正寿ちゃん誘拐殺人事件




【事件概要】

 1969年9月10日朝、東京・渋谷区で登校途中の区立広尾小1年・横溝正寿ちゃん(6つ)が、若い男に誘拐され、児童の家に身代金500万円を要求する脅迫電話がかかった。

 夜になって、渋谷署管内で容疑者と見られる無職K(当時19歳)を職務質問したところ、正寿ちゃんがはいていた靴を持っており、「おれがやった。カンシャク玉を投げつけたりしたので憎くなり、登校途中をねらい誘拐し、刺して殺した」と自供。それに基づいて東横線渋谷駅荷物預かり所に預けてあったカバンの中から正寿ちゃんの遺体が発見された。


K


【復讐のための誘拐、誘拐のための金】
 
 Kは長崎県生まれ。長崎市内の中学を卒業した後、同市の高校に入学したが、同級生にいじめられるという理由で1年の一学期で中退した。

 1966年夏、学校をやめたKは家の約10万円を持って「海水浴に行く」と言ったまま家出し、神戸のパチンコ店にて住み込みで働くようになる。

 1967年2月、同僚の店員と2人で上京。大井町の印刷会社で住み込み見習い工となる。しかし6月になって、「仕事がいやになった」と長崎に戻る。

 長崎では友人の紹介でガソリンスタンドに勤めた。毎月5000円を貯金するという目標をたて、昼食はパンと水だけで働いた。

 1968年7月、数万円の金が貯まったため、再び上京した。その際、家に「一生に一度に人生だ。のらりくらりやっておれん」という書き置きを残している。当初は住み込みのパチンコ店で働いたものの、以後いくつかの店を転々とする。

 Kが再上京したのには理由があった。
 かつて自分をいじめた同級生たちに復讐するためである。
 復讐のためには腕力が必要で、その鍛錬には金がかかる。そのため女優か歌手を誘拐して、身代金を取ろうとしたのがまず第一の計画であった。長崎ではなかなかできないが、東京でなら有名人の誘拐をできると思ったのである。
 事件後に見つかったノートからは、芸能人の住所、電話番号(当時は有名人の住所などは容易に知ることができた)及び身代金の額が200件、それから中学時代の同級生50人分の住所と電話番号などがギッシリ記されてあった。

 8月になって、Kは計画を少し変更する。有名人には付き人がいて、決行が難しいと感じ始めたからだ。
 誘拐するのは変わらないが、ターゲットを有名人ではなく、かつて利用したことのある北区内の質店の息子(当時17歳)にした。Kは質店の様子を知るために、上野の興信所に調査を依頼したが、この計画は失敗する。

 1969年1月、Kは港区南麻布のガソリンスタンドに就職する。勤務先の独身寮にいながら、彼は毎月3、4000円を誘拐のための費用として貯金していた。

 4月から5月にかけて、ガソリンスタンドを経営している両国の石油会社社長から100万円を脅し取ろうと、脅迫状を出す。

 8月27日、上司とのトラブルで、ガソリンスタンドをやめる。この時点で72000円を所持していた。独身寮を出た彼は恵比寿の簡易旅館で生活をするようになる。

 同月31日、正寿ちゃんの祖父が経営する足立屋質店の裏木戸にガソリンを流して、100万円を脅し取ろうとしたが、火がすぐ消えたため、脅迫電話をかけなかった。

 9月2日、銭湯を出たKは夕立にあい、近くのマルヤ質店に入って傘を買った。その時、Kは店の奥の部屋で弟妹と遊んでいる男児を目にした。正寿ちゃんであった。Kは「誘拐するのは正寿ちゃんにしよう」とここで思いついた。

 9月3日、地下鉄恵比寿駅付近の雑貨屋で、10枚90円のビニル袋を購入。(これは遺体を包むのに使った袋だった)

 9月4日、Kが恵比寿の山下公園のベンチでマンガを読んでいると、正寿ちゃんの友人の小学3年生ら4人が話しかけてくる。Kは読んでいたマンガ3冊と250人を4人にあげた。

 9月6日、Kは公園内で正寿ちゃんの友人2人とキャッチボールをした。

 9月8日、Kは公園付近の駄菓子屋でかんしゃく玉、ゴムマリ、アイスクリームを買い、正寿ちゃんとその友人らに与えた。その後、Kと正寿ちゃんは連れ立って公園を出て、広尾小学校前の歩道橋にかんしゃく玉をぶつけて遊んだ。この時、正寿ちゃんの投げたかんしゃく玉が偶然Kに当たり、Kはつかみかかって怒った。Kが正寿ちゃんから自宅の電話番号を聞いたのはこの日である。

 9月9日、この日もKは公園で子どもたちと遊んでいる。Kはビニール袋に入れたオペラグラスやトランジスタラジオを子どもたちに見せびらかした。この日、Kと知り合った子供らのうち2人が銭湯でもKに会い、手をふって別れていた。子どもたちはKのことを「変なおじさん」「ブタおじさん」などと呼んでいた。

 この日、Kは簡易旅館には戻らず、公園のベンチで野宿をした。星空を見ながら、Kはじっと誘拐計画について考えていた。


【19歳のメモ】

 9月10日午前8時頃、正寿ちゃんが友人2人と一緒に登校するのを尾行していたKは、歩道橋の最後の一段を降りようとするところを後ろから「よお」と声をかけた。
 Kはふりむいた正寿ちゃんの腹をなぐりつけ、泣いているのを無理やりランドセルを外して捨て、抱きかかえて逃走した。

 正寿ちゃんは泣き止まない。そのことにあせったKは、近くの公園の公衆トイレに連れ込んで、小刀で胸を一突きして殺害した。連れ去ってからわずか6〜7分のことだった。 
 Kは遺体を女性トイレに置き去りにしたまま、恵比寿駅近くのカバン屋に行き、死体を運ぶための旅行バッグを4000円で購入した。

 公衆トイレに戻ったKは正寿ちゃんの遺体をバッグに入れ、タクシーに乗って利用していた簡易宿舎に行って預けていたビニル袋を受け取り、再びタクシーに乗った。しかし車内でバッグに血が滲んできたために思わず途中で降りる。

 その後、渋谷駅北口の公衆トイレ内で遺体を8枚のビニル袋に包んで、バッグに入れ直す。脅迫の物証にするための片方の靴はとっておいた。Kはこのバッグを東横線渋谷駅の手荷物一時預かり所に預けた。

 午前11時25分頃、渋谷東急文化会館横の公衆電話から正寿ちゃん宅に脅迫電話をかける。
「ガキはあずかっている 500万円用意しろ 一日だけまってやる ケイサツに知らせらたらかたわになるか生きてもどらないぜ それでもよかったらしらせろ 又電話する」
 あらかじめ書いておいたメモを棒読みするような調子だった。

 それから恵比寿に戻ったKは駅前の映画館で映画を観る。Kは映画が好きだった。
 午後11時半頃、映画館を出て渋谷の喫茶店に向かおうとしていたKは、渋谷署付近で不審尋問にひっかかって逮捕された。逮捕時のKの所持金はわずか600円だった。

 事件後、「ぼくは小さいときからみんなにグズだ、ノロだといじめられ、強くなって相手に復讐してやるつもりだった」とも供述。
 また犯行の動機はについては「2、3日前から金がなく、正寿ちゃんの家は質店を経営しているので金があると思った」と語っている。

 犯行計画を詳細に記したKのメモも発見されている。

No1メモ
「マンクソ(※正寿ちゃんの友人のあだ名)ガキを立橋(※陸橋)につれてくる。きのう弟をすなばのところでなかした。腹をなぐりまぐらせる」

No2メモ
「ガキをタクシーにのせ目黒方面にむかう。ガキをしばり旅館から出る。タクシーにのり御徒町駅前にいく。カバンを買い旅館に戻る。ガキをカバンに入れ公園にもどってマンクソにおれいをやる。ナップザックとふくろを出しせびろをだす(※恵比寿駅一時荷物預かり所に預けてあったもの)新宿にいきカギをたしかめる 電話して金をうけとる」

No3メモ
「コンタクトレンズ1万2000円、トコヤ500円、アパート15万円、背広5万円、クツ1万円、テープレコーダー30万円、レイゾウコ10万円、カラーテレビ20万円、ステレオ15万円、トウチョウキ、アイスパイ2万7500円、ソウジキ10万円、車50万円、勉10万円、陸上スパイク、上下タイツ、ストップウォッチ5万円、剣道2万円、ボディビル1万円、英語3万円、ギター1万円、ボクシング2万円、空手2万円」

 メモNo3の一覧は大金を手にした後、購入するつもりだったもの。体を鍛えるための費用はわずかで、他はぜいたく品が目につく。

 当初の計画ではKは正寿ちゃんを下校後に狙うつもりであったが、気が変わったのか、朝の登校時に襲っている。また殴られて気絶するはずの正寿ちゃんが思いのほか泣きわめいたため、旅館に連れ込んで殺すはずがすぐに殺すことになった。またタクシーで御徒町までバッグを買いに行く予定だったが、血が滲みてきたために近くで降りている。

 犯罪は計画通りにはいかないものだが、陸橋付近で襲うということ、カバンを買ってそれに死体を入れることについてだけ、Kは律儀に守っている。誘拐を計画通りにすすめていくことにKは拘りすぎていた。緻密な計画を立てるのならば、遺体を隠すカバンなどはあらかじめ買っておくのが自然だろうが、彼はそれをしていない。準備していたのはわずか90円のビニル袋だけで、途中で降りるはめにはなったものの、カバンを買うためだけに実際タクシーで御徒町に向かおうとしていた。
 1年以上前に上京してから、誘拐の計画が頓挫しては練り直していたことからも、思いついてしまったら後戻りできない性質だったのかもしれない。


 1972年4月8日、東京地裁・熊谷弘裁判長は、「犯行はきわめて卑劣、悪質なもので、動機にも同情すべき余地はない。被告には暖かい血が通ってないのではないかと疑われるほどである」と、死刑を言い渡す。

 1978年1月、死刑確定。 

 1979年10月、死刑執行。享年29。


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≪参考文献≫

仮面社 「恐怖考」 遠丸立
宝島社 「別冊宝島 死刑囚 最後の1時間」


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