世田谷・制服警官の女子大生暴行殺人




【事件概要】

 1978年1月10日、東京・世田谷区のアパートで、制服姿の警察官(当時20歳)がこの部屋の女子大生(22歳)を暴行しようとしたが抵抗されたため殺害するという事件が起こった。


松山純弘


【女子大生殺し】

 1978年1月10日午後、東京・世田谷区経堂2丁目のアパートの一室で、この部屋に住む清泉女子大学キリスト教文科学科4年・Y子さん(22歳)が殺されていると家主(当時68歳)が通報した。

 現場の部屋は4畳半一間、Y子さんは窓際のベッドの下にうずくまるように倒れていた。首にストッキングが巻かれ、暴行された形跡もあった。タンスの引出しが開いたままになっているなど、物色した形跡もあった。
 北沢署は殺人事件として特別捜査本部を設置。しかし、犯人はすぐに浮上した。

 家主によると、通報は第1発見者の若い警官に頼まれたのだという。
 その警官は捜査にも加わっていた北沢署経堂駅前派出所に勤務する松山純弘巡査(当時20歳)で、北沢署での事情聴取によると、松山巡査はこの日の午後、現場近くをパトロールしていた。4時半頃、現場のアパートでガラスの割れる音があったので、Y子さん方に駆けつけたのだという。
 しかし、松山の話とは時間が合わないところや、あやふやな部分があり、彼の顔にはひっかき傷があったことなどから追及したところ、犯行を認め、逮捕された。事件当日午後10時過ぎのことである。

 Y子さんは大柄の美人で、当時は卒業を目前に控え、卒業論文の準備をしていた。しかも、婚約者もいた。Y子さんは以前から「若い警官に部屋をのぞかれている」と不安を訴えていた。


【松山純弘】

 松山は鹿児島県指宿市出身。75年3月に地元の市立高校を卒業後、警察庁に入り、1年間の訓練ののち、北沢署に配属された。

 警官となったわけだが、彼の学生時代の素行は決して良いものではなかった。中学3年の時に洋品類を窃取、高校1年の時に喫煙で停学、バイクの無免許運転をし、高校3年の時に事故を起こした。
 警察学校当時、彼の成績は33人中21番。中の下となるが、これは彼の剣道の成績が良かったためで、学科ではビリかそれに近い方だった。教官が暗に「警官を辞めることも考えたらどうか」というようなことを言ったこともあったという。
 しかし、経堂駅前派出所に配属されてからは、勤務のかわたら国士舘大学経済学部の二部に通学するなど勉強熱心な一面も見せていた。

 1977年夏、松山はパトロールをしている時に、偶然Y子さんを見かけた。この時から彼女の好意を寄せるようになった。
 20歳と若いから、性欲はもちろんある。ソープランドに月2、3回通っていた。
 当時の彼の給与は手取り9万円ほど。警察寮に住み、寮費の負担はないので、貯金をしても自由に使える金は十分にあったはずだが、遊びをするうちに足りなくなった。 
 しかしこの足りない分は、空き巣に入ってひと稼ぎしていた。これはパトロール中(もちろん制服姿で)に民家を訪れ、家人がいれば家族構成などを尋ねて立ち去るが、いなければ中へ入り物色した。こうした窃盗事件は合わせて5件起こしている。他にも盗んだクレジットカードで買い物・飲食をする「詐欺」も23件あった。

 犯行2日前、新宿歌舞伎町にポルノ映画を見に行き、その晩興奮から布団の中でY子さんのことを思い出した。そして翌9日の勤務中、犯行を決意したという。

「制服でいけば信用して部屋の中に入れてもらえるだろう」
 10日午後、松山は現場のアパートに向かった。そして先にY子さんの部屋の両隣が留守なのを確認してから、ノックをした。
「交番から巡回連絡に来ました」
 Y子さんは突然の警官の訪問に怪訝に思っただろうが、ドアを開けている。
 松山は本籍地・家族関係などを聞いた。この時、部屋の中にY子さんの他に誰もいないことを確認している。

 松山は突然、部屋に押し込み、内側から鍵をかけた。Y子さんの首を両手で掴むと、奥のベッドの方まで押した。もちろんY子さんも必死に抵抗して、松山の顔をひっかき、制服のボタンをむしりとっている。この時、Y子さんの手が窓に当たってガラスが割れた。この音で同じアパートの住人に「何かあったのか?」と不審に思われ、殺害を決意した。
 Y子さんの首をストッキングで絞めて殺害した後、帰り支度をした。婦女暴行に関しては未遂に終わったのである。
 その時、割れたガラスから家主がのぞいているのに気がついた。松山は平然とした態度で、「女性が殺されている。至急110番してください」と依頼した。


【裁判】

 1月19日、国家公安委員会は、警視総監・土田国保に減給、他警視庁幹部3名も処分した。警視総監の処分はこれが戦後初めてだった。また北沢署の署長も引責辞任している。

 東京地裁、無期懲役判決(求刑・死刑)。

 82年11月、東京高裁で控訴棄却、刑確定。

 都は国家賠償法に基づき、遺族に4360万円余りの損害賠償金を支払った。


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≪参考文献≫

現代評論社 「現代の眼 78年8月特大号 全特集・戦後犯罪史−怨恨と欲望の社会病理」 
三一書房 「警察官の犯罪」 佐藤友之
社会思想社 「20世紀にっぽん殺人事典」 福田洋 
新人物往来社 「別冊歴史読本 殺人百科データファイル」
新人物往来社 「別冊歴史読本 新・殺人百科データファイル」
青年書館 「戦後殺人事件 謎の真相記」 社会問題研究会
大洋図書 「日本震撼事件 戦後殺人ファイル100」 日高恒太朗
東京法経学院出版 「明治・大正・昭和・平成 事件犯罪大事典」 事件・犯罪研究会・編 
徳間書店 「殺人百科四」 佐木隆三 


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