イエスの方舟事件




【事件概要】

 65年頃から、聖書を研究する宗教団体「イエスの方舟」に入信した女性が家出し、家族から捜索願が出されるということがあった。彼女たちは教祖・千石イエスらと共同生活を送っていたが、その家族たちが「娘を返せ」と押しかけ、イエスの方舟の一行は各地を転々とした。
 80年7月、行方をくらませた「方舟」の一行が熱海で発見された。


千石イエス


【イエスの方舟】

 1965年から77年の間、東京・多摩地区で、ある宗教団体の入信をきっかけとして家出し、家族から捜索願が出されるといった事件が相次いだ。
 その宗教団体は「聖書研究会極東キリスト教会イエスの方舟」、教祖は「千石イエス」こと千石剛賢氏であった。 

 千石氏は兵庫県有田村(現・加西市)生まれ。実家は地元の資産家で、戦後に鎌製造工場をつくったが、大阪に出て磁器指輪の販売を始めた。
 1951年頃、京都市に本部を置く堺市内の「聖書研究会」に出入りするようになり、やがてその主宰・村岡太三郎氏と袂を分かったことで「極東キリスト教会」を設立した。

 59年、家族と信者13人を伴って上京。府中市や小平市などを転々として布教を続けた。家出してきた信者を引き取り、共同生活するようになったのは65年頃からである。信者は各家をまわり、刃物とぎ・行商をしながら布教した。そして75年、国分寺市恋ヶ窪に拠点を移し、「イエスの方舟」と改名した。


【その街を遠く離れて】

 77年5月、7件の捜索願を受けた警視庁は、防犯部一課に特別捜査班を設置。しかし、千石氏と共同生活を続ける女性はいずれも自分の意思でそうしたもので、「家に帰るくらいなら死んだ方がましだ!」などと、家族の呼びかけを拒絶した。
 「方舟」自体、法に触れるような容疑は見当たらなかったため、意思ある大人である彼女達を無理やり家に連れ戻すということはできなかった。

 一方、同年暮れから78年にかけて、女性たちの家族が団結して押しかけ、集団抗議を行なった。ハンドマイクで「娘を返せ!」と叫び、もみ合いで千石氏の妻らが負傷するということもあった。
 そしてマスコミがこれに呼応する形で、「現代の神隠し教団」などのバッシングが始まった。新聞には、女性の家族の声を拝借し、「まるで人さらい」などという見出しが躍った。これにより、多くの人は「女性をかどわかしてハーレムをつくる邪教」という印象を持った。

 78年4月21日、布教活動が難しくなったことや、千石氏の心筋梗塞が悪化したことから、女たちは国分寺市の教会を離れ、5月には千石氏も東京をあとにした。一行26人は、大阪、岡山、神戸、明石などを転々とし、78年12月からは福岡市内のマンションを拠点とした。女性たちはホステスとして働いていた。


 80年に入ると、雑誌に親たちの手記が掲載され始める。

「そのころ、”教会の刃物研ぎ”といって数人のおばさんふうの女性と男の人が私どもの住んでいる区域をまわっておりました。・・・・この刃物研ぎは、実は勧誘の手段で、気を許して何度か本部へ行っているうちに、心やすくなり、世間話をしながら悩みを聞き、相談にのり、不思議な世界へ誘い始めるのです。娘たちのほとんどはこの手口で入会させられています。・・・・しかも、お話を聞いてみると惹きつけられて、行方不明になったのがみな20歳から17、8歳の娘たちばかりというのが異様でした。どうやら、千石という男は自分を「イエス」と呼ばせて、周囲に十数人の若い女性ばかりを集めているらしいのです」
(「婦人公論 80年1月号」 『千石イエスよ、わが娘を返せ』)

「娘は、このべニヤ板張りの三畳に、閉じ込められていたのです。日光にもあたらず、窓もなく、外の空気も充分に吸わせてもらえず、この暗い部屋で毎日千石剛賢の呪文を講義として聞かねばならなかった日々。毎日の同じ言葉の繰返しは、まさに洗脳であり、人間改造をされたのです。見えるもの、眺められるものは、ベニヤ板の壁だけでした。聖書の勉強と称してでたらめな話を、いかにもそれらしい言葉で表現し、毎日、何度も何度も繰り返し聞かされるのですから、神経は破滅し、自分の意思はなくなります。粗食の中での洗脳ですから、娘はロボットにならざるをえなかったのでありましょう」
(「婦人公論 80年3月号」 『私の娘も攫われてしまった』)

 そして”神隠し”キャンペーンも本格的なものになった。
「刃物研ぎの注文取りに多摩地区を回ったり、中央線沿線の駅頭でパンフレットを配って、信者を募り、バラックづくりの教会や各市の市民会館、福祉センターなどの公共施設で『聖書研究会』を開いた。ここでは『私はイエスの化身だ』『親は子供を搾取する』『結婚は地獄』などと家庭や親子を、夫婦関係を否定する」
(サンケイ新聞80年2月7日付)


 同年7月3日、警視庁防犯部は千石氏と幹部5人に対して、名誉毀損と暴力行為などの容疑で逮捕状をとり、全国に指名手配した。なお家族から捜索願が出された女性は次の9人である。

◆証券会社OL 東村山市 35歳 65年1月失踪(当時20歳)
→高校3年生の時に同級生に誘われ、「方舟の聖書研究会」に出席。2ヶ月間の宿泊の後、いったん帰宅したが失踪した。
 
◆自動車会社OL 国分寺市 35歳 65年3月失踪(当時20歳)
→実家は「方舟」のすぐ近く。千石の娘と幼友達。

◆スーパー店員 府中市 24歳 72年失踪(当時17歳)
→勤務先の店の客に誘われた。千石の義娘となる。

◆主婦 府中市 40歳 74年2月失踪(当時34歳) 
→元々敬虔なクリスチャンだった。刃物とぎで勧誘された。夫と子ども3人を置いて失踪。

◆主婦 三鷹市 35歳 74年6月失踪(当時29歳)
→刃物とぎで勧誘された。献金問題で夫と喧嘩し、2人の子どもを残して失踪した。

◆化学会社OL 武蔵野市 23歳 76年6月失踪(当時19歳)
→知人に勧められ入信。「好きな男性と結婚する」という置手紙。

◆女子大生 府中市 23歳 76年10月(当時20歳)

◆女子高生 立川市 20歳 77年7月失踪(当時17歳)
→街頭布教の信者に声をかけられた。

◆証券会社OL 小平市 23歳 78年4月失踪(当時21歳)
→千石の娘と同級生。

◆銀行員 東大和市 21歳 78年5月失踪(当時19歳)
 
 また捜索願が出されていた女性以外にも、一行に加わっている女性が数名おり、さらに先々妻との間の娘2人(当時33歳と30歳)、元妻(当時47歳)とその子ども(当時24歳)、信者である2組の夫婦とその子ども(このうち3人の娘は千石の養女という形になっていた)も共同生活を送っていた。この中の30代の夫婦の間には、小学2年と3年の男の子(当時8歳、7歳)がいるが、不就学ではないかとされた。


【漂着地】

 1980年7月、熱海の印刷会社の寮で一行26人が発見される。ここは密着取材を続けていた「サンデー毎日」記者が用意し、引き入れた。
 千石は捜査員が入る直前に狭心症の発作を起こしており、市内の病院に入院。しばらく逮捕は見合わされた。

 11人の女性たちはそのまま寮に残った。
「女性たちは千石にホステス勤めを強制されているのでは?」「千石に日常的に虐待を受けているのでは?」という見方・情報もあったが、そのような痕跡は無かった。

 7月4日、女性たちは印刷会社寮で記者会見を行なった。
「誤解を解くために出てきました」
「共同生活は楽しかった」
「私たちは千石氏を”責任者””おっちゃん”と呼んできた」
「親子の理解が浅かった。今でも千石氏以外、頼れる人はいない」
「自分を本当に理解してくれる人は責任者しかいない」
「ホステスは自分たちの考えで決めた。強制なんてされたことはない。責任者はキャバレー勤めにすごく胸を痛めていた」

 入院中の千石氏は病院関係者にある告白をしていた。それは7年前に信者の自殺があったというもので、それからは遺書を肌身話さず持ち歩いた。
 千石氏はその後、荒川区内の病院に移され、22日、巣鴨少年センターに出頭。
 普通なら教祖が逮捕され一件落着、千石バッシングも続いていくものと思われたが、そうはならなかった。これは千石が新興宗教の教祖にありがちな拝金主義でもなく、カリスマ性なども見受けられない普通の「おっちゃん」であったことなどがわかったからだと言える。

 「豊かだけれど、父親不在」の家庭に育った女性たちは、千石氏に「父親」を見た。しかし、その家族たちは、娘が出ていった理由がまさか自分たちにあるとは思わなかったので、「方舟」に押しかけて千石氏を責めるしかなかった。そのことでさらに親子の溝は広まったのではないかと見られる。

 千石氏は名誉毀損で書類送検されたものの、女性らの証言から不起訴となった。


【その後】

 女性たちのほとんどはそれでも千石氏のそばを離れようとはしなかった。多くは家族とは和解し、騒動の翌年に開いた中州の「シオンの娘」というクラブで働きながら、共同生活を続けていた。メンバーの中には家族に元に戻った人もいたが、新たに訪ねて来る人もいて、騒動時よりも増えた。店はショーなどを見せ、「イエスの方舟」という大きい看板があったが意外に繁盛していたという。

 2001年12月、千石氏死去。享年78。


【トピックス ハーレム事件】

 「方舟」と同様の、共同生活を営む新興宗教組織に「真理の友教会」がある。元国鉄職員の宮本清治氏が76年に興したもので、やはり「神の花嫁」と呼ばれた女性信者に囲まれ集団生活をしていた。ところが宮本氏が病死した翌日の86年11月1日に、残された女性7人が和歌山市の海岸で焼身自殺をした。

 そして06年にも東京・東大和市でハーレム生活を送っていた自称占い師・渋谷博仁(当時57歳)が逮捕されている。こちらは脅迫などにより、女性を傍に置いていたものだとされ、方舟事件などとは性質の違うものだと言えるが。


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≪参考文献≫

学習研究社 「歴史群像シリーズ81 戦後事件史 あの時何が起きたのか」
河出書房新社 「常識として知っておきたい昭和の重大事件」 歴史の謎を探る会・編
講談社 「昭和 二万日の全記録 第17巻 経済大国の試練」 
講談社 「戦後欲望史 転換の七、八〇年代篇」 赤塚行雄
講談社 「ビジュアル版・人間昭和史 昭和の事件簿」 扇谷正造監修
作品社 「犯罪の昭和史 3」 作品社・編
春秋社 「父とは誰か、母とは誰か 『イエスの方舟』の生活と思想」 千石剛賢
新潮社 「週刊新潮 05年3月24日号」
筑摩書房 「新編 排除の現象学」 赤坂憲雄
中央公論新社 「『母性』の叛乱」 別役実
東京法経学院出版 「明治・大正・昭和・平成 事件犯罪大事典」 事件・犯罪研究会・編
文藝春秋 「マルコ・ポーロ 95年2月号」 
平凡社 「『犯罪』の同時代史」 松本健一・高崎通浩
毎日新聞社 「シリーズ20世紀の記憶 かい人21面相の時代 山口百恵の経験 1976-1988」
洋泉社 「犯罪の向う側へ 80年代を代表する事件を読む」 朝倉喬司VS山崎哲
読売新聞社 「あの言葉 戦後50年」 読売新聞社編


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