町田・忠生中学生徒刺傷事件



【事件概要】

 1983年2月15日、東京・町田市の市立忠生中学校で、英語担当教師Y(当時38歳)が3年生の生徒(当時15歳)を果物ナイフで刺し、ケガを負わせるという事件が起こった。Y教師は日頃から「ヒバクシャ」などと生徒達にからかわれていた。


Y


【ポケットの中のナイフ】

 1983年2月15日午後、東京・町田市忠生の市立忠生中学校で、英語教師・Y(当時38歳)がナイフで生徒A(当時15歳)の右胸を刺すという事件が起こった。 刺されたAは全治10日の軽傷。

 Aは「センコー!」と怒鳴りながら校舎玄関に置いてあった金属製の靴の泥落とし用マットを振りあげて、Yに襲いかかった。側には別の生徒B(当時15歳)もいた。Yは今にもマットで殴られそうな時、上着のポケットに入れていたナイフで刺した。

 犯行後、Yは元教師でクリスチャンである父親がいる実家へ車で向かった。実家では父親から説得され、3時間後に町田市内の自宅へ付き添われて帰ったところを逮捕された。
 町田署の留置場でのYは興奮状態、その反面驚くほど口数が少なかった。所持していたナイフについては「普段果物の皮をむくのに学校で使っていたが、不要になったので家に持ち帰ろうとした」と主張した。


 町田市はベッドタウンとして人口が急増中で、当時都内の中学校の1校あたりの生徒数は平均720人だったのに対して生徒数1449人と、かなりのマンモス校であった。1学年11クラスほどある。

 当時は校内暴力が問題となっていた時期で、そのなかでも忠生中学は暴力学校として有名だった。前年11月、文化祭の後片付けをしていた教師が、3年生の生徒に「ゴミを捨てなさい」と言って、殴られるということが起こっている。その10日後には3年生の生徒が廊下で爆竹をやり、駆けつけた教師が注意すると殴られて、右手の指を骨折させられていた。これだけではなく、校内の備品も荒らされ、トイレなどは間仕切り壁が破壊されて完全になくなっている状態だった。

 現場にいたBは以前に職員室に乱入し、Yを暴行、10日間のケガを負わせていた。ここまでのケガを負う前に、職員室には暴行を止めようとする教師らはいなかった。Aは1回、Bは自転車窃盗や校内暴力など3回の補導歴がある。

 町田署は逮捕理由について、次のような談話を発表している。
「Y教諭の行為は正当防衛に近いものだったが、本人が思いつめる性格なので、保護の意味もあって逮捕に踏み切った」

 事件後、忠生中学の中里校長は
・教師がナイフを手にしたこと
・生徒をそのままにして父親のところへ逃げたこと
 について「許されない」とした。

 19日、忠生中学にオートバイ相乗りで15人の少年たちが訪れた。卒業生だった。
「俺たちの時は、集団で先生に乱暴するような卑怯な真似はしなかった。在校生に説教に来た。根性をたたき直してやる!」
 高校生や社会人となっているその卒業生らを、教師が慌てて止め、その場は解散となった。


【本当に怖いものは】

 Yは1944年生まれ。神奈川大学入学後に桜美林大学に編入している。横浜市立瀬谷中学校に赴任したのをはじめとして、横浜市立万騎中学校に転任、1978年に忠生中学に赴任してきた。

 1945年8月、1歳にもなっていないYは広島にいた。体が疲れやすく、動作が緩慢であったのは被爆のためだったが、生徒たちはYを「原爆病」「ゲンバク」「ヒバクシャ」などとからかった。そんな言葉を浴びせかけられると、Yはビクっと反応し、生徒らが言うにはその反応が面白くてからかっていたらしい。
 暴力吹き荒れる当時の中学校でも、体格は良いけれどもおとなしそうで体の弱いYが、教師いじめの標的になりつつあった。Aは校舎でYと顔を合わすと、雑巾をぶつけるなどしていた。

 事件のわずか30分前、Yは顧問を勤める「海外文通クラブ」の部室から職員室に戻ろうとしたところ、1階渡り廊下でBから体当たりをされ、怯えて逃げた。

 1年担当のYと、3年生のBは本来接点がない。Bは元々「海外文通クラブ」の部員だった。楽な部活と思ってこのクラブを選んだが、英語が嫌いなBはクラブ活動の時間中、特に何もしなかった。見かねたYが「何もしないなら、辞めなさい」と注意して、Bは別の部に移っていった。事件前年5月頃のことだが、Bはこの時のことを根に持っていたのかもしれない。
 Yが職員室でBから暴行を受けたことは先に述べたが、この暴行もクラブに起因するものだった。この日、クラブ活動室に辞めたはずのBがいた。出席をとる時、YはBを無視するわけにはいかないとBの名前も呼んでいる。自分の名を呼ばれたことを怒ったBが、職員室までYを追いかけまわし、女性教師のかげに隠れるYを引っ張り出して暴行を加えたのである。
 

 話を戻して2月15日。Bから逃げるYは階段のところでも殴りかかられ、蹴りを入れられた。その時、Aがあらわれ、身の危険を感じて職員室に逃げ込んでいる。Yは「○○先生(Bの担任)、いませんか」と言ったが、その返事をした人はいなかった。これはYの職場での孤立、また同僚の無関心、傍観を示す光景である。逮捕後、Yは「他の先生がたは助けてくれなかった」と供述している。

 こうなると、もはや逃げるしかないとYは考える。帰宅届けを出し、いつもより1時間早く家に帰ろうとした。しかし玄関には先程の2人が待ち構えていた。

 刺されたAよりは、補導歴3回のBの方が不良としては格が上だった。Bは一匹狼タイプで、不良グループのリーダー格はまた別にいたが、Aが玄関のマットを振り上げたのは、Bにいいところを見せようとする思惑もはたらいたのだろう。そして刺された。

 この現場を見ていた生徒によると、Yは
「おまえらがそんなことをするからだ!」
「おまえらがやるから、おれもやった!」
 と叫び、周囲の生徒を睨みつけた後、駐車場の方へ逃げ出した。

 2月22日、刺された側のA、そしてBを含む生徒17名は、町田署から東京地検八王子支部に書類送検された。この17名は1月にも傷害事件を起こしていた。
 同じ日、YはA宅と教育長宅に謝罪の電話をいれている。後日、Aは刺されたことをうらむどころか、「先生には悪かった」というようなことを言った。

 2月27日、Y釈放される。

 3月25日、都教育委員会はYを論旨退職、校長を戒告処分とした。

 事件の翌月、忠生中学ではさらに事件が起こっている。
 まず4日、2年生の女子生徒6名が同級生の女子生徒を裏の林に連れて行き、グループを抜けようとしているのを咎めて、暴行を加えた。
 さらに11日、2年生の男子生徒4名が1年生1人に「あいさつが悪い」と言いがかりをつけて暴行。
 15日には3年の女子生徒7名が「なまいきだ」と言って、4日に起こった暴行被害生徒を再び暴行した。


 刺傷事件で逮捕された時、警察で「なぜ刺したのか」と聞かれて、Yは次のようにもらしたという。

 なぜって、怖いからです
 学校は本当に怖いところです



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≪参考文献≫

講談社 「生徒刺傷 公立中学で何が起きているか」 石山茂利夫
坂本鉄平事務所 「孤独な、なかよし」 青木悦
春秋社 「子どもの犯罪と死」 山崎哲 芹沢俊介
新潮社 「新潮45 2008年5月号」
東京法経学院出版 「明治・大正・昭和・平成 事件犯罪大事典」 事件・犯罪研究会・編
東京法経学院出版 「教師の犯罪」 佐藤友之
東京法経学院出版 「少年少女犯罪」 安田雅企
批評社 「学校の中の事件と犯罪1」 柿沼昌芳 永野恒雄
民衆社 「体罰・対教師暴力 体験的非暴力教師宣言」 池上正道


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