ見よがしに邪険に放り投げるAの態度を見て、「なんね、その態度は」と呼びとめた。Aは振りかえって憎悪にゆがんだ顔で睨んでいたと言う。その頃、危機感を募らせたIさんが逆に少年を激しく睨みつけるという場面もあったようだ。

 新聞配達を終えると、集会場前の夏休みのラジオ体操をする5、6人の小学生に混じるのが日課だった。ラジオ体操に参加するというのでもなく、ベンチに座って眺めているだけだ。1度、胸ポケットから煙草を取り出そうとするのを、子供の保護者が止めた。
「たばこを喫むなとは言わんけど、小さい子供がいるここではいかんよね」
 そう言われたAはコクンとうなずき、ふてくされるでもなく煙草をしまうと、翌日からは煙草を取り出そうとしていない。

 8月13日、IさんはA宅を訪れ、応対した母親に対し、再びのぞきの件を注意した。2度目の警告はさらに手厳しかったと思われる。

 このあとAは、父に工具の片付けを頼まれて偶然入った自宅倉庫で、兄のサバイバルナイフ(刃渡り11cm)を見つける。Aは部屋にナイフと砥石を持ち込んで研ぎ、畳や柱を試し切りした。
「この時、人を殺す不安や迷いがなくなった」
 後の取調べでAはそう供述している。

 夜になると「I家暗殺計画」と題されたノートに簡単な覚え書きを始める。犯行の際の服装や凶器の購入を映画などの影響から構想し始めるが、「金や手間がかかりすぎる」とこれを断念し、深夜になると早々にAは行動をうつし始める。部屋でCDを聴き、マンガ本を読みながら過ごし、14日午前1時ごろに自宅を出てIさん宅へ向かった。


【殺害】

 I家の農機小屋で待機していたAは、家の電気が消え、時計を見て午前2時になったのを確認してから、外にあったI家の脚立を使い、風呂場の窓を金づちで一気に割って侵入した。

 I家は老夫婦が寝る母屋と、娘一家4人が住む離れがあり、家の中の階段で繋がっている。

 母家からの階段をかけ昇ったAは、まず長男J君をサバイバルナイフでメッタ刺しで切りつける。その後、次々と家人を切りつけ、帰り際に逃げおおせた次男(11歳)を見つけ胸を一刺するが、次男は一命を取り留めることができた。
 事件現場となった室内は鮮血で染まり、ガラスが砕け、家財道具が散乱していた。S子さん、T子さん(41歳)、J君の3人は即死だった。

 一旦、自宅に戻ったAは倉庫から油の入ったタンクを持ち出してI家に戻り、外から油をまき、火をつけて再び自宅に戻っていった。I家では背中を切りつけられた長女が警察に通報していた。

 事件当日の早朝、自宅を訪れた捜査員に対し、Aは「家におったよ」と話した。しかし、三重署に向かう車の中で「犯人は僕です」とあっさり犯行を認めている。午前6時、殺人と殺人容疑で緊急逮捕された。


【逮捕後】

「息子がI家の一家6人を傷付け、とんでもない事件を起こしてしまった。すまないことをした」
 8月25日夜、事件後亡くなったAの祖母の通夜の席にて、Aの両親は事件後初めて住民の前に姿を現し、涙声で謝罪の言葉を述べた。涙で言葉が続かず、頭を下げて何度もわび続けたという。

 長女と次男は亡き母親の元夫、つまり実父によって引き取られた。この実父は事件を知ったとき、すぐに2人を引き取る決心をしたが、現在の家族の手前言い出せなかった。そこへT子さんとの離婚後一緒になった妻が「お父さんが引きとらんでどうするん」と切り出したのだ。

 長女は車椅子での生活を余儀なくされながらも大学入学を果たし、義母の介助を受けながら通学している。
 次男は刺されたナイフが運良く心臓部をそれており、10時間の手術を耐え、今は普通に学校に通学して、運動を楽しむまでに回復した。一時、次男は事件当時のことを思い出し、動作や言葉遣いが退行することがあったが、カウンセリングや新しい家族の協力に支えられトラウマを少しずつ克服した。

 Aに激しく抵抗したIさんはサバイバルナイフの刃を素手で握り、指の関節の部分がえぐられ、病院に運ばれた時、指先がかろうじて皮一枚で繋がっている状態だった。頬から刺しこまれたナイフの先が脳に達し、今も寝たきりで、尿意を伝えるのが精一杯である。


 9月4日、大分地検は「少年院送致が相当」との意見書を出して、Aを大分家裁に送致した。すぐに家裁でも「観護措置」が決定され、大分少年鑑別所に移される。

 12月26日、大分家裁の最終審判で、
「社会に適応させるためには、最初から育て直すようにして少年の未熟な自我の発達を促しつつ命の尊さを教えることが不可欠であること。少年には、重症の小児期発症型行為障害でがあることから、相当長期間にわたり、専門的な治療と教育を行う必要があること。そのため、少年を医療少年院に送致すること」
 という内容の保護処分が言い渡された。


 2001年11月、遺族側は2億4000万円の賠償金などを求め大分地裁に訴訟を起こした。しかし、遺族は経済的な事情から必要な印紙代(約83万円)が支払えず、訴訟は和解できないまま却下された。簡裁での即決和解の印紙代は1500円で、法廷を移して和解手続きを進めることになった。

 2002年10月、Aは医療的な措置を終えて関東地方の特別少年院に移送された。

 2003年、Aの両親と遺族側で、Aの退院後の情報(35歳までの住所や職業、事件への反省状況)を報告することを条件にを和解が成立。遺族側は「Aの更生状況を見極めるため」という。


リンク

こころの散歩道 事件の犯罪心理       
http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/syounen/2000/ikka/


≪参考文献)≫

葦書房 「事件1999-2000」 佐木隆三 永守良孝
学習研究社 「歴史群像シリーズ81 戦後事件史 あの時何が起きたのか」
角川書店 「誰か僕を止めてください 〜少年犯罪の病理〜」 産経新聞大阪社会部
河出書房新社 「現代殺人事件史」     福田洋・著 石川保昌・編
新人物往来社 「別冊歴史読本 殺人百科データファイル」
新人物往来社 「別冊歴史読本 新・殺人百科データファイル」
新潮社 「その時殺しの手が動く」 新潮45編集部・編 →駒村吉重 『田園広がる風景を失踪した青き性』
大洋図書 「日本震撼事件 戦後殺人ファイル100」 日高恒太朗
中央公論新社 「『母性』の叛乱」 別役実
東京法経学院出版 「事件犯罪大事典」 事件犯罪研究会・編
日本放送出版協会 「17歳のこころ その闇と病理」 片田珠美 
批評社 「学校の中の事件と犯罪 3」 柿沼昌芳・永野恒夫 編著


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