目黒・中2少年の家族3人殺害事件




【事件概要】

 1988年7月、東京目黒区の建材会社役員(44歳)宅で、この家の中学2年の長男A(当時14歳)が両親と祖母を殺害するという事件が起こった。犯行の動機は日頃から「勉強しろ」と口うるさく言われていたことの鬱憤によるものだった。明石家さんまに憧れ、友人とファミコンして遊ぶどこにでもいるような中学生の起こした犯罪ということで社会に衝撃を与えた。


少年A


【Aという子】

 1974年、東京都目黒区生まれ。母親が26歳の時の待望の子どもだったが、病弱だったため祖母に子育てを任される。近所の人のAの印象は「明るいおばあちゃん子」と映っていたようだ。小学校時代の指導要録にも「陽性で、楽しい子。影が一つもない」と記されていた。実際、子どもらしい無邪気な子だったのだろう。

 1987年3月、目黒区立東根小学校卒業。卒業文集には「6年間の間に心に残ったこと」という題で次のように書いていた。
『1、2、3年生のころは、体が弱く、運動神経が、悪く、足も遅く体力もなかった。でも今はちがう、体もじょうぶになり、運動神経も、まあまあよくなった。でも一つだけ変わらないのは「頭」だ、勉強しようと努力するのだが、ついなまけてしまうので一向によくならない(後略)』

 同4月、目黒区立第十中学校に入学。1年時の成績は平均的。部活はサッカー部に所属。足が速かったが、チーム内では目立たず、2年になるとレギュラーをはずされ練習をさぼりがちになった。

 1988年4月、2年生にあがって新しい教科書を見たAは「もういやだ。死にたい」と思った。実際、1年生までは一夜漬けの勉強でもそこそこの成績をとれていたが、2年生になるとそうはいかなかった。期末テストではすべてが平均点を下回る。

 またアイドル南野陽子の大ファンで、5月頃コンサートに行き、友人に「1mまで近づいた」と自慢げに語った。7月頃には「南野陽子を乱暴して自殺しようと思う。しかし、そうなると家族に迷惑がかかるので、事前に殺すつもりだ」と言っていた。

※南野陽子・・・・1967年兵庫県伊丹市生まれ。84年テレビドラマ「名門私立女子高校」でデビュー。口元のホクロがチャームポイントのアイドルで、「ナンノ」の愛称で親しまれた。主な出演作は「スケバン刑事」(87年)、「はいからさんが通る」(87年)など。


【一家と教育】

 一家は両親、祖父母、Aの5人家族。

▽父親(44歳)
 Aと同じ中学を出た後、法政大学第二高から法政大学に進む。野球部に所属しており、高校時代の同期生には元巨人・柴田勲がいた。卒業後は商事会社に勤めるが、81年に建材販売会社を設立。平日も休日も忙しく、家庭のことにはかまけていたという。

▽母親(40歳)
 幼い頃から病弱だったため、出産後は祖母に全面的に子育てを任せる。化粧品のセールスの仕事をしていた。

▽祖父(当時79歳)
 家庭に不在がちな父親に代わって、祖母と母親が口争いをしているとこれを治めるなどの役割を担っていた。事件当日は神奈川県箱根に旅行に行っていた。

▽祖母(70歳)
 Aの教育をめぐって、母親と言い争いすることもあったという。友人に「嫌な嫁だよ」と話していた。

 
 Aの教育については幼い頃から両親が口うるさく言っていたようだ。Aの成績が下がるとファミコンをAの部屋から持ち出す(隠す)。「成績の順位は100番以内に入れ」、「こんなことでは四流、五流の高校にしか入れない。それなら行く必要はない」と説教する。だが程度の差はあれ、これくらいのことはどんな家庭でも言われていたのではないだろうか。
 またAのお小遣いは月1000円だったが、試験が平均点より下の場合、一教科につき一月分は没収となった。Aの期末試験の結果は3教科が散々だったので3ヶ月分のお小遣いが支払われないことになっていた。第10中では塾に通っている生徒が多く、教科によってはクラスの三分の一が90点以上ということもあり、平均点を上回るにはそれ相応の努力が必要だった。「大変なことになった」とAは友人に話す。


【殺害】

 7月7日、A、特に変わった様子もなく学校へ行く。期末テストの国語、数学、英語が返されるが、どれも平均点を下回っていた。放課後は友人宅へ行く。この友人は塾へ行く予定があり一旦別れるが、自宅に帰りたくなかったのだろう、塾帰りの時間に合わせて遊ぶ。
 帰宅したのは午後7時になっていた。母親に返された答案を見せ、怒られる。
 9時ごろには友人に電話、「4時ごろになったら、うちに来てくれ。やるぞ」

 午後11時半、父親が帰宅。妻から試験のことや部活のことを聞かされ、Aに「勉強もクラブももっとしっかりやれ」と叱る。この後、家族は就寝。しかし、Aは自分の部屋に金属バットと包丁、電気コードを持ちこみ、機会をうかがっていた。

 午前3時40分、Aは下痢を起こし母親の部屋に行って薬をねだる。父親に叱られたばかりなので、母親に甘えたいという心境だったのだろう。だが逆に「いつまで起きているの」と叱られた。
「普通の親ならお腹をさすってくれるのに、うちの親はさすってくれない」
 Aはそんなことを思いながら、自室へと戻っていった。

 同4時頃、約束通り友人がA宅を訪れる。さっそくAらは祖母の寝室へ行き、電気コードを祖母の首に巻きつけ殺害を図るが、途中で気づかれ、驚いた友人は逃げ帰る。Aも一旦、引き揚げる。

 4時30分頃、A、母親を金属バットで襲う。物音と妻の悲鳴で目をさました父親は「気でも狂ったか」とAを叱り、バットを取り上げた。Aは再び部屋に戻り、包丁を持ち出して追いかけてきた父親を刺殺。つづいて母、祖母の順で殺害。3人ともメッタ刺しにしていた。返り血を浴室で洗い流し、ヘッドホンカセットを聞きながら漫画を読んで時間をつぶした。

 午前6時10分頃、「ちょっと出てきてくれ」と友人に電話。近くの公園で落ち合うと、「両親と祖母を殺した」と告白。だが友人は冗談だと思い、これを信用しなかった。 
 さらに別の友人を電話で呼び出したのは8時頃だった。都立大学の屋上で、やはり殺害の事実を話す。このあと友人を連れて自宅へ。友人は室内で死体を目撃。10時半頃、遅い登校をし、友人や教諭に相談した。

 午後3時53分、自宅近くの駐車場にいたAが学校から通報を受けた碑文谷署員に逮捕される。家の中からかき集めた現金20万円の入ったバッグを持っており、「これを使い果たしたら自殺するつもりだった。僕なんかどうなったっていい」と話した。

 取調べを受けたAは母親について「何も母親らしいことをしてもらってないのに、勉強しろと。口ばかりうるさい」、父親については「酔って帰ってきては当り散らす」と話した。

 7月29日、20日間という異例の長い取り調べを受けたAは家庭裁判所に送致された。
 東京家裁の裁判官は「重大な結果にもかかわらず、捜査。鑑別、調査において動揺が少なく、一応は反省をみせても、それほど罪悪感があらわれていない」と、Aを精神鑑定にかけた。鑑定は1ヶ月半かけて行なわれ、「現在および非行時、少年には狭義の精神障害は認められない。現在ただちに医療を加える必要はなく、少年の身体的、心理的、社会的な発達に見合った教育、矯正を加えていくことが適当と思われる」という結果が出た。
 10月6日、東京家裁はAを初等少年院に送致する審判の決定を出した。

 1991年3月、Aは仮退院した。当時16歳で、祖父は高齢だったため、引き取る親族もあらわれず、更生保護会に入って保護観察を受けた。Aは定時制の高校に通い、成績はトップクラスだったという。


リンク

目黒区立第十中学校
http://home.s01.itscom.net/meguro10/

目黒区立東根小学校
http://academic2.plala.or.jp/mehgsneh/

南野陽子
http://www.webk.co.jp/profile/profile_minamino.htm


≪参考文献≫

朝日新聞社 「少年事件を考える 女・子供の視点から」 兼松左知子 福島瑞穂 若穂井透
王国社 「東京の事件 都・市・型・犯・罪・の・ゆ・く・え」 朝倉喬司
現代書館 「少年『犯罪』シンドローム」 小笠原和彦
社会思想社 「20世紀にっぽん殺人事典」 福田洋 
春秋社 「事件ブック」 山崎哲
新潮社 「新潮45 06年8月号」
水声社 「犯罪地獄変」 犯罪地獄変編集部編
青春出版社 「親が知らなかった子の愛しかた 恐るべき検証殺意の動機 」 佐木隆三
青春出版社 「人が人を裁くということ 罪と人間のはざまにある”心”の記録を追って」 佐木隆三 
東京法経学院出版 「明治・大正・昭和・平成 事件犯罪大事典」 事件・犯罪研究会・編
晩成書房 「浮遊する殺意 消費社会の家族と犯罪」 岸田秀×山崎哲
批評社 「学校の中の事件と犯罪 3」 柿沼昌芳・永野恒夫 編著
民衆社 「子どもがなぜ親を殺すのか」 菊地良輔


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