福笑い殺人事件




【事件概要】

 1955年の節分の日、東京・八王子市で飲み屋を営む小俣はる子さん(41歳)が布団の中で殺されているのを、訪ねてきた高校生の娘(当時17歳)が発見した。
 まもなく少年2人が逮捕される。2人ははる子さんに福笑いをやらせ、目隠しをした状態で殺害した。


大久保公文
吉井房雄



【八王子・八幡マーケット】

 1955年2月3日。節分の日。
 国鉄八王子駅から600mほど離れたところ八幡神社(元横山町)がある。八幡神社内には、バラック建ての「八幡マーケット」があり、賑わいを見せていた。棟割長屋にパチンコ店、飲み屋、料理屋が並ぶ・・・こうしたマーケットは敗戦まもない頃の代表的な風景だった。
 
 八幡マーケットには「みはる」という飲み屋があった。
 南多摩高校2年のK子さん(当時17歳)は、山梨県北都留郡島田村(現・上野原市)の祖母の家から通学していたのだが、週に1度は別居してこのマーケットで水商売をやっている母親の店「みはる」を訪ねて、こまごました手伝いをしたり、祖母に届ける金をことづけることになっていた。

 母親は島田村の小学校校長の三女であった。都留高女を優秀な成績で出ており、デパート店員などをしたのち、23歳で三菱銀行本店員と結婚した。だが夫は戦死。母親はその後、疎開先の実家・島田村内の製靴会社の事務の仕事をしている時に、専務と深い仲になったが、教育者である父親に叱られ、3人の子どもを実家に置いたまま東京に出ていた。それからは寿司屋や飲食店に女中として働きながら金をためて、マーケットの「みはる」を買い取っていた。


 K子さんは店の前まで来たが、ガラス戸は閉められており、中にはカーテンがひいてあった。
「まだ4時半だから、お風呂にでも入っているのかな?」
 と思い、裏手にまわってみたが、開き戸の鍵は閉まっていた。鍵はK子さんの見たことのない新しい南京錠だった。

 K子さんは再び表にまわって、ガラス戸をひいてみた。鍵はかかっていなかった。K子さんが戸を開くと、挟まっていた読売新聞がぽとりと落ちた。

 店は長屋のどの店舗も同じつくりで、間口9尺、奥行き3間。「みはる」は1坪ほどの土間の左側にカウンターがあり、その向うが調理場、右側はベニヤ板ばりとなっていた。

 K子さんが正面奥の障子を開けると、3畳間のこたつの右側で、母・小俣はる子さん(41歳)は布団をかぶってうつ伏せになって眠っていた。ビールの空ビン、キャラメルの空箱、クシ、ミカンの皮などが散乱していた。

 K子さんは母親が酔っ払って寝ているのだと思い、布団をめくってみた。
 すると、母親は目隠しをされて顔が血まみれになっており、首には麻紐が巻きつけられて死んでいた。


【来てはならぬ客】

 現場は荒らされていた。はる子さんはいつも手提げカバンに銀行の預金通帳を入れていたが、通帳だけが無くなっていた。

 また死体にかかっていた鹿の子の掛ぶとんをどけると、はる子さんの手袋、そろばん、鉛筆にまじって、「福笑い」のおかめの”のっぺらぼう”の顔が浮かんでいた。そしてその”眉”の部分の黒い紙きれが、ちょうど遺体の左手の横にとんでいた。

 はる子さんは麻紐で首を締められてから、ビール瓶で殴られたらしい。
 遺体は右手を膝に当て、左手は胸の前に曲げた状態で、両足はあぐらをかいたように組まれていた。目隠しは4つ折りにたたんだ手拭であった。この目隠しが謎だった。どうやら死後にされたものでなく、殺される前にされていたらしい。

 現場検証の結果、犯人は盃の数から見て2人。客になりすまして上がりこみ絞殺、バッグから預金通帳と水牛の印鑑、銀行の出定期予金証書4通、財布から現金1、2万円を奪って逃げたらしいことがわかった。
 刑事はすぐにはる子さんの預金がある三菱銀行に向かったが、すでに手遅れだった。3日の朝に、茶色のジャンパーを着た男が来て、はる子さんの口座から3万3千円を引き出していた。

 店の馴染み客であった映写技師・S(当時46歳)は、2日の夕方5時ごろ、「みはる」に入った。台所から出てきたはる子さんは、土間に脱いである2足の茶色い靴を指差し、「今夜はこのお客さんが久しぶりに来て、1時まで飲むと言っているのよ」と言って、Sさんを座敷に上げることができないことを告げたので、Sさんはそのまま映画館に戻った。
 Sさんは勤務が終わって、他の飲み屋に立ち寄ってから再び「みはる」を訪れている。3日午前1時過ぎのことだった。店の明かりは消えていたが、座敷は明るかった。
 Sさんが「みはる」に入ろうとすると、奥の台所から出てきた若い男が飛び出してきて、
「こんばんは、ぼくらが徹夜で飲むから、すまないが・・・・」
 と言って、Sさんを押すように、店に入るのを拒んだため、Sさんは不愉快に思いながら店を出た。
 Sさんの証言から、この若い男は22、3歳で、色は白く小さくて痩せた顔、オールバックの頭髪、紺のスーツを着ていたことがわかった。

 「みはる」の隣りで飲み屋を開いていたN子さん(当時47歳)も証言した。N子さんの店と「みはる」はベニヤ板1枚でしきられているので、隣りから物音はよく聞こえたらしい。
 2日10時頃、はる子さんの「まあ、いらっしゃいませ」という愛想の良い声が聞こえた。しばらくすると客の「こうしておこたで飲むと、自分の家で飲むような気がする」、はる子さんの「あなたは〇〇さんと一緒に来て、これで3回目ね。今日は、あなたがこちらをお連れして来てくれたのね」という会話が聞こえた。
 午後10時50分頃には、
「もう、店を閉めましょうね」
「おれたちはいいだろう」
「あなたたちはいいのよ。幕さえしておけば、あとはお客さんが入ってこないわ」
 という声が聞こえた。
 N子さんは11時に店を閉めて帰宅したので、それ以降のことはわからない。だが証言から、犯人が2人連れであり、1人は以前にも来店したことのある人物というのが確実となった。ただSさんが来店した午後5時ごろにいた2人組と、N子さんが聞いた午後10時ごろに訪れた男の客が同一人物であるのか、異なるのかはわからなかった。
 捜査本部は銀行に金をおろしに来た男と、Sさんに「帰れ」と言った男が犯人であると断定した。


【女将の番よ】

 捜査本部ではこの事件を「福笑い殺人事件」と呼んでいた。

 鑑識課指紋係は集めた指紋を調べると、15日の夕方、本籍・港区芝本町の無職・大久保公文(当時19歳)の指紋が、現場に残されたビール瓶に付着した指紋と一致した。
 大久保は詐欺、窃盗などの常習で5回の検挙歴があった。多摩少年院を出所後、八王子のそば屋で働いている時、「店の若旦那」と称して、「みはる」に出入りしていた。

 捜査本部員はただちに大久保の行方を追ったが、彼は1月21日に駒込警察署管内で窃盗をはたらき、指名手配中だった。この事件では共犯がおり、この共犯の人相も墨田区緑町の質屋の証言からわかった。

 2月20日、共犯の吉井房雄(当時21歳)を逮捕。26日には大久保も逮捕された。

 大久保と吉井は多摩少年院の同期生だった。出所後の1月20日、電車の中で偶然出会い、2人で山谷の簡易旅館に泊まっているうちに金がなくなり、以前出入りしていた「みはる」の女将が小金を持っていることをに目をつけ、この店を襲うことを計画した。

 大久保らは当夜、はる子さんと「福笑い」遊びをやった。
 はる子さんがおかめに目鼻をつける順番になり、目隠しをしておかめの顔をまさぐり始めた。その時、1人がはる子さんの後ろにまわって麻紐を巻きつけ、さらにビール瓶で殴りつけ、完全に死亡したのを見澄ましてから、現金や預金通帳を奪った。タクシーで逃げた2人は、その晩、赤線で遊んだ。

 9月28日、東京地裁八王子支部・滝沢裁判長は「被告等は何れも不遇な家庭に成長したもので、憐憫の情禁じ得ないものがあるが、その反社会的性格は強制困難と思われ、その犯行は計画的で残虐を極めたもので、情状酌量の余地は全くない」と、未成年の被告に死刑を言い渡した。


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≪参考文献≫

鏡浦書房 「鑑識捜査」 
集英社 「犯罪調書」 井上ひさし 
創人社 「犯罪捜査記録 第2巻 凶悪編」 成智英雄


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