美空ひばり塩酸事件



【事件概要】

 1957年1月13日、東京・浅草の国際劇場で、「花吹雪おしどり絵巻」に出演していた美空ひばり(当時19歳)が、客席にいたファンの少女A子(当時19歳)から塩酸をかけられるという事件が発生。少女は「塩酸をかけて、みにくくなった顔をみたい」と手帳に書いていた。


A子


【19歳と19歳】

 1957年1月13日午後9時半頃、国際劇場で「花吹雪おしどり絵巻」に出演していた美空ひばり(本名加藤和枝 当時19歳)は八景「春はジャズに乗って」を終え、ドレスの上にハンテンを着て舞台上手のカーテンのかげで十景のフィナーレの出番を待っていた。
 この公演もこの夜が千秋楽で、超満員の入り。この後ひばりは夜行に乗って大坂に向かい、15日から梅田の北野劇場で実演に出演する予定だった。

 客席には茶色の上着を着たA子(当時19歳)がいた。
 ひばりが歌い出そうと足を踏み出した時、A子は突然花道にはい上がり、
「ひばりちゃん!」
 とひばりに近づいて、上着のポケットに入れていたビンを手に取り、「エイッ!・・・エエイッ!」と中に入った塩酸を浴びせかけた。ひばりは顔や胸などに火傷を負い、近くにいた俳優ら3人も塩酸を浴びた。

「その女を捕まえてくれ!」
 誰かがそう叫び、ひばりは顔をおさえてよろめいていた。A子は舞台裏の方へ逃げて行こうとしたが、幕の外で舞台を見ていたブロマイド出版業者の男性に捕まり、劇場職員に引き渡された。この時、A子はたいした抵抗もしなかったという。

 ひばりは付き添いの母親らに抱えられ、近くの浅草寺病院で手当を受けた。顔左半分、首、胸の両乳の間、背中の左半分に火傷を負い、全治三週間。当時着ていたハンテンは襟の部分がほとんど焦げ、ドレスも胸が焼けていた。火傷を負った他の3人は、付き添いの佐藤一夫さん(当時31歳)が右目下に全治一週間、俳優の世話人西村真一さん(当時20歳)は顔面に全治二週間で失明の恐れもある火傷、日活俳優南博之さん(当時39歳)は顔面に軽傷を負った。

 事件の直後、「ひばり急病のため、最後まで出演できなくなりました」と劇場でアナウンスがあり、事件を知った熱心なひばりファンは「もうあの顔も見られない」と泣き崩れた。


【愛憎炎のごとく】

 A子は山形県米沢市の出身。中学卒業後、地元の紡績工場で働きながら定時制の商業高校に通ったが中退している。事件の10ヶ月前から東京に出てきて、板橋区志村本蓮沼町の会社重役宅に住み込みで女中をしていた。
 自室にはわずかな給料で買った美空ひばりのプロマイド二枚を貼っていた。この他、ひばりの映画は欠かさず見て、ひばりの家にも電話をかけたり、何度か訪れては断れていた。

 事件2日前の朝、「世の中がいやになった。死にたい」という書き置きを残して主人宅をとび出していた。所持金は月2500円の給料から貯めた4000円ほどだった。

 12日昼、国際劇場でひばりの実演を見る。その夜は上野付近の旅館に泊まり、手帳に手記を書いた。
「こんなに好きなのに・・・ひばりちゃんが憎い」

 13日、上野駅近くでひばりの映画を見て、薬局で塩酸300ccビン1本を購入している。
 この日は「花吹雪おしどり絵巻」の千秋楽。夜の部が始まる前にA子は楽屋を尋ねたが入れてもらえなかった。

 犯行当時、持っていた手帳には
「塩酸をかけてみにくくなった顔をみたい。13日午後9時現在私はおしまい」
 と走り書きしていた。

 この夜は雑居房に他の留置人と一緒に入れられたが、特に泣くなどの不安定な部分もなく、部屋の中央で黙ってうなだれていた。その後の取り調べでは「申し訳なくて、死んでしまいいたい」と話している。

 また米沢にいる母親は談話で次のように語っている。
「娘がそのような大それたことをしたとはとても信じられません。中学時代からひばりと(雪村)いづみの大ファンでラジオは欠かさず聴き、東京へでれば実物のひばり、いづみちゃんに会えるとあこがれて出かけたのです。どうして大好きなひばりちゃんにそんなことをしたのでしょう。静かな内気な娘で感情を表に出さない田舎娘でわたくしたちは最初から東京へ出すのは心配していましたのに・・・」

 一方、ひばりの回復は思っていたよりも早く、1月29日、大阪北野劇場での実演「ひばりの花ひらく歌声」で事件以来はじめて舞台に立っている。


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≪参考文献≫

笠倉出版社 「日本の女殺人半101」 日高恒太朗
新人物往来社 「戦後事件史データファイル」
新潮社 「美空ひばり 時代を歌う」 大下英治
新風舎 「激動昭和史現場検証 戦後事件ファイル22」 合田一道
東京法経学院出版 「明治・大正・昭和・平成 事件犯罪大事典」 事件・犯罪研究会・編
読売新聞


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