いじめ自殺


※学生のいじめ自殺。職場でのいじめ自殺は含まない。
※遺書などは
「自殺者録」

1978年1月8日 埼玉・高1

 午後10時50分頃、埼玉県小鹿野町の県立皆野高校1年のA君(15歳)が自宅台所で首を吊っているのを母親(当時49歳)が発見。3学期の始業式を翌日に控えた自殺だった。
 A君は高校のホッケークラブに所属していたが、前年11月末からクラブを休んでおり、12月に「ホッケークラブが嫌になった。あまりにきついので耐えられない」と話していた。また、死の2、3日前にも「9日から登校すれば休んだ分だけみんなにしごかれる」と漏らす。



1979年1月19日 足立区・中2


 午後2時頃、東京足立区の足立三中2年・三沢貴央君が自宅2階のベランダにある物置で首を吊って死んでいるのを母親(当時41歳)が発見した。
 貴央君は17日から学校を休んでおり、この日も制服を着て家を出たものの学校へ行けなかった。貴央君は前年10月ごろに同級生に首をしめられて1ヶ月のムチウチ症になったことがあり、学校でのいじめを苦にしての自殺と見られた。



1979年2月10日 宮城・高1

 宮城県石巻市の県立宮城水産高校漁業科1年の教室でS君(15歳)が柔道着の帯をストーブの煙突にかけ首吊り自殺。カバンの中のノートに走り書きが残されており、いじめの事実が記されてあった。



1979年9月9日 埼玉・中1

 朝8時過ぎ、埼玉県上福岡市のマンション「グロリアハイツ」(12階建て)から、市立上福岡第3中学校1年の林賢一君(12歳)が飛び降り自殺。背景に壮絶ないじめがあった。詳細



1980年9月16日 高石市・中1

 午前9時20分頃、大阪府高石市の「阪南金属工業所」内で、この家の長男で高石中学1年の中尾隆彦君(12歳)がクレーン車を入れる車庫内で首吊り自殺しているのを母親(当時42歳)が発見。その後の両親の調べで、校内暴力、恐喝行為があったことがわかった。詳細



1981年3月2日 宮城・小6

 朝、宮城県鳴瀬町で、卒業式を間近に控えた小学6年生が通学途中の松林で首吊り自殺。いじめを苦にしての自殺らしく、遺書があった。



1985年1月17日 静岡富士市・中2

 静岡県富士市の踏切で市立中学2年生のA君が飛び込み自殺。学校関係者によると、A君は同級生から「金を持って来い」などと言われ、悩んでいたという。現場近くに脱ぎ捨てられていた靴の中に遺書があった。



1985年1月21日 水戸市・中2女子

 夜、水戸市で市立笠原中学2年のA子さん(13歳)が走り書きしたメモを残し、自宅脇の電柱で首吊り自殺。
 A子さんはカバンをナイフで傷つけられたり、筆箱が3度もなくなったり、教科書に「しね」「うそつき、ばか」などと落書きされるなど、1年ほど前からいじめを受けていた。
 自殺当日夕方も、6人の女子生徒がA子さん宅に押しかけ、母親を「黙ってろ、ババア!」と言って別室に追いやって、A子さんにきつい言葉を浴びせていた。



1985年2月6日 堺市・中1女子

 大阪府堺市で市立中学1年の女子生徒が住んでいる団地の14階から飛び降り、重体。病院に運ばれたが3月18日に亡くなった。同級生の話によると、女子生徒はクラスのいじめられっ子の1人で、男子生徒から口汚くののしられたり、からかわれたりしていた。



1985年2月7日 静岡・小6女子

 静岡県伊東市で市立小学校6年の女児が自宅近くの雑木林で首を吊り自殺。女児は前年10月から学級委員をしており、「友達が言うことを聞いてくれない」ともらしていた。年が明けると、友人達に、友達の悪口を言ったことから「無視」という仕打ちを受けて悩んでいたらしく、「風になって死にたい」などと言っていた。



1985年2月12日 和歌山・中2

 和歌山で組合立中学2年のA君が自宅倉庫で首を吊り自殺。8日、同じクラスの男子生徒4人に嫌がらせのハガキが届き、A君は筆跡が似ていると取り囲まれてリンチを受けた。その際、他の同級生達はまわりを取り囲みただ見ていたという。A君は日頃から「のろま」とからかわれたり、殴られたりしていた。



1985年8月18日 岩手・中3女子

 岩手県滝沢市の村立中学3年の女子生徒が盛岡駅近くのデパートから飛び降り重体、その後9月10日に亡くなった。遺書によると、日頃からいじめを受けていたという。



1985年9月26日 いわき・中3

 福島県いわき市立小川中学校3年の小川清二君がいじめを苦に自殺。現場にあったカバンの中のノートには「現金一万五千円とバイクを持って来い」と書かれていた。自殺の前に友人宅を訪れ、「あとでオレを見つけたら教えてくれ」と告げ別れていた。

 小川君はAと1年の時からの友人で、ある時からAは小川君を子分のように扱い始めた。小川君が言うことを聞かないと暴力をふるい、金品を要求することもあった。2年生になると、さらにいじめはエスカレートしていき、84年5月には借りた金と利息を返せないため、Aの暴力を恐れ、同じくいじめられていたB君とともに学校を抜け出したところを警察に保護された。この時、事情を聞いた学校側はいじめを認識した。この時の学校の対応が「Aに謝らせる」といった軽いものだったので、いじめはさらにひどくなった。
 3年生になった小川君に対するいじめは相変わらず続いており、暴行や金品の要求の他に、他生徒の前で顔にマジックで落書きする、小川君の襟元から水酸化ナトリウムを流し込み火傷を負わせるなどしていた。小川君は担任に相談したが何の対応もないため、担任にほとんど何も話さなくなった。
 9月24日朝、小川君は学校の門前で同級生に「医者に行くから先生に言って」と伝言を頼んで姿を消したまま登校しなかった。また、その夜は帰宅せず、25日午後4時50分頃友人のB君宅に現れる。小川君は持っていた腕時計とその保証書をB君に預け、「この時計は母ちゃんに黙って買ったから預かってて」と頼み、さらに果物ナイフを借りた。が、それから帰宅しないまま、その日の午後7時頃、農具小屋で首吊り自殺をした。



1985年10月14日 群馬県・中2
 
 群馬県富士見村で村立中学2年の男子生徒(14歳)が農薬「パラコート」を飲み重体、病院に運ばれたが苦しみながらも「お父さん、お母さん、ありがとう」「早くご飯が食べたい」などと話していたが、幻覚があらわれるようにになり、8日後に亡くなった。
 男子生徒は運動が不得意で気が弱いため、所属していたバスケットボール部で同級生からよく乱暴され、10月に入って退部を申し出た後も暴行を受けていた。また女子からも「バイキン」とからかわれるなど悩んでいた。自宅にあったノートの端に「うらんでいる」と走り書きされていた。
 同月25日、男子生徒の父親は中学の全校生徒を前に涙で訴えた。



1985年11月20日 大田区・中2女子

 東京都大田区の羽田中学校2年・亀田千春さんがいじめを苦に自宅ベランダから飛び降り自殺。スリッパと並べて置いてあった大学ノートにいじめた生徒の実名が書いてあった。
 
 亀田さんは8月上旬、夏祭りの夜に、中学のグループから他の生徒と喧嘩するように命令されたが、断ったために2学期からグループの舎弟にされた。怖くて避けるようにしていたら、きつく脅されたりしたという。グループは亀田さん以外にも舎弟として支配下に置き、あいさつ・敬語を強要、荷物持ち、掃除、体操着の洗濯、授業のノートとりを命令していた。

▽蒲田署は86年1月10日までに、2年生13人を補導、うち6人を暴力行為の疑いで書類送検、2人を品川児童相談所に書類通告した。



1985年12月7日 青森・中1

 青森市の市立東中学1年・Y君(13歳)が自宅で首吊り自殺。 
 Y君は1ヶ月ほど前から飼っておりかわいがっていた雑種のオスの小犬が4日にいなくなったことや、同級生から「動きがのろい」などとバカにされ、物を投げつけられるなどしていたことを苦にしていたと見られる。



1985年12月9日 青森・中2

 青森県野辺地町の町立中学2年の男子生徒が農作業小屋で首吊り自殺。学校内や下校時に金を強要されたり、殴られたりしていたらしい。遺書にはノート3枚にわたって、いじめていた生徒たち3、4人の名前を書き連ねていた。



1985年12月13日 千葉・中3

 千葉県富津市の市立中学3年の男子生徒が、近くの雑木林で首吊り自殺。夏休みに入って以降、3日に一度の割合で同級生から「○○のバーカ」といった内容のイタズラ電話がかかってきたことを苦にふさぎこんでいたという。遺体のそばにあったノートには「電話」という字が紙いっぱいに書き連ねてあった。



1986年1月21日 水沢市・高1

 岩手県水沢市で高校1年の男子生徒が自殺。「態度が大きい」「掃除当番をさぼる」などの理由から、学生寮で同級生7人から暴行を受けたことが引き金になったとみられる。



1986年2月1日 中野・富士見中学いじめ自殺事件

 岩手県の盛岡駅ビルのショッピングセンター「フェザン」のB1トイレ内で、東京中野の富士見中学2年の鹿川裕史君(13歳)が首を吊って自殺しているのが発見された。遺書が残されており、彼の自殺がいじめによるものだと判明した。いじめは日常的に行われており、”葬式ごっこ”なるいじめには教師も参加していた。詳細



1986年2月3日 香川・中2

 香川県志度町(現・さぬき市)で町立中学2年・木内史君(14歳)が自宅物置で首吊り自殺。遺書はなかったが、木内君は日頃から「あいさつの仕方が悪い」と目をつけられていじめられ、この日の下校前にもヘルメットを壊されていた。



1986年2月22日 大阪・小6


 大阪で市立橘小学校6年の田村勤也君(12歳)がマンション屋上の貯水塔から飛び降り自殺。田村君は金をせびられ、万引きを強要されたり、暴行を受けたりと同級生グループにいじめられ「抜け出したい」ともらすなど、悩んでいた。また、交換日記のなかで、いじめを受けていたもう1人のK君の名を挙げて、「先生、K君を助けてあげてください。最初は遊びだと思っていたけど、だんだんひどくなって、ゲロを吐きそうになった」と書いていた。

▽89年3月27日、両親が「自殺の原因は同級生男子のいじめだった」として、同級生の両親を相手取って1100万円の損害賠償を求める訴えを起こした。
▽90年8月29日、大阪地裁は「いじめでは被害者が登校をいやがるなどいくつかサインがあるが、それがなかった」として訴えを棄却、原告敗訴となった。



1986年2月22日 尾鷲市・中1女子

 三重県尾鷲市で市立中学1年の佐野公保さん(13歳)が自宅2階で首を吊り、病院に運ばれたがよく23日死亡した。佐野さんは一学期末頃から同級生の女子グループから「ゾウリムシ」と呼ばれ、「汚い」「くさい」と陰口されるなどいじめられ、不登校の状態が続いていた。死の2週間前の2月26日の球技大会ではジャージを脱がされかかるなどのいじめを受けていた。



1986年3月6日 鈴鹿市・中2

 三重県鈴鹿市で市立中学2年の男子生徒が自宅近くの農業用水路の上にかかる橋の欄干にナイロンロープをかけ首吊り自殺。この生徒は日頃からいじめられており、この日も教室で4人くらいの同級生に寸劇用の刀で殴られ、泣きながら帰宅していた。



1986年4月18日 茨城県阿見町・中3

 朝、茨城県阿見町で町立阿見中学3年の高橋建二君(15歳)が自宅庭先で灯油をかぶり、焼身自殺。高橋君は小学校の頃からいじめられており、自殺した前日には同級生のAの家に友人達と集まった際、「タバコを吸え」「ジュースを買え」などと命令されていた。



1988年3月8日 板橋区・中2女子

 東京・板橋区で区立中学2年生の女子生徒が「もう絶対に学校に行きたくない」と言い残して、自宅13階のベランダから飛び降り自殺。後日、いじめを示唆する書き置きが本棚から出てきた。



1988年5月20日 新潟・中学生女子

 新潟県南魚沼郡で女子中学生が、校舎3階のベランダから飛び降り自殺。 
 同校の女子生徒3人が同日朝に「秘密を男子生徒にもらしただろう。謝れ」と教室のベランダに連れだし、「ここから飛び降りれば許してやる」と転落死させていた



1988年10月 多治見市・16歳

 岐阜県多治見市の中学校のA君(16歳)がガス自殺。A君は1年生の時、お金を取られたるなどのいじめのショックで不登校になった。最初は養護や音楽の教師が自宅を訪問して勉強を指導していたが、3年次の転勤・退職があって、訪問がとだえた。A君は「見放された」と悲しんだ。そして出席日数が足りずに卒業できなかったことをひどく落ちこんでいた。



1988年12月21日 富山市・中1女子

 富山県富山市の市立奥田中学校1年・岩脇寛子さん(13歳)が自宅ベランダから飛び降り自殺。
 岩脇さんは6月に学校の廊下で上級生に突き飛ばされ両手首を捻挫していた。同じく6月、スポーツフェスティバルの開会式で、後ろから走ってきた男子生徒にぶつかられ鎖骨を骨折、治療のため貼っていた湿布薬で「くさい」と言われるようになった。11月には仲の良かった友人たちを遠ざけられ、1人で登校するようになった。女子生徒3人が岩脇さんを見ながらヒソヒソ話をしてゴミ箱に捨てたメモには「岩崎死ぬことにさんせい、岩脇殺すことにさんせい」と書かれていた。自殺の数日前には親しかった友人にも「きたない」と言われた。昔のアルバムを食い入るように見つめたりするようになったという。



1989年4月10日 神戸・中3

 兵庫県の神戸市立有馬中3年・前原幸正くんが自宅で首吊り自殺。当初は成績を苦にしての自殺だと見られていたが、12日、市教育委員会はクラブ活動を休んだことをきっかけに、友人から再三暴行を受けるといういじめの事実を掴んだ。しかし、学校側は市教委に報告はしていなかった。



1989年10月2日 岡山・中2

 岡山県鴨方町の町立鴨方中学校3年の北村英士君(15歳)が校内で首吊り自殺。自宅勉強部屋から「ふくろだたきにあいそうだ」「殺される」と言ったメモが見つかる。
 北村君は中学1年のとき名前をもじって「エイズ」と呼ばれ、こうしたからかいは父親の抗議により一旦沈静化したかに見えたが、2年生になると暴行を受けたり、金を強要されたりするなど、いじめはエスカレートしていたという。



1989年11月9日 千葉県富津市・中1 

 千葉県富津市の市立中学1年の男子生徒が自宅で自殺。遺体には何ヶ所ものアザがあったが、学校側は「剣道部の練習によるもの」とした。しかし、他の生徒らの目撃したことなどによると、剣道部と一緒に練習を行なっている格技部の2年生から、暴行を受けたり、使い走りにされていた事実が浮かび上がってきた。



1990年4月16日 熊谷市・中2女子

 埼玉県熊谷市の市立荒川中学校2年の吉野直子さん(13歳)が自室の窓から飛び降り自殺。亡くなったとき、ハンカチと小さい時からいつも抱いて寝ていたぬいぐるみがそばに落ちていた。
 吉野さんは2年生になって学級委員に選ばれたことを嫌がっていた。また、1年時の担任教師とうまくいかず、2年になっても同じ担任だったことを嫌がっていたという。死の数日前に校門あたりや通学路の電柱に「ブル(吉野さんのあだ名)のバカ死ね」と落書きされていた。



1990年11月28日 北海道・中3女子

 北海道・苫小牧市で中学3年の女子生徒が公営住宅10階から飛び降り自殺。自宅からは遺書や、いじめに遭った時のことを書いたと思われる数編の詩があった。



1991年9月1日 町田市・中2

 東京都町田市の市立つくし野中学校2年・前田晶子さん(13歳)が線路に身を横たえて自殺した。
 通夜のあった後、会館横の公園に子ども達が20〜30人集まって、「おまえが悪いんだ」「私だけじゃない」とケンカしているのを焼香帰りの多くの母親が目撃。
 葬式の翌日、両親が前田さんと仲の良かった友人3人に家に来てもらい、前田さんの学校での様子を尋ねると、いじめを告白。友人らは「以前は仲良しだったが、7月はじめからみんなで晶子さんをシカトした」「死の数日前、晶子さんを取り囲んで、『土下座じゃすまねー』『金じゃすまねー』『ブリッコすんじゃねー』などの言葉を浴びせてシメた」と話した。
 いじめが始まったのは友人達の中で「次のいじめのターゲットは誰にしよう」と話していたところ、前田さんが「やめよう」と言いだしたため。以来、上履きの名前がマジックで消されたり、無言電話をしょっちゅうかけたりしていた。

 事件直後、調査する前に校長は「いじめはなかった」と発表。卒業アルバム、文集から前田さんのいた痕跡は消されていた。



1991年11月12日 福井・小6

 福井県吉田郡永平寺町の特殊学級の小学6年・A君が自宅近くの納屋で首吊り自殺。遺書はなかった。
 A君は2、3日前、同校の男性教師から「お前なんか死んでしまえ」と言われ、死ぬ前日にも友人から「首を吊ったらどうか」などと言われており、当日「死にたい」と友人に漏らしていた。



1991年11月17日 江東区・中1

 東京江東区の区立中学1年のA君が自宅の玄関脇でタオルで首を吊り自殺。

 A君は11月頃から、両親に理由を告げず、学校を休むようになった。1歳違いの弟には「オレ、もう学校に行かないんだ」と話していた。
 自殺後、いじめの事実が浮上。同校では上級生が下級生に命じて、トイレやドアを閉めきった教室内で、数人で1人を殴るなどの「トイレ詰め」と呼ばれるいじめが以前からあった。複数の生徒がたびたび被害にあり、A君もその1人だった。11月初め、「あいさつをしなかった」という理由で呼び出され暴行を受けていた。



1992年9月16日 北海道・小6

 北海道恵庭市の小学6年の大久保健二君(11歳)が、学校から帰宅後、自宅近くの雑木林で首を吊って自殺。
 大久保君は9月13日友達と口喧嘩をした。翌日、学校を休んでいる。16日には立候補していた学級の児童会代表を決める選挙で敗れていた。



1993年1月25日 松山市・中3

 愛媛県松山市の中学3年生・A君がJR予讃線の普通電車に飛びこみ自殺。ポケットに「○○が、いじめるけん死ぬ」と書かれたメモが入っていた。
 A君は1年生の頃から田んぼに突き落とされて泥だらけになったりしていた。また、学生カバンが刃物で傷つけられていたり、夜間にランニングに出かけた帰り、衣



1993年5月6日 秋田・高1

 秋田県合川町の公立合川高校1年の大槻浩一君(15歳)が、連休明けに鹿角市の自宅前で首吊り自殺。高校生活は1ヶ月で終わった。
 大槻君は入学と同時に入寮、そこで上級生や同級生など10数人にいじめられていた。学校でもメガネをかけていたことから、メガネザルの物真似をさせられたり、歌や踊りを強要された。入部したテニス部ではだれも大槻君の練習相手をしなかった。大槻君は1日じゅう、気の休まる時はなかったのではないだろうか。



1993年5月27日 福岡・中2

 福岡県行橋市の市立行橋中学校2年の松尾一樹君(13歳)が自宅前の電柱で首吊り自殺。松尾君は死の1ヶ月前から、顔にあざや、タバコの火をおしつけたような跡をつくって帰宅したことがあった。いじめは1年時からあり、上級生を中心に、同級生からも暴行されたり、金を強要されたりしていた。
 29日、学校長は「いじめが自殺の大きな原因」と説明。全校生徒が「松尾君がなぜ死んだのか」という作文を書かせたところ、数人の上級生や同級生から、特に所属していた部活でボールをぶつけられたり、使い走りにされたりしていたことが判った。



1993年6月18日 滋賀・中3

 滋賀県高月町立高月中学校3年の吉内庄司君(14歳)が自宅2階で首吊り自殺。吉内君は「なまいきだ」と目をつけられ、校内でたびたび殴られていたという。自殺の1ヶ月前には耳を殴られて通院したが、「ボールがあたった」と話していた。いじめていた生徒は暴行・傷害容疑で書類送検された。



1993年7月7日 京都・中2

 京都府八幡市の市立男山中学校2年の武部誠君(13歳)が、市内の空き家で首吊り自殺。武部君はパシリにさせられたり、下着姿で廊下に立たされたり、「ボクシングごっこ」と称して殴られていたらしい。学校は「いじめの事実はない」と発表。
 事件後、「だれがいじめたのか」と噂が飛びかうなか、「A君が死に追いやった」との噂を流したとして、女子生徒がA君の両親から謝罪を迫られた。少女は身に覚えがないとして、教師や自分の父親の前で校舎2回から飛び降り自殺未遂をはかっている。



1993年7月8日 苫小牧市・中1女子

 北海道苫小牧市の市立中学1年のA子さん(13歳)がJR室蘭線に飛びこみ自殺。死ぬ直前に親友にあてたとみられる遺書がノートの切れ端に書き残されていた。A子さんは小学校時代からいじめを受けており、中学に入ってからは学級活動での司会の仕方について嫌がらせを受けたり、体型を馬鹿にされたり、机をひっくり返されるなどしていた。
 中学では市内の小学校の教師からいじめの事実を引き継ぎしており、担任教師も注意・指導していたがいじめが終わることはなかった。



1993年11月20日 滋賀・中2

 滋賀県湖東町の町立湖東中学2年の西沢敏明君(14歳)が自宅で首吊り自殺自殺。通夜にいじめ告白した部活動の同僚生徒の寄せ書きが書かれたバスケットボールが届いた。それには「最後に暴力ふるってゴメンナサイ」「ウォークマンのことゴメンなさい」「なやみをかいけつしてあげられなくてゴメン」「キーホルダーゴメンなさい」などと書かれていた。



1993年12月14日 福岡・中2 
 
 福岡県太宰府市で中学2年のA君が自宅2階の父親の書斎で首を吊り自殺。遺書はなかった。
 翌日、学校では道徳の時間を設け、生徒に作文を書かせた。このなかで何人かは「A君は万引きを手伝わされ悩んでいた」「殴られたり、いじめられたりしていた」と書いた。
 さらに数日後、A君の部屋を整理していた父親が手帳やノートに、友人が書いたらしい息子への悪口の落書きを見つけた。



1994年5月29日 岡山総社市・中3

 岡山県総社市の林のなかで中学3年生・A君(14歳)が自殺しているのが見つかった。遺書らしき3枚のメモがあり、それには同級生の名前が挙げられており、「○月○日、金を要求された」などと書かれており、A君の家で数千、数万円単位の金が紛失していたことと、日付が一致していた。A君は自転車を壊されていたり、顔に痣などをつくって帰宅することがあったという。だが家族が問い詰めても、「転んだ」と話すだけだった。このため同月9日と23日に両親が学校に相談していた。



1994年6月3日 愛知・高1

 愛知県安城市の高層住宅から市内の高校1年のA君(15歳)が自宅マンションの13階から飛び降り自殺した。直前に友人宅で「もう嫌になった。死にたい」死にたいと漏らしていた。自宅には「金をたかられ、殴るなどの暴行を受けた」という走り書きが残されてあった。いじめは中学卒業時から続いていた。



1994年7月5日 江戸川区・中2

 東京江戸川区の区立中学2年生・菅原光治君(14歳)が高層住宅から飛び降り自殺。自宅の机の上に遺書と見られるメモが見つかる
 菅原君は6月20日Aに1000円を借りた、7月1日修学旅行中にお金を返すが利息を1500円要求された。自殺をした日は、貸しビデオ店で待ち合わせて、金を返す約束だった。この時、偶然同級生と出会うが菅原君はものすごく悲しい顔をしていたという。日頃から容姿のことをからかわれて「タイ米」と呼ばれていた。



1994年7月15日 神奈川・中2

 神奈川県津久井町の町立中野中学2年・平野洋君(14歳)が学校から帰宅後自室のクローゼットの中で首吊り自殺。

 平野君は4月から相模原市の学校からこの中学に転校してきたが、始業式の日に「髪が長い」などの理由で中学のグループにからまれ、頭や体を殴られた。
 その後、同級生の2人の女子生徒を中心にしたいじめが始まった。教室で足をかけられ転ばされたり、教科書やノートに「みんながきらっているぞ!」、「私は占師。みんなからきらわれている/きえろ/しね」「バーカ」などのいたずら書きがされていた。平野君の母親は部屋を掃除中にこうしたノートの落書きを偶然見つけて、担任に連絡。だが、担任からはその後「本人の持ち物を調べましたが、ほかに落書きのようなものはありませんでした」という報告がある。その後も服が破れていたり、アザをつくって帰宅したことがあったが、平野君はいじめのことは一切なにもしゃべらなかった。
 当初は一部の生徒のからかいにも似たいじめも、5月6月に入ると男子生徒から殴る蹴るの暴行行為が始まるなどエスカレート。自殺前には平野君はクラスじゅうからシカト(無視)されるようになる。
 7月15日、平野君が教室に来ると、教科書や机にマーガリンが塗られており、イスにチョークの粉がまかれ画鋲が置かれていた、机の上には花瓶の水がまかれていた。平野君は知らずにイスに座り、画鋲を踏んだ。平野君はこうしたいじめに遭うと、反撃に出ることが多かったが、この日は何もせず、教師に申し出ている。そして帰宅後はしばらくTVゲームをしていたが、2階の自室で首を吊った。平野君の新しい学校での生活はわずか3ヶ月だった。逆の見方をすれば、3ヶ月間の壮絶ないじめが14歳の命を奪ったのである。

 自殺という最悪な結果を招いたいじめの事実を同中学校の教師たちは知らないわけではなかった。放課後、隠された教科書が見つからずあちこち探している平野君が目撃されており、担任教師が一緒に探したこともあった。平野君はやられたらやり返すことも多かったため、当然トラブルとなることもあったが、担任はそうしたことが起こると、互いに握手させたり、謝らせたりする程度の指導にとどまった。担任は少なくとも15回のトラブルを知りながらも校長に報告することもなく、他の教師たちも「やられたらやり返せば良い」と言ったような声かけ指導をするくらいだった。
 自殺後、平野君の両親は情報の提示を求めたが、学校側はこれに応じず、両親は独自に議会の傍聴、同学年全生徒へのアンケートなどでいじめに関する情報を収集した。だが同級生の親たちからは「うちの子も傷ついている。そっとしておいてほしい」「自殺は大変残念に思うが、私たちは『勝手に死なれた』という思いもある。死なれては何も問うことはできない。私たちも被害者だ」という声があがり、自宅には「洋くんいますか?」「早く出ていけ」「お前ら親が悪いくせに」といった嫌がらせや無言電話がかかってきた。

 1997年5月、両親は自殺はいじめが原因だったとして、津久井町・県に8000万円、元同級生ら10人(男性7人、女性3人)に各100万円の損害賠償を求めて提訴した。
▽01年1月15日、原告勝訴も元同級生と県と町は控訴。
▽02年1月31日、高裁、県と町に2160万円、元同級生9人に120万円の支払いを命じる判決。同じく原告勝訴だったが、支払い金額は一審判決に比べ、大きく減額されていた。



1994年10月10日 牛久市・中2

 茨城県牛久市の中2・A君が自殺。遺書はなかったが、カギのかかった机の引出しから「Bさえいなければ」と書かれた紙片が見つかる。死ぬ前は朝食が食べられなくなっており、校内医に1度カウンセリングを受けるように勧められていた。
 A君はクラスに親しい友人がいた形跡がなく、黒板に「A、死ね」と書かれたりすることがあったという。



1994年10月29日 鹿児島・中3

 鹿児島県出水市の市立米ノ津中学3年生・舩島洋一君(14歳)が自宅で首吊り自殺。事件後、両親は同級生らにアンケートを行ない、いじめを示唆する14通のアンケート結果を得たが、教育委員会も学校も、自殺に繋がるいじめはなかったとしている。だが夏休み前から、顔に傷をつくってきたりして帰宅したことがあった。



1994年11月27日 中学2年生 大河内清輝君

 愛知県西尾市の市立東部中学校2年の大河内清輝君(13歳)が自宅裏庭のカキの木にロープをかけ首吊り自殺。姿の見えなくなった息子を探していた母親(当時44歳)が発見した。詳細


1994年12月13日 愛知・中1

 愛知県岡崎市の市立福岡中学1年生・A君(13歳)が父親の経営する工場でクレーンに紐をかけ首吊り自殺。A君の鞄にはマジックペンで書かれた「死ね」という落書きがあった。

 A君は一学期中頃から同じクラスの男子生徒3人からいじめにあっていた。授業中に鉛筆や教科書を投げつけられたり、プロレスごっこと称して暴行を受けていた。10月には教師のいる時にイスをぶつけられて、頭に3針縫う怪我をしている。
 自殺のわずか17日前には岡崎市の隣りの西尾市で大河内清輝君のいじめ自殺があり、A君の父親が「お前、こんなことされたらどうする。死んじゃうか」と尋ねたところ、A君は「そんなことするわけないよ。お父さん、僕はまだ中学1年だよ」と言っていた。



1994年12月14日 福島・中3


 福島県石川町の市立石川中学3年生・須藤宏隆君(15歳)が雑木林の中で首吊り自殺。
 10月頃、須藤君は学校際の歌の練習を率先して行なっていたが周囲から「いばっている」と反発され始める。11月に入ると親しかった友人から無視されるようになり、弁当を食べる時も休み時間も一人でいるようになっていた。



1995年1月27日 島根・中3女子

 島根県の町立中学校3年のA子さんが首吊り自殺。担任に「教室に入るのが怖い」と相談していた。机や上履きに画鋲を入れられたり、机の上に悪口を書かれたメモを置かれるなどのいじめを受けていた。



1995年2月5日 浜松・中2

 静岡県浜松市の市立東部中学2年・A君が自宅近くのマンションから飛び降り自殺。遺書には「使い走りにさせられていた」とあった。A君は1年生のときから部活での友人関係で悩んでいた。万引きを強要されたり、自転車をパンクさせるなどされていた。自転車をボロボロに蹴られて壊されたときは、笑いながら「おれ、自殺しそうだよ」と話していた



1995年2月21日 茨城・中2

 茨城県美野里町のの町立中学校2年の高木一則君(14歳)が自宅で首吊り自殺。ノート1ページに書かれた遺書があった。

 高木君は1年からいじめられる。元々、正義感が強く、校則を守らない生徒を注意し、教師に告げたりしていた。そのことで同級生に反発をかっていた。仲間外れにされるなどのいじめはクラス全体、学校全体に及んだ。また二月中旬には水泳部副部長をしていた高木君が先輩と対立して部内でも孤立してしまった。



1995年4月16日 福岡・中2

 福岡県豊前市で、市立角田中学校2年の的場大輔君(13歳)が自宅2階で首吊り自殺。「これは自殺じゃない。他殺だ」とのフロッピーディスクに入れられた遺書があった。
 的場君は上級生・同級生の計9人からプロレスごっこや、殴られたりするいじめを受けていた。遠足の時には歌を強要されていた。



1995年4月27日 奈良・中2

 奈良県橿原市立橿原中学2年の坂田健作くん自宅で首吊り自殺。
 坂田君は1年生の時、いじめられている友人をかばったことから新たないじめの標的となった。坂田君はいじめを家族に打ち明け、両親は市教育委員会や学校に相談し、学校はいじめのリーダー格の生徒に謝罪文を書かせたが、このことでいじめはおさまるどころかエスカレートしたという。



1995年4月28日 長崎・中2女子

 長崎県長崎市立淵中学校2年のE子さん(13歳)が校舎3階からから飛び降り自殺。遺書には男子生徒3人の実名が上げられていた。

 E子さんは小学校4年からいじめられており、男子生徒から「汚い」「くさい」と言われていた。プリント類が前からまわってくると、E子さんの後ろの席の生徒は「汚い」と嫌な顔をした。音楽の時間にE子さんが歌うと、誰かが床を踏み鳴らした。E子さんが持ち物に触れると鬼となるルールで鬼ごっこが始まった。そもそも「汚い」などと言われ始めたのはE子さんの自宅に風呂がないことからだった。

 1996年3月20日、E子さんの父親が男子生徒に復讐し、書類送検された。



1995年5月22日 大阪・高専1年

 大阪府寝屋川市の高専1年の男子生徒が自宅で首吊り自殺。遺書はなかった。
 男子生徒は両親に「学校をやめたい」「いじめた相手を殺したい」と訴え、不登校になっていた。この日は再登校するはずであったという



1995年5月31日 鹿児島・中3

 午前9時30分、鹿児島市立坂元中学校3年の池永大輔君(14歳)が自宅のベランダで首吊り自殺。

 池永君は小学校1年から5年のあいだは同じ校区の小学校へ通学。一時、福岡へ転出ののち、95年4月、母親と2人で鹿児島へ転居、坂元中学に転入学していた。
 4月12日、池永君宅に同級生2人が遊びに来て暴行を加えて現金を取っていった。この日から、池永君は話をしない、家具に殴りかかる、ため息をつく、鉛筆を次々と折るなど、様子が変わっていった。5月からはたびたび学校を休むようになった。池永君自身は「いじめはない」と話していた。

 事件後、PTA総会で「あそこは共稼ぎで子どもに無関心だから」などと父母らが発言。PTAの人間が池永さん宅を訪問し「マスコミに追われるから、あなたたち以上に在校生はつらい」と発言、その他「子どもが自殺したのは夫婦仲が悪いのが原因」「子どもをほったらかしにするような親だから死ぬ」などの噂が飛び交う。



1995年7月3日 種子島・中1

 種子島(鹿児島県中種子町)の中学1年の男子生徒が自宅裏倉庫で首吊り自殺。「先輩たちからなんだかんだとからかわれるのがいやになった。・・・・生まれ変わる」などの遺書があった。



1995年7月10日 東京・高1

 東京都北区の私立駿台学園高校1年の秋葉祐一君(15歳)がカッターナイフで手首を切るが死にきれず、自宅近くのマンションの屋上から飛び降りて自殺。

 秋葉君は軟式野球部に所属していたが、この部では附属中学からの内申組が外から来た外申組に荷物持ちをさせたり、上級生が下級生を正座させ、蹴りを入れたり、バットで尻を叩いたり、水溜りにスライディングさせたり、喫煙を強要したりといったことが日常茶飯事だった。
 こうしたしごきに悩んだ秋葉くんは父親に相談して、退部届けを書いてもらった。だが3年生が2年生を殴るという事件があり、仕返しが怖くて提出できないでいた。そうしたなかで秋葉君は父親に「死んじゃうよ」ともらしていた。



1995年7月19日 福岡・中3女子

 福岡県の市立中学校3年のA子さんが飛び降り自殺。遺書があり、2名の友人の名が記載されており、「絶対ゆるせない」「なんで私がしななきゃいけないの」と書かれていた。



1995年8月27日 神奈川・高1女子

 神奈川県横浜市保土ヶ谷区の私立明倫高校1年のA子さん(15歳)が学校の教室で首吊り自殺。遺書があり、「クラブ活動厳しい」「練習つらい」などと書かれており、テニス部の上級生数名の個人名も記されていた。部活で上級生に「デブ」とか「太ってる」などと言われていた。A子さんはテニスの特待生だった。



1995年8月28日 北海道・高1

 北海道の道立高校1年のA君が首吊り自殺。遺書があり加害生徒の実名を挙げる。A君は同級生から暴行を受けていた。



1995年11月27日 上越市・中1

 午前3時30分ごろ、新潟県上越市の自宅の庭で市立春日中学校1年の伊藤準君(13歳)がロープで首を吊って死んでいるのを新聞配達員が発見した。

 準君の死後、自殺に至るまでのいじめの苦痛を学校の「連絡ノート」につけていたことが判明。それには11月に入ってから「自殺しようと思った」、「あいつらうらんでやる」、「この世にみれんがある」などと書かれていた。(連絡ノートは11月22日以降、担任に提出していなかった)
 さらに10月下旬には、ある女子生徒から「準君ともう1人がいじめられているようだ」との訴えが学校に出されていた。それでも学校側はいじめの把握と対策の努力を行わなかった。



1995年12月6日 千葉・中2女子

 千葉県神崎町の町立神崎中学2年・鈴木照美さん(13歳)が自宅で首吊り自殺。加害生徒の男子3名、女子2名の実名を挙げた大学ノートにいじめを記述。
 
 9月、天然パーマを気にしてストレートパーマをかけたら髪の毛が傷み茶色になり、親しい友人から「染めているだろう。うそをつくな」と言われ、いじめが始まった。「タヌキ」と呼ばれていたらしい。その後、鈴木さんは保健室に行くことが多くなった。

 葬式で「今回の照美さんの死は学校の責任」と校長と教頭が霊前で土下座するが、翌日に校長は「いじめはなかった」と発表。



1996年1月8日 神戸市・高1女子

 兵庫県神戸市須磨区の県立神戸商業高校1年のAさん(16歳)が列車に飛びこみ自殺した。遺書があり、3人の名前を挙げ、「態度によるいじめです」と書いていた。二学期終了時に提出された英語の宿題ノートに「口デカ」「デコピカ」「くさーい」といった落書きがあったが、教師は落書きには気がつかなかった。



1996年1月25日 愛媛・中2女子

 愛媛県八幡浜市の市立松柏中学2年の上田さくらさん(14歳)が制服のスカーフで首吊り自殺。

 上田さんへのいじめは男子14人によるもので、小学校の高学年から始まった。「くさい」「汚い」と言われたり、容姿を中傷されたりした。いじめた張本人らは「何を言っても黙っていて面白かった」と後で話している。上田さんはこうした卑劣ないじめにより、自殺の前年12月18日から登校しなくなった。三学期になっても始業式に出た後、4日間登校しただけで、23日から再び学校を休んでいた。



1996年3月18日 山口・小6女子

 朝、山口県徳山市(現・周南市)の小学6年のA子さん(12歳)がマンションから飛び降り自殺。遺書には「無視された」「避けられている」「学校に行くのがおもしろくない」などと書かれていた。卒業式前日の自殺だった。
 A子さんはクラスのグループから孤立しており、「別のグループに入りたい」と自殺の10日前、担任に相談していた。



1996年4月7日 愛媛・中2女子

 愛媛県松山市の市立内宮中学校2年のA子さん(13歳)が踏切自殺。始業式を明日に控えた日の自殺だった。
 A子さんに対する言葉によるいじめがあり、1月から「(いじめを)がまんしていたけども、やっぱりだめです」と言って不登校になっていた。



1996年4月10日 千葉・中3

 流山市立南部中学校のA君(14歳)は1、2年と、学級委員として「クラスをよくしたい」と積極的に活動していた。2年の二学期ごろ、学級内に騒ぐグループがおり、なんとかしようという思いから注意すると、グループから「いい子ぶるな」「かっこつけるな」と言われ、その後、ノートに落書きされる、ズボンを脱がされる、いすを壊される、試験の日に机をひっくり返されるなどといったいじめを受けるようになった。
 その後、学級会で話し合いがもたれ、表面上はいじめはなくなっていくが、A君本人の悩みは解消されることがないまま、孤立感は深まっていった。そして三学期には不登校となった。不登校と言っても、剣道部の朝練は出ても、授業には出ずに家に帰り、給食の時間からまた学校に来て、放課後の部活動に参加するということも多かった。
 海外赴任中の父親は「転校してもいい」と国際電話で話し、母親はフリースクールを薦めたが、A君は「逃げたくない」と学校にこだわった。3年次の部活動の大会に出るのが目標だったようだ。
 母親は学校側にクラス替えを要求する。だが、クラス替えは行われず、担任が交代するだけだった。A君はそのことを聞いて思い詰めた様子だったという。

 短い休みが終わり、A君は3年生となった。まもなく、A君は新担任が「(クラス運営は)白紙でのぞみたい」と言ったのを聞いて、「担任が変わっても同じだ」と思う。
 4月10日、昼食の時間にA君が突然学校から消える。それに気づいた担任は、自宅近くのマンションで泣いているA君を見つけ、一旦車に乗せた。だが、詳しい話を聞けなかった。その後、担任がパンとジュースを買いに行っている間にA君は車を降り、マンション10階から飛び降りて自殺した。



1996年4月26日 茨城・中2女子

 茨城県関城町の町立中学校2年のA子さん(13歳)が首吊り自殺。遺書があり、男子2名、女子1名の氏名が記載されていた。悪口を言われたり、自転車のタイヤにカバンのひもをグルグル巻きにされたりしていた。自殺の前日、A子さんは「どうやったら死ねるか」と友人に尋ねている。



1996年6月 須坂市・女子高生

 長野県須坂市の通信高校に通う女子生徒が千曲川に身を投げて自殺。女子生徒は中学校では学級長などを務めていたが、シカトなどいじめのターゲットにされ、過呼吸発作で倒れるなど身体に変調をきたし、不登校となり、養護学校に転入したのち、通信制高校に入学していた。



1996年9月18日 鹿児島・中3 そして加害生徒の父

 午後4時ごろ、鹿児島県知覧町の知覧中学3年・村方勝巳君(14歳)が公民館の梯子で首吊り自殺。
 村方君はいじめで、9月11日から学校を欠席していた。当日も登校を嫌がったが、両親に諭されて自宅を出たが、学校には向かわなかった。
 いじめは2年生の6月頃からあったが、学校ではそれをグループの問題行動としてしか見ていなかった。だが、いじめはエスカレートする。3年生になった4月からは自宅に無言電話や呼び出し電話が多くかかってきて、4月26日にはグループ離脱を理由に長時間激しいリンチにあった。9月10日には「パシリ」をしなかったことで、学校のベランダなどで蹴られていた。これらはすべて、自殺後判明した。

 30日、村方君に遺書でいじめたと名指しされた加害生徒の父親(45歳)が自宅裏庭で農薬を飲んで苦しんでいるのを息子が発見し、父親は翌朝病院で死亡した。
 父親は事件があってからは仕事を休んでおり、通夜、告別式をはじめ、死の前は3日連続で村方さん宅に謝罪に訪れていた。29日には妻と息子を連れて謝罪している



1996年10月31日 新潟市・中2女子

 新潟県新潟市の中学2年生の女子生徒(14歳)が、近くの公園のフジ棚に延長コードをかけ首吊り自殺。遺書があり、部屋のカレンダーの余白に「もうだめ」と書いていた。遺書の横には「大嫌い」「がり勉」などと書かれた女子生徒を非難する手紙が4、5通置かれていた。



1997年1月7日 長野・中1

 明日から三学期が始まるという1月7日の夜、長野県須坂市立常盤中学校1年生の前島優作君(13歳)が自宅の物干場の軒下で縄跳びで首を吊って自殺した。前年12月、国語の課題で「今年の自分の10大ニュース」のアンケート用紙に、「僕の?10大ニュース バスケ部に入部した」とだけ書き、その下に「32 53 25 45 52 32 41」という数字を書いていた。これはポケベル用数字で「しぬことにした」という文章になる。国語の教師はこれに気づかなかった。

 前島君は長身でスポーツ万能、またクラスを盛り上げるなど中学校に入って活躍、校友会(生徒会)の代議員に選ばれた。
 だが二学期あたりから、前島君の様子は変わった。二学期の後半になると、家族に学校のことをほとんど話さなくなり、30枚用意していた年賀状も年末には書かず、同級生からも一枚しか来なかった。年が明けて、母親が以前から前島君の欲しがっていたバスケットシューズを買ってあげようとしたら、普通の運動靴でいいと言った。お年玉にも手をつけなかった。すでに死ぬ覚悟があったのだろう。

 遺書には「4人にいじめられていた」と書いてあったが、学校側はなかなかいじめの事実をつきとめる事はできなかった。だが、遺族らが前島君の遺品をチェックしてみると、いじめの痕跡がいくつか見られた。
・机の中に「パシリ」「パシル」と書かれたワッペンが出てきた。
・9月13日から23日の生活ノートには「不眠症になった」と書いてあった。
・社会科の教科書に「マヌケ」「優作のバーカ」と書かれたページがある。
・10月頃、クラス全員で撮った写真があったが、優作君だけ両耳をふさぎ、泣きそうな顔をしていた。
・漢字練習帳の最後のページに「感電死」「焼死」「溺死」など、死に関わる熟語を書いていた。

 事件後、父親・前島章良さんは現在、長野県の任期付き職員としてこども支援課長に就任。いじめ問題に取り組んだ。
▽2005年6月3日、遺族が市を相手取っておこした損害賠償請求で、和解成立。



1997年1月22日 福岡城島町・中3

 福岡県城島町の町立城島中学3年生・大沢秀猛君(15歳)が自宅付近のクリークの水門にロープをかけて首吊り自殺。この死に場所は家族が働いていた工場が見えるところだった。遺書があり、生徒3名を名指ししていた。ちなみに遺書で挙げられた3名以外にもいじめにくわわっていた。
 
 遺書によると大沢くんは中学生活の初日からクラスメート・Bのいじめのターゲットにされたという。大沢君は家業でブラジル人やペルー人を雇っていたことから、「ペルー、ペルー」と呼ばれバカにされていた。また「ヘボ(弱い)」、「ホモ」などとも呼ばれていた。殴る蹴るの暴力は日常的に行なわれ、教室に窓ガラスに蔑称を落書きされたりした。
 1年の5月の家庭訪問の際、大沢君は担任に「いじめられている」と告白、その後、生徒同士の喧嘩にすぎないと捉えていた担任の教諭は大沢君とBを相談室に呼び出し説教した。この時、大沢君にも「口が悪い」と咎めている。この一件から、大沢君はこの教師に相談しなくなった。
 3年に進級し、いじめから解放されたかに見えたが、別の生徒から金を要求され始める。DとEである。その額は30万にも上っている。

 大沢君の両親は町と県に約9400万円の損害賠償を求めた訴訟を起こした。訴訟は最高裁まで争われ、2004年11月30日、両親の上告をしりぞけ、1、2審の町と県に慰謝料など1000万円の支払いを命じた判決が確定した。



1997年4月13日 静岡・高2

 静岡県長泉町の私立望月高校2年生・A君(16歳)が自宅で首吊り自殺。遺書があり、「楽しかった。こんなことで死ぬなんて友達に申し訳ない」と書いていた。A君は中学時代の同級生2人に複数回にわたり、10数万円の要求を受けてたり、暴行を受けたりしていたという。



1997年8月3日 旭川市・中3

 北海道旭川市の市立中学校3年のA君(14歳)が自宅近くの山林で首を吊って自殺。A君は同級生の2人から金を要求され、持って来れないと殴られたり脅されていた。自殺当日、友人に借りたものを返したり、「今までありがとう」と電話していた。また、遺書にも思える手紙を友人宅に送っていた。死から2日後、配達されている。



1998年3月20日 成田市・中2
 
 千葉県成田市の市立遠山中学校2年の鈴木善幸君(14歳)が自宅の倉庫で首吊り自殺。胸ポケットに遺書があった。
 同校では前年、卒業生を中心としたグループによる現金強要がある生徒の訴えで発覚。主犯格の少年が鈴木君らを使って、在校生から現金3万円を脅し取っていた。事件が発覚すると、「ちくったのだろう」と鈴木君に暴力が加えられていた。その後も、恐喝は続いていた。鈴木君はある日、金をせびられ、両親の財布から金を抜き取っていたが、「テレビゲームのカセットを買った」と言っていたため、両親は気づかなかった。

▽5月8日、主犯格の少年が中等少年院送致の保護処分されることが決定した。



1998年4月7日 会津若松市・高3
 
 福島県会津若松市の市立若松第一高校3年の男子生徒(17歳)が、磐梯町にある自宅の小屋で首を吊って自殺。男子生徒は1年時から同級生たちに日常的に暴力を受けたり、パシリにされたりしていた。男子生徒は最初は明るかったが次第に無口になっていったという。



1998年6月18日 八王子・中3女子

 午後4時20分頃、東京八王子市の市立中学3年の女子生徒(14歳)が自宅で首を吊っているのを家族が見つけた。
 室内にあった交換日記には2人の人物の名を挙げて「いじめられている」と記してあった。また前月に自殺した元X-JAPAN・hideについても「悲しい。だが後追いではない」と書かれてあった。女子生徒は学級委員を務めていた。



1998年7月25日 横浜市・高1女子

 神奈川県横浜市港南区で、県立野庭高校1年生の小森香澄さん(15歳)が自宅トイレで首を吊っているのを父親が発見、すぐに病院へ運ばれたが、意識は戻らず27日午後9時頃亡くなった。

 4月、高校に入学した小森さんは吹奏楽部に入部した。中学でもドラムをやっていたが、高校ではトロンボーンを始めている。ところが4月半ばになると、クラスも部活も一緒の3人から小森さんは仲間はずれにされ始めた。まったく無視するかと思うと、一方では付きまといのようなこともされたという。そしてアトピーのある小森さんに「汚い顔して学校に来るな」「汚い顔見せるな」といった言葉を浴びせるなどした。
 それ以外にも別の部員に「あんたがいたら大会に行けない」などと言われることもあり、小森さんは練習を休んだり、食欲がなくなったりするようになった。楽しいはずだった高校生活はいつの間にか彼女にとって大変つらい毎日になっていた。6月ごろには精神科で「うつ状態」と診断されている。7月にはカッターナイフでの自傷行為もあった。当時、吹奏楽部の顧問だった嘱託教員は部内のいじめについての相談を別の部員から3度ほど受けていたが、個別に軽く注意したにとどまっていた。
 夏休みに入っても小森さんは部活動に出ることができなかった。それでも家でCDに合わせてトロンボーンの練習を頑張っていた。
 7月25日、小森さんは制服を着て父親と出かけて行ったが、どうしても学校へ行くことができず、おぶってもらって帰宅していた。ふさぎ込んだ様子でトイレに入っていった小森さんは首を吊ったのはその直後のことだった。

 小森さんの母・美登里さんはこのいじめ自殺を「優しい心が一番大切だよ」(WAVE出版)という本にまとめた。この題名は自殺の直前の7月21日に小森さんが美登里さんに言った言葉から。
「優しい心が一番大切だよ。その心を持っていないあの子たちの方が可哀想なんだ」
 
 01年、小森さんの両親は県と元同級生3人を相手取り約9700万円の損害賠償を求める訴えをおこした。
▽06年3月28日、横浜地裁・山本博裁判長は両親の主張を一部認め、元同級生1人に56万円、県に330万円の支払いを命じたが、いじめと自殺との因果関係を否定した。
▽07年2月19日、和解成立。



1998年8月3日 埼玉・中2女子

 朝、埼玉県入間市の公立中学2年の女子生徒が自室で、台所から持ち出した包丁で腹を刺し自殺。女子生徒は直前に母親に「部活に行く」と話しており、体操着姿だった。
 女子生徒は6月頃から「部活に行きたくない」「友達にはじかれた」と漏らしていたという。



1998年12月26日 飯塚市・高2

 福岡県飯塚市の私立飯塚高校の2年生・古賀洵作君(16歳)が自宅で首吊り自殺。

 古賀君は98年1月頃から、同級生ら6人に現金を強要されたりしていた。12月25日のクリスマスパーティーには古賀君に女子高生の出席を要求、古賀君が「連絡がとれない」と答えると、「飲み代60万円払え」と執拗に要求していた。後日、同級生6人は中等少年院に送致されている。



1999年10月15日 堺市・高1女子

 午前8時25分、大阪府堺市の市立商業高校1年のA子さん(16歳)が自宅近くのマンションの10階〜11階踊り場から飛び降り自殺。

 A子さんは真面目な生徒で、普段からそのことでクラスメートにからかいの対象にされることがあったという。体育のバレーボールの授業では同級生らがA子さんをからかうようなチーム名をつけていた。
 
 自殺前日、A子さんはカッターナイフを振り回したために学校側が帰宅させていた。同日夜、担任教師が家庭訪問し、両親に学校を休ませるように勧めると同時に、「通信制高校を選ぶ道もある」と話した。A子さんはこの会話を2階で聞いていた。この担任は前日にA子さんから「からかわれて悔しい」という訴えを聞いていたが深刻には受け止めていなかった。

 市教委は00年3月、旧文部省に自殺の理由を「不明」と報告。01年に入って原因がいじめによるものとわかり、遺族に謝罪したが、訂正していなかった。だが06年に福岡の中学生のいじめ自殺が起こり、「99年からずっといじめ自殺は0件」だとする統計に批判が寄せられ、11月7日、いじめによるものとようやく認め、再報告した。



1999年11月8日 千葉・高3

 千葉県山武郡横芝町の私立高校3年生の男子生徒(18歳)が自宅車庫で首吊り自殺。遺書には同級生の名をあげて、現金を恐喝されていたことが書かれてあった。
 男子生徒は就職活動中で、「ファッション関係の仕事につきたい」と話していたが、二学期になってからは遅刻・欠席が目立っていた。

 11月24日、千葉県警少年課は、男子生徒の遺書に名を挙げられていた同郡内の男子同級生A(当時18歳)を恐喝・暴行の容疑で逮捕した。
 Aは6月から何度か男子生徒を暴行し、9月下旬には「殴られるか、10万持ってくるか選べ」と脅していた。Aは傍目には男子生徒と仲が良いように見えたという。



1999年11月26日 鹿沼市・中3

 栃木県鹿沼市の市立犬飼中学3年の臼井丈人君(15歳)が自宅の押し入れで首吊り自殺。

 2年の頃、臼井君は何人かの友人とテレビゲームで遊んだが、その時、ある生徒が臼井君のゲームソフトを投げて壊した。この頃から、ジャンケンで負けると肩をパンチされるというゲームが男子間で行なわれるようになった。臼井君はゲームにかこつけて肩を殴られていた。相手が思いきり殴っても、臼井君はジャンケンに買っても思いきり殴れなかった。それ以外に臼井君のズボンを下げたり、顔に落書きするなどのいじめが続いていた。

▽丈人君が自殺したのはいじめが原因だとして、両親が県、市、当時の同級生2人とその両親に計約1億1000万円の損害賠償を求めた訴訟で、05年9月29日、宇都宮地裁・岩田真裁判長はいじめと自殺の因果関係は認めず、県、市、同級生2人、うち1人の両親に計240万円の賠償支払いを命じた。

▽07年3月28日、東京高裁・江見弘武裁判長は「丈人さんがいじめで孤立感を深めたことが自殺の一因となった」と認め、一審判決を変更、総額1100万円の賠償を被告側に命じた。二審では臼井君が長期のいじめにより、少なくとも11月末までにはうつ病を患い自殺したものと認定した。



2000年5月14日 宇都宮市・中3

 栃木県宇都宮市の市立中学3年のA君(14歳)が自宅庭のプレハブ小屋で自殺。顔には数ヶ所殴られた跡があった。
 7月5日、宇都宮南署は暴行・恐喝の疑いでA君の3人の男子同級生(いずれも当時14歳)を逮捕した。3月下旬、3人のうち2人がA君を空地に呼び出し、殴る蹴るの暴行を加え、また自殺の4日前にも空地での暴行があった。他にも香水(4800円相当)を買ってくるように命じ、脅し取っていたという。



2000年7月26日 川口市・中1

 埼玉県川口市の市立芝中学校1年の大野悟君(13歳)が自宅2階の納戸にあった棚にベルトで首を吊って自殺した。

 大野君は中学入学直後から休み時間などに同級生8人ほどに囲まれて暴力をふるわれていた。傍目には仲良く集まっているように見えていたが、彼らはアザが出来ないように、太腿の付け根を蹴る「麻酔蹴り」や、腹を殴る「腹パン」などを行っていた。それ以外にも机の上にのりが塗られていたり、バッグがゴミ箱に捨てられるといういじめがあった。
 自殺の前日、自宅の電話のメモ用紙に大野君が書いたと見られる「HELP」という文字を家族が見ていたが捨ててしまった。

 事件後、学校は調査報告書を両親に提出したが、あやふやなものだった。いじめに関わったとされる34名の生徒に事情聴取し、具体的ないじめの暴力を掴んだのは川口署だった。
 自殺後には「マスコミに出て芸能人気取りですか」「自殺の原因は家庭内にあった」などと書かれた匿名の手紙が、悲しみにくれる大野家に届いた。同時に「大野君の兄弟にも害が及ぶ」という脅迫じみた内容もあり、筆跡から問い詰めた結果、加害者の1人の母親だということがわかった。この母親は自分のしたことを認めたが謝罪はなかった。「子が子なら、親も親」としか言いようがない。



2000年10月13日 市原市・中3女子

 午後4時20分頃、千葉県市原市立有秋中学校3年のA子さん(15歳)が自宅裏のビワの木で首を吊っているのを祖父が発見した。祖父と母親がすぐに縄をはずし、人工呼吸をしたが体はすでに冷たくなっていた。

 A子さんは小学校2年時、病院に入院していたことがあるが、この時洗髪できなかったため、「臭い」「バイキン」と言われいじめられはじめた。夏休みに市営プールへ行くと、「臭いから入るな」と追い返された。
 いじめは中学生になっても続いた。小学校時の同級生たちが「あいつをいじめるとおもしろい」と新しいクラスメートを煽ったためだ。2年生のクラス替えがあってからは、さらにひどくなった。男子生徒から、机に「死ね」と書かれたり、「大魔人、死ね。パンパン」と撃つ真似をされた。さらにすれ違う時などは「臭い」「死ね」などと言われたという。A子さんが不在の時、机に花を置く葬式ごっこや、本人の目の前で教科書を破られたり、自転車を壊されたりと壮絶ないじめだった。加害者は最低でも25人はいたという。25人以上の敵に囲まれた学校生活はどんなにつらかっただろう。

 3年生の6月、A子さんはカミソリで手首を切り、自殺未遂を図る。血だらけのタオルを手首に巻いて眠っている娘を見て母親は驚き、いじめの事実を聞かされたが、「学校には言わないでくれ」と口止めされた。その後、A子さんが学校に行くと、手首の包帯に気づいた数人の教師が事情を聞いてきたが、A子さんは「ケガをしただけ」と話した。
 A子さんは次第に学校に行くのを渋るようになり、仲の良かった3人の親が交代で、学校の途中まで車で送っていた。この時、「3年生のジャージを見ると気持ち悪い」と座席に隠れたこともあった。

▽05年11月、A子さんの両親が「自殺の原因はいじめと学校の不適切な対応にある」として、加害の男子生徒とその両親、さらに市原市と千葉県を相手どり、4400万円の損害賠償を求めた訴訟で、市、県、男子生徒5人が総額600万円支払うことで和解。



2002年3月 長野・高2女子

 長野県松本市の松商学園高校2年の女子生徒(17歳)が自殺。
 女子生徒は高校入学直後から級友から悪口を言われるなどのいじめを受けたが、担任や養護教師は取り合わずに放置していた。



2002年10月11日 板橋区・中3

 東京学芸大学附属竹早中3年のA(15歳)が板橋区内のマンションから飛び降り自殺。アトピーの症状を同級生にからかわれていたという。



2002年12月21日 京都・中1

 京都市伏見区の中学1年生・A君(13歳)が自室で自殺。
 A君はスイミングスクールに通っていたが、ここで1学年上のB(当時13歳)に「K-1ごっこ」と称して暴力を受けるなどのいじめに遭っていた。



2003年3月31日 一戸町・中2女子

 岩手県一戸町の中2・A子さん(14歳)が夕方、自宅の部屋で首を吊って自殺した。
 A子さんはバスケットボール部の部長をしていたが、人間関係に悩み、2月くらいから部活動を休みがちになった。死後、同級生が訪れて両親に「2、3人がいつも彼女を相手にせず、無視していた」と話した。



2003年5月5日 名古屋市・中3女子

 午後4時頃、愛知県名古屋市立北陵中学校3年の柴田祐美子さん(14歳)が「本屋に行く」と言って家を出た後、マンション14階から飛び降り自殺。机の中に遺書があった。

 柴田さんは陸上部で、砲丸投げや円盤投げで数々の大会で優秀な成績を残していた。柴田さんとA子とは小学校時代からの友人だったが、2年生の3学期ごろ、母親に「(A子が)何を怒っているのか、よくシカトする」「また人の悪口ばっかりで、よくあんな人の悪口ばっかりよく言えるもんだ」と話していた。3年生になると、「(A子を)殴ってもいいかな」と尋ね、母親に諭されると、「ふーん、そうか分かった。でも痛いだろうな」と言って、こぶしを見つめていた。



2004年6月3日 蕨市・中2女子

 午前6時40分頃、埼玉県蕨市立第2中学校の2年の女子生徒が自宅マンションから飛び降り自殺した。

 女子生徒は「指スマ」(※)と呼ばれる遊びの罰ゲームとして、男子生徒に告白する約束をさせられることになった。女子生徒はその日のうちに3年生男子生徒1人に告白したが、その後トイレにこもって号泣。ほかの参加者から「残り4人に告白しないとハブく(仲間外れにする)」と言われたという。友人には自殺前日「明日告白が4回残っている。登校拒否になるかもしれない」と話していたという。
 
 また女子生徒は、自殺する数日前から「ゴキブリ」と呼ばれていた。女子生徒の部屋には新品のノートには「死にたい。ゴキブリと言われているのが嫌だ」、「告白ゲームなんて嫌だ」などと書かれてあった。

※指スマ・・・・CX系「SMAP×SMAP」内の企画で、複数の人が指を同時に上げて、その数を当てた人から抜け、最後に残った人が負ける遊び。



2005年1月30日 滋賀・高2

 午後3時頃、滋賀県余呉町の山林で、町内に住む県立高校2年・A君(17歳)が首吊り自殺しているのが発見される。遺書はなかった。

 自殺の数日前、A君は父親に「2万円貸してほしい」と頼んだが、父親が「そんな金はない」と断ると「友達に謝ってくる」と話したという。そして28日、高校の授業が終わってからは行方がわからなくなっていた。
 A君に金を要求していたとされる無職B(当時18歳)、C(当時17歳)は恐喝未遂と監禁の疑いで、木之本署に逮捕された。



05年4月13日 下関市・中3女子

 午後2時45分頃、山口県下関市の市立川中中学校の屋上階段で、3年生の女子生徒(15歳)がスカーフで首を吊って死んでいるのを探していた生徒が発見した。
 女子生徒はこの日、放課後の吹奏楽部の練習に遅れたため別の生徒にとがめられ、急に姿を消した。当時、顧問は不在の自主練習で、部員らが女子生徒を探していた。

 女子生徒の自宅からは「死」という文字や、いじめをほのめかすメモが見つかったが、市教育委員会は「いじめは認識していない」としていた。
 ところが5月19日に同校でいじめに関するアンケートをとったところ、女子生徒が「うざい」「きもい」「あっちへ行け」などという言葉を浴びせられていたことがわかり、教育長は両親に謝罪。



2005年9月9日 北海道・小6女児

 朝、北海道滝川市内の小学6年の女児(12歳)が、教室で自転車の荷台用ロープを使って首を吊っているのを登校していた児童が発見した。女児は意識不明の状態が続いていたが、翌1月6日に死亡した。

 女児は、教室の教卓上に、家族や学校宛ての7通の遺書を残していた。自殺の理由が学校でのいじめであるというもので、10月に遺族が職員室で内容を読みあげた。
 女児は7月にも担任教諭に友人関係について相談していた。男子児童が席替えの時に「(女児の)隣になった奴がかわいそう」という発言のためである。また自殺の10日前にあった修学旅行の部屋割りを決める際には、女児がどのグループにも入れないので3度も話し合いがもたれた。

 自殺後、女児の遺族が同級生に事情を聞くと仲間はずれや陰口を言ったことを認めたが、市教育委員会がいじめに関する記述を隠して発表していたことが後で問題となった。これにより同市教育委員長、教育長が辞職。



2005年12月6日 長野・高1

 朝、長野県の県立丸子実業高校1年・T君(16歳)が、御代田町の自宅で首を吊って死んでいるのを母親が見つけた。自室には「いじめについて何も解決していません」「学校の先生にもっと早く謝ってほしかった」などと書かれた手紙やノートがあった。
 
 T君の所属するバレー部では、7月に先輩が1年の生徒を正座させ、ハンガーで殴るということがあった。またT君は大きな声が出せない体質だったが、先輩に声の真似をされて馬鹿にされるということもあったという。
 T君は高校生活2ヶ月目の5月末に家出。また8月下旬から不登校となり、9月下旬に1度登校した時に先輩から謝罪を受けるが再び不登校となっていた。学校側はいじめの事実を否定。



2005年12月13日 広島・中2

 昼頃、広島県福山市の市立中学2年のA君(13歳)が自宅で首吊り自殺。

 A君は小学校時代から不登校気味で、この12月も5日まであった期末テストを受けたものの、6日以降は欠席していた。1月にはA君の母親が学校に「いじめを受けている」と相談に来ていた。それによると、机の上に直接弁当のおかずを置いて「食べろ」と命令されたり、試験の点数を無理やり「見せろ」と言われたものだったという。



2006年8月17日 愛媛・中1

 午後4時頃、愛媛県今治市立の中学1年・A君(12歳)が、市内の電柱で首を吊って自殺しているのが見つかる。
 A君の持ち物を調べた結果、小学校の卒業文集で5人の同級生の名前が消されており、集合写真では12人が油性ペンで黒塗りにされていた。県警の調査によると、塗りつぶされた生徒の一部はA君をいじめていたことを認めた。いじめは小学生の時から続いており、中学校も1学年1クラスであったために、いじめた同級生はほぼ同じ顔ぶれだった。



2006年8月26日 名古屋市・女子高生

 名古屋市千種区の名古屋大教育学部付属高校を休学中のA子さん(17歳)が飛び降り自殺。

 A子さんは1年生だった04年9月ごろから不登校になった。11月には保護者から「1人の同級生からいじめを受けている」との訴えが高校に入る。いじめはその同級生があいさつに応じなかったことや、「なぜ他の同級生と一緒に帰るの」と言われたことなどだった。高校でこの同級生から事情を聞いたところ、「仲よくなりたかった」「あいさつに気付かなかった」などといじめを否定、「嫌な思いをさせてごめんなさい」という謝罪の手紙を送っていた。



2006年10月11日 福岡・中2

 夜、福岡県筑前町立三輪中学校2年のA君(13歳)が、自宅倉庫で首を吊って自殺しているのを祖父が発見した。ズボンのポケットなどに複数のメモがあり、「いじめられて、もういきていけない」「いじめが原因です。さようなら」などと記していた。その後の調べで、いじめは元担任の”からかい”から始まったものとされた。詳細



2006年10月23日 岐阜・中2女子

 午後1時ごろ、岐阜県瑞浪市立瑞浪中学校に通う2年生の女子生徒(14歳)が、自宅2階の自室クローゼットで首を吊っているのを母親(当時41歳)が発見、病院に運ばれたがまもなく死亡した。部屋にはメモがあり、遺書めいたことが書かれてあった。この日は女子生徒の誕生日であり、夜には家族が誕生パーティーを開くはずだった。

 女子生徒はバスケットボール部に所属していたが、遺書には同じ部の女子4人の名前を挙げて、「本当に迷惑ばかりかけてしまったね。これでお荷物が減るからね」と書かれていた。自殺6日前には家族が「部活に迎えに行ったら泣き出した。何かあるのでは」と担任教諭に相談していた。同校では「広い意味でいじめがあったと考える」と一旦いじめの存在を認めたが、その後二転三転した。

 女子生徒はクラスでは明るくリーダー的存在だったが、部活内でいじめに遭っていたとされる。強く投げられたボールが取れずに笑われたり、パスをミスして「ウザイ」と言われるなどしていた。仲間はずれにもされており、女子生徒からのパスをわざと取らなかったりもした。女子生徒は学校から帰宅した後、部屋で「まじめで何が悪い。一生懸命やって何が悪い」とよく泣いていたという。自殺当日は、部員に前日休んだことを「レギュラーなのにさぼって責任ないね」ととがめられていた。さらにバスケ部では別の生徒が部内でのいじめで退部していたことも発覚。

 31日、遺書に書かれた4人の生徒の両親が弔問、謝罪した。11月7日には生徒らの動揺が激しいため、バスケ部の解散が決定された。



2006年11月12日 大阪・中1女子

 大阪府富田林市の府営住宅で、8階に住む中学1年の女子生徒R子さん(12歳)が飛び降り自殺。

 R子さんは生まれつき体の成長が遅くなる病気で、小学生時代から身長が低いことを同級生からからかわれていたという。自身もそのことを気にしていたが、成長促進の注射を打ちながら「がんばって大きくなるねん」と話していた。またかかりつけの病院の看護士に憧れ、看護士を夢見ていた。
 R子さんは中学に入学した頃から、ふさぎこむことが多くなった。特定の男子生徒から大声で脅されたり、廊下で足をかけられ転ばされたり、バレーボールの授業ではトス回しなどがうまくできないR子さんに、トスが集中されるといういじめもあった。



2006年11月12日 埼玉・中3

 午後7時半ごろ、埼玉県本庄市で、市立本庄東中学3年の男子生徒(14歳)が自宅近くにある農機具倉庫で首をつっているのを、帰宅した母親が見つけた。
 男子生徒は6日の放課後、県が派遣している「さわやか相談室」の女性相談員に「11月になって同学年の男子から『貸した500円を返せ。返さないと利子を付けるぞ。2万円を返せ』と金を要求された」と打ち明けていた。2年生の時にも同じように要求されて1500円を渡していた。8日には相談員が学年主任の教諭にそのことを伝え、教諭は男子生徒と話をした。
 さらに1年の時から同級生から暴力をふるわれていたが、3年になってエスカレートしたこともわかった。



2006年11月14日 新潟・中2

 午後9時ごろ、新潟県神林村の民家の納屋で、村立平林中学校2年の男子生徒(14)が首をつっているのを母親が発見、病院に運ばれたが死亡が確認された。
 男子生徒は同日、同級生からズボンと下着をおろされるいじめを受けており、下校中友人に「死にたい」と漏らしていた。学校側は「ズボン下ろしはいじめと即断はできない」として、調査を続ける模様。



2006年11月22日 山形・高2女子

 午後0時半頃、山形県高畠町一本柳の県立高畠高で、2年・渋谷美穂さん(16歳)が校舎2階と体育館をつなぐ渡り廊下の屋根から飛び降り、約10m下の地面に転落し、2時間後に死亡した。

 渋谷さんはこの日、吹奏楽部の練習に参加した後、授業に出席。だが2時間目からは欠席していた。2時間目の後の休み時間には音楽室にあらわれ、居合わせた教諭に「忘れ物をとりにきた」と話した。
 4時間目の授業中であった自殺直前、渋谷さんが渡り廊下の屋根にのぼっているところを学校職員が発見。教諭2人が渡り廊下に面した女子トイレの窓から、屋根の上でうずくまっている渋谷さんに声をかけたが、強風のためお互いの声がうまく聞こえず、そのまま飛び降りた。

 残された携帯電話の書き込みには、5人の同級生の名を実名で挙げ、それ以外にも複数の人から性格のことで悪口を言われているという内容が残されていた。それまで活発だった女子生徒の様子は、この年の夏ごろから変わっていった。自殺の5か月前には「お父さん、いじめにあったらどうする?」と家族に尋ねている。11月に入って母親にいじめについて相談しており、前日は体調不良を理由に学校を休んでいた。

 07年3月5日、県教委は「女子生徒へのいじめは確認できなかった」とする調査結果を発表。同年11月、家族は本名や遺書の内容の一部を公表、再調査を求めた。これを受けての記者会見で、校長は「この遺書を、根拠の見えないものと考えている」と話した。



2006年12月18日 福島・中2

 午前8時ごろ、福島県浪江町の空き家で、町内に住む中学2年の男子生徒が首をつって死んでいるのを近所の住民が見つけた。
 男子生徒は13日朝に「学校へ行く」と言って出掛けたまま行方が分からなくなっており、17日に家族から捜索願が出されていた。男子生徒は「勉強がいやだ」と周囲に話し、学校を休みがちだった。前年、「いじめを受けている」と学校に相談していた。



2007年2月1日 千葉・中2

 午後3時45分ごろ、千葉県松戸市のマンションで、市内に住む市立中学2年のA君(14歳)が飛び降り自殺。当日、学校を休んでいた。

 A君は1月31日、同級生の7人とともに別の男子生徒B君(当時14歳)を殴り、肩の骨を折る怪我を負わせ、放課後に教諭に個別に呼ばれて注意を受けていた。B君にも謝罪していた。A君自身も、前年吹奏楽部の部活中に疎外されるといういじめを受けていた。
 A君が飛び降りたのはB君が住むマンションで、音を聞いて最初に遺体を発見したのはB君の母親だった。B君はA君について母親に「まじめないい子。彼もいじめられ、ストレスになっていたのでは」と話していたという。遺体の脇には「ごめんね」と書かれたノートもあった。



2007年7月3日 大阪・中2

 午前11時ごろ、大阪府大東市の市立中学2年の男子生徒(13歳)が自宅3階ベランダでカーテンを紐状にして手すりにかけて首つり自殺。男子生徒は前年5月とこの年の4月に同級生から「キショイ(気色悪い)」「あっちへ行け」などと悪口を言われており、担任教諭に泣きながら相談していた。



2007年7月3日 神戸・高3

 午後2時ごろ、神戸市須磨区の私立高校で、同校3年の男子生徒(18歳)が4階渡り廊下から飛び降り自殺。男子生徒は直前「トイレに行く」と言って授業を抜け出していた。ズボンのポケットには自殺をほのめかすメモが入っていた。



2007年7月4日 明大生
 
 明治大学理工学部3年で、応援団リーダー部員であった男子学生Aさん(21歳)が、茨城県内の実家で首を吊って自殺を図り、15日に病院で死亡した。

 Aさんは入学してリーダー部に入ったが、この年の1月に退部、そして4月からは休学していた。部内でのいじめを示唆した遺書があり、「応援団内の人間関係で悩んでいる」と親族に相談していた。大学は調査委を設置。調査委は現役部員らと面談を重ね、いったんは「いじめはなかった」との結論を出したが、後に部室からあるビデオが発見された。それはAさんが下半身裸にされ、熱湯と冷水の入ったバケツに局部を交互につけさせられているというものだった。このため大学側はいじめを認め、部の解散も検討。いじめは1月頃から始まり、下級生のいる前でも行われていた。
 


2008年12月1日 群馬・高2

 群馬県西毛地区の県立高校2年の男子生徒(当時17歳)が修学旅行から泣きながら帰宅した後、無言で外出して川に飛び込み自殺した。男子生徒は修学旅行の初日、担任教諭に「女子生徒から『きもい』『うざい』と言われた」などと涙ながらに相談していた。教諭が「誰から言われたのか」と聞いても、「答えたくない」と答えたという。死後、男子生徒の自室からは「キモイとかウザイだとかよく言われ続けている。もう慣れたがこういうのもいじめ」という自由作文が発見された。

 遺族は12月中旬、県教委に旅行中の様子などを尋ねる上申書を提出。学校では同級生数人に面談し、全校生徒記名アンケートを実施したが、「いじめは確認できなかった」という報告書を提出した。当時の校長は「旅行中に死ぬ気になればいつでも死ねる環境だった」「帰宅後、普通の家庭なら親子で話をするはず。(これまでの対応で)後ろめたいことはない」というような発言をした。



2008年2月6日 北海道・高1

 午後6時過ぎ、北海道芽室町の私立白樺学園高校の1階トイレ個室内で、生徒がネクタイで首を吊って死んでいるのを職員が発見した。
 亡くなったのは1年の男子生徒(16歳)。前年度出席日数が足りず留年。5、6月頃にはかつての同級生にからかわれたり、殴られたりしていたことがあった。

 15日、帯広署は傷害の疑いで、帯広市の板金工の少年A(当時17歳)と無職B(当時16歳)を逮捕。Aと自殺した男子生徒は小学校時代の同級生だった。2人は4日夜から5日未明にかけ、Bの自宅で男子生徒の左耳のピアスの穴に、穴を広げる器具を無理やり入れて怪我をさせていた。

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