因島・毒饅頭事件




【事件概要】

 1961年1月、広島県・因島で、どら焼きを食べた女児が死亡するという”事件”が起こった。どら焼きからは農薬が検出され、女児の叔父にあたる男が逮捕。またそれまで不審死・突然死した家族4人についても殺害を自供したが・・・・。


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【因島】

 1961年1月8日朝、自宅にあったどら焼きを食べた女児が倒れて死亡するということが、広島県の尾道港の向かい、瀬戸内海に浮かぶ因島であった。

 かつては村上水軍の本拠であったこの島は、その末裔の村上姓が多い。
 そのなかでも以前は莫大な資産を擁した旧家が、農業・村上正吉さん(仮名)方であった。死亡したのは、この家に住む好子ちゃん(仮名 4つ)である。
 好子ちゃんは、正吉さんの長男夫婦の娘だが、両親はすでに亡くなっており、この家にひきとられていた。

 資産家というのも遠い昔の話で、正吉さんの祖父の代で資産はかなり減り、正吉さんやその父親の代が一生懸命働いて挽回してきた。島の男たちは島内にある日立造船工場に勤める人が多かったが、村上家は農業1本で、周辺の小さな島まで出かけて開墾した。 

 事件当日の朝、正吉さん夫妻と二男・次郎さん(仮名)が佐木島へ小舟に乗って畑仕事に出かけた。
 その1時間後、次郎さんの嫁・礼子さん(仮名)がひなたぼっこをしながら、生後1ヶ月の赤ん坊をあやしていると、そばにいた好子ちゃんが突然苦しみ始め、倒れたのである。礼子さんは好子ちゃんを抱き上げ、近くの医師に診せたが、この時にはすでに脈拍はなかった。医師はすぐに強心剤を打ち、人工呼吸したが、蘇生しなかった。医師は当主の頼みで死因を「心臓麻痺」とする診断書を書いた。

 村上家ではその晩に通夜を行い、翌9日に親類だけで葬儀を営むことになった。


【密告電話】

 葬儀の1時間ほど前、村上家の近所に住むという男の声で、因島区検察庁に、1本の電話がかかってきた。
「今日、村上家で葬儀があるが、どうも死に方がおかしい。あそこの家は3、4年前から、不気味なことばかり続いている」

 この電話を受けて、警察は村上家に向かい、「葬儀を明日まで延期するように」と正吉さんに言った。好子ちゃんの遺体は墓地ではなく警察の霊安室に運ばれ、葬儀場は家宅捜索の現場となった。

 10日、好子ちゃんは司法解剖に付され、体内からはパラチオン剤が検出され、死因は有機燐酸パラチオンを使った農薬による急性中毒死したものとする結果が出た。

 この段階では子どもの誤飲や、農作業の支度をしているうちに誤って何かに付着したという過失も考えられる。だが密告の電話の件などもあり、毒殺事件として家族に疑いの目が向けられた。

 同じ日には村上家から25種類の農薬が押収されたが、「ホリドール」(パラチオンの商品名)は発見されなかった。
 ホリドールが発見されたのは事件から6日後、14日のことだった。100cc入りの原液の入ったビンが20本あり、封が切られた(使用された)形跡はなかった。
 正吉さんはそのことについて、「先日しないの農薬店から購入したばかりのもので、劇物である農薬を自宅に置くことは禁じられているから、納屋に保管していた」と説明した。


 礼子さんの証言によると、家の8畳の書院の縁側の机の上に、ドラ焼きが4個置いてあった。誰が置いたものかはわからないが、好子ちゃんがそのうち1個を持ってきた。礼子さんは好子ちゃんにあとの3個も持ってくるように言い、小学1年生の自分の長女、二男の姉の4人で1個づつ食べた。
 ところが口にしたとたん、苦味のようなものがあり、すぐに吐き出した。好子ちゃんも、長女も「辛い、辛い」と唾を吐いたので、台所へ連れて行き、うがいをしようとしたが、好子ちゃんは水の入ったコップを受け取る時に倒れかかってきた。
 この 礼子さん達は変な味にすぐに吐き出したが、良子ちゃんは飲み込んでしまったために死んだ。

 死んだのはたまたま好子ちゃん1人であったのだが、これは一族を無差別に狙った毒物混入事件であった。
 食べ残しのどら焼きは礼子さんがまとめて家の裏の海に捨ててしまったため、証拠としては回収できなかったが、ゴミ捨て場からはドラ焼きを包んだ薄紙が発見された。そしてこの包み紙からは微量ながら有機燐酸系パラチオンが検出された。これが唯一の物証となる。


 また礼子さんの証言からわかったことで、もうひとつの不審な点が、畑仕事に出かける前の次郎さんの行動と、好子ちゃんの死を知ってからの正吉さんの言動だった。

 好子ちゃんが倒れる前、礼子さんは中庭の畑でジャガイモの芽を切っていた。その時義母の「予防を持ってけ」という声を聞いた。義母が次郎さんに言ったものだった。
 礼子さんは自分もミカン畑の予防する予定があったので奥倉に行ったところ、袋入りのヒ酸鉛予防器を持って出てくる次郎さんと入れ違いになった。礼子さんは農薬を保管している戸棚を開け、ホリドールのビンを掴むと、手がぬるっとした。ビンの外側に農薬が流れていたためだ。
 その時、知らない間に傍に立っていた次郎さんが「これは俺が持って行く」と言って、ホリドールのビンを奪う様にして持って行った。
 礼子さんは仕方なく予防器だけを持って外庭の方に出ていくと、再び夫と顔を合わせた。夫は8畳書院のすぐ脇にある納屋の方から出てきた。

 次郎さんと両親が畑仕事に出ていったのはその直後のことであった。
 夕方になって畑から帰ってきた3人に、礼子さんは好子ちゃんが死んだ時のことを話した。黙って聞いていた正吉さんは、ホリドールのビンを隠すように言い続けた。


【呪われた一族】

 正吉さん夫妻にはもともと長男・一郎さん(仮名)、長女、次男・次郎さん、二女の子どもがいたが、長男は数年前に死亡、二女も早くに嫁に行ったので、本家に残っていたのは跡取の次郎さんと、独身の長女である。
 次郎さんは妻とのあいだに4人の子どもをもうけたが、彼の子どももまた2人が幼くしてすでに死亡していた。

 一郎さんとその妻、次郎さんの娘2人はいずれも3年以内亡くなっていた。
 さらに好子ちゃんの死があり、正吉さんの長女、礼子、その長女が危うく殺害を免れていた。
 つまり、この一族は連続して5人が怪死しており、さらに死亡したり、狙われたのはほとんどが女性である。

 58年12月、長男・一郎さん(32歳)が路上で酒の二合ビンを持って死亡。
 59年1月、次郎さんの二女が生後40日で死亡。
 60年2月、次郎さんの三女が生後2週間で死亡。
 60年9月、一郎さんの妻(27歳)が風呂あがりに、残り物のうどんを食べて死亡。

 菓子に農薬らしきものが混入された事件は以前にもあった。一郎さんが亡くなった後のことである。
 一郎さんの妻と娘・好子ちゃんが、茶の間に置かれたバナナ菓子を食べたところ、「辛い」と言って吐き出したことがあった。この菓子は作男が飼い犬に与えたところ、犬は死んだという。

 
 警察は、一郎さんの妻と娘が執念深く狙われているのに、正吉さん夫妻や、次郎が狙われていないことを不審に思った。特に疑われたのは、正吉さんと次郎さんの父子である。正吉さんは事件直後、礼子さんに「ホリドール」を隠すように言ったことや、毒の入っていた菓子が「菊娘」ということも知っていたから、少なくとも共犯としての関わりがあるものと見られた。

 2月2日、次郎さんが逮捕された。前年暮れに尾道市の農薬会社から「ホリドール」を不法に買ったという毒物・劇物取締法罰則だったが、間違いなく殺人事件の関連しての逮捕だった。

 次郎さんは農薬入りのどら焼きを置いたことは認めた。
「ねずみを獲るために、農薬「ホリドール」を塗ったどら焼きを8畳間書院の机に置いた。あれは私の過失だった。殺意はなかった」
 次郎さんの供述によると、仕事の仕度をしているあいだに他の場所に置きかえるのをすっかり忘れていたのだという。あくまで事故という主張だった。

 しかし逮捕の3日後には、殺人行為を認めた。それ以外にも、好子ちゃんだけでなく、兄や、自分の娘らの殺害を認める供述も始めた。


 自白調書
「私は1月7日午後4時頃、近くの菓子店でどら焼きを4個買って奥倉へ隠しておきました。夜になって、薄い包装紙の上から鉛筆で穴をあけ、そこから農薬ホリドール液をたらし込んでおきました。翌日の朝、佐木島に畑仕事に出かける前、奥倉からどら焼きを持ち出してきて、庭から8畳間書院のガラス戸をそっと開け、縁側越しにどら焼きの包みを机の上に置いた。好子は他人(姪)だから最も良いが、姉でも妻でもいい。女だから食べて死んでくれればいい、と思ってました」
 

 兄を殺害したのは家督を継ぐためであるとして、なぜ次郎さんは女だからと言って、妻や娘まで殺害しようとしたのか。ストーリーはこうである。
「大酒豪の曾祖父が先祖代々の財産を減らし、祖父や父が一生懸命働いて取り戻してきたという話を幼い頃から聞かされていた。このため次郎さんは財産を増やすことに執着したが、村上家で生まれてくるのはみな女の子であった。女は成長しても他家に嫁ぐだけで、財産殖やしに役にたたないばかりか、嫁入り支度の必要から財産を減らすだけだと思った。そのうえ好子をひきとることになり、姉は知的障害を持っている。親子3人で畑仕事に行く時は、家に残るのは女だけなので、厄介者を1人でも減らそうと農薬入りのどら焼きを置いて行った」


 次郎さんが5人を殺害したという自供をとった捜査当局は、ここ数年に亡くなった村上家の4遺体の死因鑑定と、次郎さんの精神鑑定を広島大医学部に依頼した。
 当時はまだ土葬であった。2月8日に親類や警察、検事らが見守るなかで、墓から掘り起こされた。だが鑑定によると、この4人については「死因不祥」という結果が出た。精神鑑定の方では「大言壮語、虚言癖はあるが刑事責任は負い得る」という結果が出た。

 広島地検は、好子ちゃん殺害と、その他3人の女性の殺人未遂でのみ起訴。一郎さんら殺害での起訴を断念した。


【裁判】

 一審は7年にも及んだ。次郎さんは初公判以来、一貫して殺人行為を否認した。裁判は逮捕3日目に自白の信用性が焦点となった。

 次郎さんは「事件前日の午後4時頃に近所の菓子店でどら焼きを買った」と自白したが、その店を調べてみると、店の女主人はその日の午後1時から子どもを連れて実家に里帰りしており、どら焼きを売ることは不可能だったことがわかった。
 すると刑事は「嫁に行った妹が持ってきたのだろう?」と言い、それを認めた。

 弁護人は「こうした転転とする自白には真実性がない」と主張した。

 68年7月末、広島地裁尾道支部、次郎さんに求刑通り懲役15年を言い渡す。裁判長は「血の通った一族を狙ったばかりか、手口も残酷な殺人事件で、無期懲役が相当だが、被告は当時、心神耗弱だったので減刑する」とした。


 だが74年12月10日、広島高裁は無罪を言い渡した。裁判長は、農薬が混入されたどら焼きに注目した。
「包み紙の微小な穴は形状などから鉛筆であけたものとは到底認められない。しかもこの小穴からホリドールをたらしこむのは不可能に近く、強いてたらし込もうとすれば、穴の周囲にホリドール液が多量に付着せざるを得ないのに、それがない。被告の供述は不自然、不合理で到底真実性を持ち得ない」
 検察側も上告せず、無罪が確定した。

 傍聴席でこの判決を聞いた正吉さんは 息子の罪が晴れたことを喜んだ。
 だがこの時、次郎さんは日立因島病院にいた。1ヶ月ほど前に脳内出血で倒れ、半身不随になり、意識もはっきりしない状態が続いていたのである。妻の礼子さんが「あんた無罪よ」と語りかけると、目にいっぱい涙をためたという。


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≪参考文献≫

角川書店 「ニッポン列島毒殺事件簿」 植松黎
東京法経学院出版 「明治・大正・昭和・平成 事件犯罪大事典」 事件・犯罪研究会・編
番町書房 「ドキュメント三面記事裁判」 山本祐司
二見書房 「日本中を震えあがらせた恐怖の毒薬犯罪99の事件簿」 楠木誠一郎


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