甲府信金女子職員誘拐殺人事件




【事件概要】

 1993年8月10日、山梨県甲府市で、甲府信用金庫大里支店の職員の内田友紀さん(19歳)が新聞記者を名乗る男に誘拐された。同月17日、内田さんは静岡県富士宮市の川岸で遺体となって発見された。
 24日、宮川豊(当時38歳)が逮捕された。


宮川豊


【事件の経過】

(1993年8月10日午後2:50ごろ)
 甲府信用金庫本店に山梨日日新聞社発行の月刊誌「ザやまなし」の記者を名乗る男から電話が入った。「輝いて」という活躍する女性を写真つきで掲載するページで大里支店の新入社員・内田友紀さん(19歳)を紹介したいというものだった。男はこの日のうちに取材したいということで、夕方に大里支店にタクシーを差し向けると話した。

 電話に対応した幹部の話では「紳士的」「丁寧」という声の印象で、また記者名は名乗らなかったが山梨日日新聞を「山日」と自然に話していたことから、信じてしまった。この電話の男は甲州弁を使用していた。

(午後5:40ごろ)
 信金前に停まっていた男のさしむけたタクシーに内田さんが乗りこむ。「ザやまなし」の記者の指定の場所である市内の体育館に向かった。

(午後6:00前)
 内田さんが体育館の嘱託職員に「信金の者ですが、体育館で待つように言われたのですが、ここですか」と話していたのを、バドミントンの練習に来ていた女性が最後に目撃。これ以降の足取りがつかめなくなる。

(翌11日午前8:20)
 最初の身代金要求電話が、信金大里支店に入る。
 「職員を預かっている。11時までに4500万円用意しておけ」
 この電話に対応したのは支店長の山本紀恭さん(当時43歳)で、すぐに警察に通報した。

 この後、30分から1時間おきに男から電話が入った。

(午後3:05)
 男から6回目の電話があり、甲府市中小河原町の喫茶店「珈琲待夢」に現金を持って来るように、山本支店長に直接指示した。
 その後、「珈琲待夢」に到着し、待っていた支店長に対し、約4.5km離れた中央自動車道甲府インター近くのガソリンスタンドで待つように伝えた。

(午後5:00前)
 ガソリンスタンドに着いた支店長に再び男から電話が入る。5分後に同インターから約2km先の中央道上り線の東京から104km地点で現金を投げ捨てるように指示した。この時、内田さんについて「中央道釈迦堂パーキングエリアに停めてある車の中にいる」と男は言った。

(午後5:54)
 支店長はワゴン車に積んだ計4500万円の入った2つのバッグを指定の場所に置いた。しかし、男は現れなかった。

 この日の深夜に内田家に不審な電話が入る。女性の声で「信金のマツモト」と名乗り、友紀さんの在宅を確認するものだった。信金大里支店にはマツモト姓の女性はおらず、旧姓がマツモトの女性が退職していたが無関係とわかった。
 結局、この電話は友紀さんの友人の母親によるもので、友人が家に帰らないことから、友紀さんと一緒にいるのではないかと電話をかけた。その際、名乗りづらかったため、友紀さんの同僚のマツモトとかたったという。


(17日午前11:30)
 富士川左岸でウナギ釣りに来ていた男が、うつぶせとなった内田さんの遺体を発見。すぐに通報した。遺体はノースリーブの短い下着一枚の姿で、首に粘着テープが巻かれていた。司法解剖によると、死因は頚部圧迫によるショック死と判明した。


 24日朝になって、甲府市内に住む自動車のセールスマン・宮川豊(当時38歳)が知人を通して「自首したい」と言ってきたため、任意同行され、午後になり逮捕された。


【宮川について】

 宮川は1973年3月、県立農林高校卒業後、市内のガソリンスタンドに入社。1982年に系列の「山梨いすず」にうつり、事件当時は大型車販売第二課・係長という役職についていた。当時、結婚もしていて家族と5人暮らしだった。内田さんを連れ出すのに利用した「ザやまなし」は以前から愛読していた。宮川はまじめなところもあったが、明るく気さくな性格で、近所の小中学生とソフトボールを楽しみ、「宮川のおっちゃん」と親しまれていた。

 事件の前年7月、宮川は市内のスナックで韓国人女性A子と出会い、秋には親密な交際を始めた。それまでにも飲食店と知り合った女性と何人か付き合っていたようだ。店で「チップだ」と言って、5万から10万ほどホステスで渡して、羽振り良く見せていたりした。

 1993年2月、市内の平屋一戸建て3LDKの住宅を借り、A子を住まわせる。生活の面倒も見ていた。宮川は毎日A子に会いに行き、夜になると車で遊びに出ていた。宮川の妻は浮気を知っていたが、何も言わなかった。義母が宮川に注意するが「浮気なんてしてない」と笑ってごまかしていた。

 事件の直前、宮川の借金は7000万ほどもあったという。 A子に住まわせていた住宅の家賃42000円も7、8月分は滞納していた。


【犯行】

 1993年8月10日午前、電話料金支払いのために信金大里支店を訪れると、窓口にいた若い女性に目をつけた。胸のネームプレートには「内田友紀」と書かれており、この時標的を彼女に絞った。ちなみに内田さんは高校卒業して4月に信金に入社して以来、研修などを経て、8月2日から窓口を担当するようになり、まだ8日ほどしか経っていなかった。この日、宮川は仕事だったが、合間合間に電話をかけたりしていた。

 夕方になり、小瀬体育館に内田さんを呼び出した宮川は、車であちこち連れまわし、午後8時ごろ殺害した。内田さん殺害については次のように語っている。
「内田さんが騒いだため、口にタオルを押しこみ、その上から粘着テープを巻いたら気絶したので、驚いて川に捨てた」

 その後、会社の携帯電話から大里支店に身代金を要求する電話を何度もかけた。宮川の職場などでは事件の話でもちきりだったが、宮川は聞き役に徹して、あわてている様子はなかったという。

 21日から、A子と彼女の母国、韓国に旅行に行っている。23日、帰国。

 24日、知人を通して「自首したい」と警察に相談し、任意同行され、その日のうちに逮捕された。


【ある噂について】

 前述した通り、内田さんの身代金の受け渡しが行われた11日夜、内田さんの自宅に「信金のマツモト」という女性から不審な電話が入っている。声の主は内田さんの友人の母親だったが、未解決の段階ではこの電話で3人ほどの犯行グループで誘拐したという見方が捜査本部で出始め、こうした報道を見た人々は犯行に関わったのは複数だという先入観を持つようになった。

 山梨県内では、内田さん誘拐事件発生からから犯人逮捕以後も、ある噂が人々の間で語られていた。それらの噂にはだいたい次のような要素が含まれていた。

・内田さんの父親は宮川と知り合いだった。
・内田さんの父親は娘に保険をかけていた。
・内田さんの父親がマスコミの前で号泣しているところが、いかにも怪しい。
(マスコミは父親の言動を「父親号泣」「棺にすがり父ごめん」などと何回も報道していた)

 これらの要素が合わさって、根も葉もない噂が語られ、1993年の11月頃に県内で広く流通していた。人々は犯人は複数だと思いこみ、娘を亡くして悲しむ父を「わざとらしい」と感じ、宮川逮捕後も父親は疑いを持っていた。自分の子供の死に対して下手に号泣もできないというのだろうか。


【裁判】

 1995年3月9日  甲府地裁・三浦力裁判長は、「冷酷無比な犯行で、模倣性が強く、社会一般に与えた影響は大きい」と無期懲役を言い渡す。言い渡しの直後、内田さんの母親は「友紀ちゃんを返して!」と宮川に向かって泣き叫んだ。検察側が不服としてこれを控訴。

 1996年4月16日 東京高裁、控訴を棄却して一審を支持。刑確定。


リンク

甲府信用金庫               
http://www.kofushinkin.co.jp/


山梨日日新聞社 「ザやまなし」    
http://www.sannichi.co.jp/BOOKS/sinbun.html


≪参考文献≫

朝日新聞 (1993年8月18日付 他)
朝日新聞社 「朝日キーワード94→95」 朝日新聞社・編
インパクト出版界 「年報・死刑廃止98 犯罪被害者と死刑制度」 
彩流社 「世紀末事件ファイル23 時代を歩く」 松垣透
社会思想社 「20世紀にっぽん殺人事典」 福田洋 
新人物往来社 「別冊歴史読本 殺人百科データファイル」
大洋図書 「日本震撼事件 戦後殺人ファイル100」 日高恒太朗
東京法経学院出版 「事件犯罪大事典」 事件犯罪研究会・編
徳間書店 「音の犯罪捜査官 声紋鑑定の事件簿」 鈴木松美
批評社 「戦後ニッポン犯罪史」 礫川全次
二見書房 「衝撃犯罪と未解決事件の謎」 日本テレビ「スーパーテレビ情報最前線」・近藤昭二編著 
二見書房 「『鑑識の神様』9人の事件ファイル 世界に誇る日本の科学警察」 須藤武雄・監修
毎日新聞社 「事件記者の110番講座」 三木賢治


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